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源氏物語

源氏物語たより240

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  源氏物語と伊勢物語  源氏物語たより240

 源氏物語は、さまざまな文献を引用し、それを実に効果的に使っているということについては今更言うまでもないことである。たとえば、古今集などは、紫式部は、その1、111首のすべてを諳んじていたのではなかろうかと思われるほどに、自家薬籠中のものにして、物語に生かしている。また『桐壷』の巻などでは、白楽天の『長恨歌』を、巧みに操って物語に深みを与えている。いやひょっとすると、『桐壷』の巻そのものが、『長恨歌』から発想し、創作したものではなかろうかと思うほどである。

 『伊勢物語』も、源氏物語にはしばしば引用されている文献の一つだが、その第一段がとくに有名である。人によっては、『若紫』の巻は、伊勢物語のこの段に想を得たものであろうとまで言っている。伊勢物語の第一段は、
 『むかし、おとこ、うゐこかぶりして、平城(なら)の京、春日の里にしるよしして、狩りに往にけり。その里にいとなまめいたる女はらから住みけり』
で始まる、伊勢物語の中でも有名な段である。「うゐかうぶり」というのは、成人式のことである。この「おとこ」は、成人した後、奈良の京に自分の領地があるので、そこに狩りに行った。そこに「いとなまめいたる女はらから(若々しく美しい姉妹)」がいるのを垣間見て、恋に陥る。そして、自分の着ていた狩衣の裾を切って、そこに歌を書きつけ、女はらからに贈るのである。その歌は、
 『春日野の若紫の摺(す)り衣 しのぶの乱れかぎりしられず』
 (あなたを思い忍ぶ心は、今着ている狩衣の乱れ模様のように、限りなく乱れてなりません)
というものである。百人一首をたしなんだ人なら「あれ?」と思う歌である。これは、河原左大臣・源融の
 『陸奥の忍ぶもぢずり誰ゆへに 乱れそめにし我ならなくに』
をちょっとばかりひねった、今で言えば盗作である。「そんな盗作を恋人に上げるなんて」と現代の我々は思うのだが、それは、ここでの問題ではないので省くことにしよう。 
 伊勢物語のこの話が、源氏物語の『若紫』の巻に大きな影響を与えたものであると一般には言われているのだが、私には、それほど共通点があるとは思えない。

 それでは、『若紫』の段を思い返してみよう。
 光源氏が、わらわ病の治療のために北山に行った時、病が回復してきたということで、外をふらりと歩いていると、小柴垣から、十歳くらいの少女が垣間見えた、という下りである。
 確かに両者ともに「垣間見」が物語の発端になっているし、また、北山の少女が紫草のような若々しい女の子であるところも、春日の里の女はらからの「いとなまめいたる(若々しく美しい)」少女に通じている。ただ、垣間見が物語の発端になることは当時珍しいことではなかったし、また「少女」が若々しく美しいのも当然のことである。
 なお「紫草」は、その根が紫色の染料になるものであるが、その根にちなんで「根が繋がっていること」つまり「はらから(姉妹)」とか「血縁」の象徴になっている草である。北山で垣間見た少女(紫上)は、実は藤壺宮の姪であることが後に分かり、紫上と藤壺宮が強い血縁で繋がっていたことを源氏は知るのである。この点でも伊勢物語の「はらから」と源氏物語の「血縁」が、関係していると言えば言える。
 しかし、この程度の共通性があるからと言って、それがあの壮大な源氏物語に影響を与えたのだと言えるだろうか疑問である。これらの共通点は、紫式部にとっては借用するまでもないほど微々たることである。

 私は、むしろこの部分よりも、伊勢物語六十九段の方が、『若紫』の巻で、源氏と藤壺宮が二度目の密会をする場面にずっと似ているように思うのである。こここそ源氏物語は、伊勢物語に想を得ていると言える気がする。
 伊勢物語六十九段とはこんな内容である。
「むかし、男が、天皇の命令で伊勢に狩りに行った。伊勢の斎宮の親は、斎宮に向かって、「今度そちらに行く狩りの使いはやんごとなき人であるから、懇切に世話をしなさい」と言い伝える。そこで斎宮は心を込めて男をもてなす。
 ところが懇切にもてなし過ぎて、二人の間に恋心が芽生えてしまった。男は斎宮に向かって「ぜひ逢いたい」と言う。斎宮も同じ心である。
 二日目の晩、二人は逢おうとするのだが、人目のあることとて思うに任せない。斎宮はみなが寝静まった子ひとつ(午後十一時ころ)に男のもとに忍んで行く。そして、丑みつ(午前二時ころ)まで一緒にいたが、何事も語らうこともできないうちに、彼女は帰って行く。
 翌朝、斎宮は男に手紙を贈った。そこには言葉はなく次の歌だけがあった。
 『君や来し 我や行きけむ おもほえず 夢かうつつか 寝てかさめてか』
 その手紙を見た男は、大泣きしながら,今晩も逢おうと歌の返しを贈るのだが、結局逢えずに、男は尾張の国に去って行く」

 この段が、源氏と藤壺の二度目の密会の場面に酷似しているのだ。
 宮はかつて源氏と道ならぬ逢瀬をもったことはあるにはあるのだが、二度までもとは思いもしないことであった。ただ、源氏があまりに突然に現れたので、拒むこともできなかったのだろう。
 それでも二人は睦まじく閨を共にすることになった。特に源氏にとっては夢のような時間になった。しかし夜はどんどん過ぎて行く。源氏はこう思うのであった。
 『何事をかは聞こえつくし給はん。くらぶの山に、やどりも取らまほしげなれど、あやにくなる短夜にて、あさましうなかなかなり』
 「久しぶりにこうして逢うことができたのだ。だから語りたいことは山ほどあるというのに、どうしてそれを語り尽くすことなどできようか。いっそのこと夜明けを知ないという「くらぶの山」で夜を過ごすことができたならよかったのに。何とあいにくなる短夜であることか。逢ったがために、かえって一層恋の哀しみが深まってしまったではないか」という意味である。そして彼は嘆きの歌を詠む。

 『見てもまた逢う夜まれなる夢のうちに やがてまぎるる我が身ともがな』

 (こうして今は逢っているが、今後は再び逢うことなどまずないだろう。それだったら、いっそのことこのまま嬉しい逢う瀬の夢の中に消えてなくなってしまう自分であったらよいのに)
 この歌は、私は源氏物語の中でも最も優れた絶唱歌の一つだと思っているものだが、伊勢物語の「君や来し我や行きけむ おもほえず 夢かうつつか・・」の歌に通じている。天皇の后と密会することは、斎宮と密会することと同じくきわめて困難なことである。めったに会うことのできない者同士の逢瀬は、朦朧たる恋の喜びの中に浸ってしまって、それは現実なのかあるいは夢なのか、判然としなくなるものであろう。そして、その夢の中に消えてしまうことができたら、これほど幸せなことはないのだ。伊勢の斎宮もそんな気持ちで歌を贈ったものと思われる。
 二人が今後会えるかどうかは全く未知のことなのだから。それにすぐ後ろには別れというものが待っているのだから。

 もう一つの共通点は、斎宮は、男と三時間も逢っていたというのに、何も語り合うことなく別れて来てしまったということで、源氏もまた思い余って何をか語り尽くせようと言うのである。めったに逢うことのできない者同士は、恋しい思いばかりが募って言葉がつむぎだせないのだ。それが偽らざる真実の恋の姿であろう。

 そして、この二つの物語の最大の共通点は、共に禁忌の恋であるということである。源氏の相手は、言うまでもなく父・ 桐壺帝の寵妃であり義理の母である。絶対に許されない恋なのである。一方、斎宮は、神に仕える皇女である。恋など許されるはずのない立場である。俵万智(『恋する伊勢物語 ちくま文庫』)に言わせれば
 「伊勢斎宮がこの世の男と結ばれるということは、神を裏切ってのウルトラ不倫」
なのである。
 伊勢物語を読んだ平安時代の人々は、斎宮ともあろう人が恋をするなど、と強烈なショックを受けたはずである。だから、当時の人々は、だれもがみな伊勢物語のこの話を知っている。紫式部はそこに狙いを定めたのだ。この場面を物語の中に生かせば、源氏物語を読む人々に更なる興味関心を起こさせることは必至だ。それは白楽天の「長恨歌」が当時の人のあまねく知るところであって、それを「桐壺」の巻に生かした構図に通じるのである。


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