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源氏物語

源氏物語たより243

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  引き歌の効果  源氏物語たより243

 前回(たより242)は、引き歌の解釈は難しいということを述べた。しかしながら引き歌を使うことでの効果もまた大きいのである。
 
 光源氏は、夕顔の思いもしない死に直面し、すっかり体調を崩してしまい、長らく床に臥すこととなってしまった。夕顔の死後三十日ほどすると、ようやく体調が回復した。そんな時に空蝉から手紙が来る。その内容は次のようであった。

 『うけ給はり悩むを、ことに出でてはえこそ(聞こえね)
 問はぬをもなどかと問はでほどふるに いかばかりかは思ひ乱るる
 益田はまことになむ』

 大変難しいい文面であるが、大略次のような意味である。
 「患っておられることは承っており、心配しておりましたが、なかなか言葉に出してお見舞い申し上げることのはばかられる身で、それもできずにおりました。そのことをあなた様が「なぜ見舞もしないのか」とお訊ねなさることもなく、随分の時が経ってしまいました。でも私はどれほど心配し、心を乱しておりましたことか。「益田」は本当のことでございますね」
 この中の「益田」が引き歌である。「益田」とは「益田の池」のことで、大和の国にある。この池に生える「ねぬなは」という水草(じゅんさい)は、根が長くていくら引いても引き甲斐がないほど長いという。またその言葉「ねぬ」から「寝ない」という意味もかけられる。拾遺集の次の歌から引いたものである。

 『ねぬなはの苦しかるらん人よりも 我ぞ益田の生けるかひなし』

 (「あなたと寝ることができない」と言って悶えている人よりも 私の方がはるかに苦しさは勝っていて、生きている甲斐さえないほどの恋の苦しさでございます)
 空蝉は、源氏の求愛を頑なに拒んできたが、それはもとより本心ではない。「夫のない身であったなら・・」という思いは、ずっと持ち続けていた。この度、夫にしたがって、伊予の国に赴かなければならなくなってしまった。ひょっとすると源氏とは永の別れになってしまうかもしれないことを思うと、やはり心が騒ぐ。
 彼女は、「このまま別れてしまうのも気が咎める、なぜなら自分が頑なな女であるという印象を源氏さまに持たせたままになってしまうから」と思ったのだ。
 しかし、いくら悩んでももう悩む甲斐もないことである。それはあたかも益田の池の「ねぬなは」の根のようなものだ。どんなに引いても引いても自分の手元に引き寄せることができない恋なのである。そんな空しさ、虚脱感を引き歌を使うことによって表現したのである。 
 この場合の引き歌は、「益田」というわずか二文字だけである。二文字の中に彼女のやるせない心情を込めることができたのだ。もし引き歌を使わず、思いの丈を言葉で表現しようとすれば、諄(くど)く長々しいものになってしまったことであろう。
 古歌の一部を引くことで、古歌の本来持っている心情に添えて、自己の万感の思いを深くそして広めて訴えることができるもの、それが引き歌である。

 もう一つだけ例を挙げよう。『葵』の巻の六条御息所の心情である。
 六条御息所は、源氏のつれなさに絶望し、たまたま娘が伊勢の斎宮に卜定されたのを機に、自分も付き添って伊勢に行ってしまおうと決意する。しかしその決意はそう堅固なものであるはずはない。伊勢に下向すべきか否か悩みに悩む。
 『「今は」とて、(源氏から)ふり離れ(伊勢に)下り給ひなんは、いと心細かりぬべく、よその人聞きも人笑へにならむことと思す。さりとて、(京に)たち止まるべく思しなるには、かくこよなきさまにみな思ひくたすべかめるも、安からず』
という錯乱状態に陥っていた。この後半の文意は、
 「伊勢に下ろうとすれば、「源氏に捨てられて都落ちか」という世間の評判も立とう。そうかといって、男に捨てられたというひどい状態であるのに、のうのうと京に留まっていたのでは、これもまた多くの人々の嘲笑を受けよう」ということである。京を離れることも苦、京に留まるもまた苦で、気持ちは一向に定まらない。それが文中の「さりとも」という言葉に象徴されている。右もダメ左もダメという困惑の思いに揺れるのである。
 そして、この時に六条御息所の心に浮かんだのが
 『釣りする海士のうけなれや』
である。これは古今集の

 『伊勢の海に釣りする海士のうけなれや 心ひとつを定めかねつる』

から引いたものである。「うけ」とは、「浮子」のことである。「浮子」は、海という底深く果てしなく広い水面にあって、あちらに流れこちらに流れて、自分の位置も定めかね、常に頼りなく彷徨っているものである。
 この歌の心が、御息所の心境を見事に表わしている。しかも御息所は、これから「伊勢」に行くかどうかという状況にあるのだ。まことに適切な引き歌と言えよう。これは、源氏物語の中の数多い引き歌(700以上あるという。人によっては2000以上)のうち最高のものの一つといえるだろう。
 そんなふうに頼りなく悩みに暮れているうちに、彼女の魂は、自分の身を離れて「浮かれ」出てしまい、葵上に、物の怪として取りつき取り殺してしまうのである。

 引き歌は、周知の古歌の情景や状況に自分の思いを重ねっていって、瞬時にして新しい世界を構築することができるものである。古歌の引用で、イメージが容易に膨らんでいくということである。紫式部ほど、この効果を適切に使った作家はいない。
 ただ、引き歌の問題点は、引いた歌が相手に通じなければ何の意味も持たないということである。私がいつも不思議に思うのは、当時のお姫様たちが、源氏物語に引用されている古歌にそれほど通暁していたのだろうかということである。
 太田道灌の話がある。道灌が、急な雨に困じて傘を所望したところ、その民家の女が「山吹の花」を差し出した時のことである。彼は女の意図を理解できなかった。平安のお姫様たちの中にも太田道灌は多かったのではなかろうか。それに対して女房どもが、あれこれお姫様に解釈して上げていたのかもしれない。


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