スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←源氏物語たより238 →源氏物語たより240
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより238】へ
  • 【源氏物語たより240】へ
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit
 

源氏物語

源氏物語たより239

 ←源氏物語たより238 →源氏物語たより240
  廃院に夕顔を連れ出した源氏の魂胆 源氏物語たより239

 光源氏が、夕顔を廃院に連れ出してしまった経過について、玉上琢弥は『源氏物語評釈』の中で、強く非難している。彼の主張の要旨は概ね次のとおりである。
 「夕顔お付きの人々が、光源氏のそんな無謀を許すはずはない。なぜなら、通ってくる男(光源氏)がどういう人間とも分かっていなのだし、この人々にとっては、女君(夕顔)は、一生をかけた唯一の頼みなのだ。そんな女君を手放すはずはない。現実にありえないことである。夕顔の巻には、こうした不十分さがある」
 確かに『夕顔』の巻には、解釈のしにくいところがある。
 この巻の冒頭で、夕顔が源氏に贈った「心あてに」の歌なども解釈の分かれるところで、従来、学者たちを悩ませてきた。玉上琢弥も、この巻には相当悩まされ翻弄されてしまったのだろう、あたかも癇癪を起こしたように「不十分」とまで言う。
 そもそも玉上自身、自分の論理に撞着を起こしているのに、それに気づいていないのだ。というのは、冒頭の夕顔の歌の解釈で、五条の通りで花の名を聞いている男を、女(夕顔)は、
 「光の君さまかと見ましたが」
と訳しているのだ。夕暮れ時のしかも車の中の男を「光源氏」と分かるわけがないのに。
 ところが、ここでは
 「男君がどれほどの人とも知れないのに」
としていて、前の解釈とは完全なる齟齬をきたしている。
 いずれにしても、夜毎通ってくる男が、「並みはずれた高貴な男」であることは夕顔にはすぐ分かったのである。なぜなら、源氏は顔を隠したままでいるのに、
 『人の御けはひ、はた手探りにもしるきわざなれば』
とあるからである。顔を見せなくとも、手探りで男の「人となり」がはっきり分かるという、それほど際立った男なのである。
 夕顔の女房たちも、男がただものではないことは分かっている。だから源氏が、自分たちの大切な主を廃院に連れて行こうとした時にもあまり心配はしていないのだ。この時、彼女たちは、
 『ある人々(お付きの女房たち)も、かかる(外にまで連れ出そうとする源氏の)御心ざしのおろかならぬを見知れば、おぼめかしながら、頼みかけ聞こえたり』
と思って送っているのである。彼女たちは、源氏の行為を「おぼめかしながら(なんとなく気がかりに思いながら)」いることは当然のことで、なにしろ源氏は未だに顔を隠し通しているのだから。
 しかし、それでもここには、玉上が言うような「どこの男とも知れない者が、夕顔を連れ出すことを許すはずはない」という疑惑の雰囲気は微塵もないのだ。むしろ、源氏の夕顔を思う気持ちの尋常でないことを喜び、源氏を「頼み聞こえ」ているほどなのである。
 それに、右近という女房の反応を見れば、このことが一層はっきりする。廃院に出かける時に、お付きとして右近だけが車に乗った。廃院に着いた時に、右近はこう感じているのである。
 『右近、艶なる心地して』
 「艶なる心地」とは、「なまめかしくうきうきした気持ち」ということである。ここには源氏を疑う気持ちなどは全くない。それどころか、女君と飛び切りの貴公子が恋をする場としては、ここは最高!と思い、彼女自身もすっかり「恋の気分」に浸っているのだ。少しでも源氏の行為を疑う気持ちがあれば、うきうきなどするはずはない。

 なんとなく釈然としない気分でいるのは、夕顔本人だけである。ただ彼女の心配は、源氏が廃院に連れてきたその行為に対してではない。彼女の心配は、
 「また捨てられるのではないか」
という淡い怖れである。かつて彼女は頭中将の思い者であったが、捨てられた。今度は、名も知れぬ男が、どことも知れぬところに連れて行くというのだ、不安を隠せないのも無理はない。廃院についた彼女は、源氏に対してこんな歌を詠んでいる。
 『山の端の心も知らで行く月は 上の空にて影や絶えなん』
 「あなたの心も分からないままに付いてきましたけれど、あなたは、あの月のようにふらっとどこかに消えていってしまうのではないでしょうか。それが気がかりで・・」という意味である。

 さて、それでは源氏はなぜこんな廃院に夕顔を連れてきたのかの本題にはいろう。
 それは、夕顔の屋敷が、誠に狭いものであったからである。かつて源氏が経験したことのないほどの狭さであり、粗末な屋敷で、寝ていても枕元に隣近所の人々の話し声が聞こえてきてしまう。
 しかもそんなところに相当大勢の人々が住んでいるようでもある。
 こんな状況では、源氏がしんみり恋を語れるはずはない。彼は、夕顔を「二条院に迎えようか」とまで思っていたのだが、それは簡単ことではない。そこで
 『いざ、ただこのわたり近きところに、心安くて明さん』
と思ったのであり、さらに
 『ことさらに人来まじき隠れ家求め』
て、この廃院に来たのだ。
 彼は、この「おいらかで、たをたをとした」女と、いつまでもいつまでも話し明かしたかったのだ。「たより236」でも述べたように、源氏は、「息長川」と彼女に誓ったのである。その意味は、
 「いつまでも流れ続けて絶えるはずのない息長川の水が、たとえ絶えてしまったとしても、私があなたに語りかける言葉は、絶えることなどありません」
ということである。そのためには、五条のあのごみごみとした通りの、狭い屋敷では、とても誓いを全うできるものではない。
こういう廃院であるからこそ
 『何心もなきさしむかひをあはれと思』
したのである。すっかり安心して源氏と差し向かい、彼の話を聞いている夕顔の無邪気さを「可愛い」と思うことができたのである。
 こう読んでくると、廃院に連れてきたことには、何の無理もなかったということが分かる。むしろそれは必然のことであって、物語の流れに何の不自然も感じさせないものである。紫式部の筆の運びは、実に見事なもので、間違いなど毫(ごう)もないし、まして「不十分さ」などはありえない。

 もう一つここで付け加えておかなければならないことがある。
 それは、頭中将に捨てられた夕顔は、経済的にも逼迫していたであろうということである。彼女たちは、頭中将が戻って来てくれることを必死に待っていたのだ。そのために、五条の通りをそれらしい車が通るたびに、家じゅうで大騒ぎをしていたのだ。夕顔の童が、ある時、通りを行く頭中将の車を見つけ、
 『「右近の君こそ、まず物見給へ。中将殿こそこれより渡り給ひぬれ」と(童が)言へば、またよろしき大人出できて、「あなかま(やかしい)」と・・』
というほどの慌てぶりであった。
 したがって、新たな貴公子(源氏)の出現は、彼女にとっては好都合なことであったし、女房たちも手放しの喜びであったのだ。彼女たちが「頼み聞こえ」たというのはそういうことを指しているのである。
 玉上の言う「この人々はこの女主に一生をかけていて、唯一の頼みなのである」という見解も間違っていると言わざるを得ない。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより238】へ
  • 【源氏物語たより240】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより238】へ
  • 【源氏物語たより240】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。