郷愁

爽やかに風は吹く

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  さわやかに風はふく


 江戸の六大浮世絵師の一人・鈴木春信の作品に『夕立図』という浮世絵がある。
 雨をともっなった突風が突然吹いてきて、庭に干しておいた浴衣が風に激しくあおられている。その干しものを取り込もうと、慌てて飛び出した娘もまた風に翻弄(ほんろう)されているという図である。
 娘の着物の裾(すそ)は風にあおられ、彼女の着物の袂(たもと)や帯もまた後ろに大きくはためいている。あまりに慌てたために、娘の日和下駄は抜げてしまって逆さになって地面に転げている。娘は、素肌の白い華奢な足を跳ね上げ、左の手のひらは、天に向けて「処置なし!」というように高く掲げられて、娘の視線はその転げた下駄に注がれている。
 それでも、娘の表情はいたって穏やかである。春信独特のあの優しくあどけなく気品のある顔立ちはいささかも失われていない。彼女の平静な表情に比べてアンバランスにくねらせた姿態を見ていると、思わず笑みが涌いてくる。
 春信は、一瞬の風のいたずらを、たおやかな娘の姿態に巧みに絡ませて描き出している。この浮世絵の主人公は、風に翻弄される娘であり、また一陣の風である。

 『どつどど どどうど どどうど どどう
  あまいりんごも吹きとばせ
  すっぱいりんごも吹きとばせ
  どつどど どどうど どどうど どどう…』 宮沢賢治『風の又三郎』

と、疾風とともに谷川の小さな学校にやってきたのは“高田三郎”だ。三郎は、風とともにやってきて、谷川の小さな学校の子供たちに強烈な印象を刻み込んで、また風の日に突如として去っていった。
 三郎に痛く心を奪われていた嘉助は、三郎が去ったその朝、感慨を込めて叫ぶ。
 「やっぱりあいづは風の又三郎だったな。」

 『この山はたださうさうと音すなり松に松の風椎に椎の風』 (北原白秋)

 松の木に吹く風は、ただひとえに松の木に吹く風であるし、椎の木に吹く風もまたただに椎の木に吹く風である。でも、この歌で歌われた風は、「ざわざわ」と吹く松風の音ではないし、「がさがさ」椎の葉を渡る風の音でもない。“さうさう”と響いた時に、間違いなく白秋の心の奥を深い感銘を持って風は吹き抜けていったのだ。

 『誰が風をみたでしょう
  僕もあなたも見やしない
  けれど木の葉をふるわせて
  風は通りぬけていく』
                     以下略 (西条八十 『風』)

 風は誰の目にも見えないのに、間違いなく木の葉を震わせ、春には若葉を育ませ、秋には木の葉に冬の支度を急がせる。
 風に心はないのだけれど、風は誰かれを差別して吹くわけではないのだけれど、吹かれた人の心にさまざまな波紋をたてていく。花鳥の心をも驚かせていく。
 詩人たちに映った嘱目(しょくもく)の景は、風によって単なる嘱目吟ではなくなっていくのだ。
 それでは、彼ら詩人たちの風をいくつか覗(のぞ)いてみよう。

 『わが宿のいささ群竹(むらたけ)吹く風の音のかそけきこの夕べかも』 (大伴家持)

 昔々の遥かな彼方でも風は吹いていた。家持は、群竹に吹く夕べの風をさわやかに全身で受けとめ、「なんというよき夕べではないか。」と一時の静謐(せいひつ)に酔っている。風が静謐を保証してくれたのだ。
 高木市之助他編『日本古典鑑賞講座~万葉集~』(角川書店)の解説では、この作品を次のように述べている。
 「“いささむらたけさ”という新しい造語が、こういう美しい音の小天地を象徴するように第2句にしっくりと据えられ、そしてこの二句が惚れ惚れするほどのしめやかなひきしまりを示している。繊細な情感が一首の隅々にまで行き渡っている。」

 『小竹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげどもわれは妹思う別れきぬれば』
(柿本人麿)

 同じくささの葉を「さやさや」さやがせる風であっても、人麿にとっては、それは哀切の響きでしかない。石見の任地から愛しい妻と別れてきたばかりだ。み山に吹く風がどんなに優しげに吹こうとも、なんで長閑(のどか)な気持ちで聴けようか。
 万葉集には他にも風を歌った名句が多い。額田王の
 『君待つとわが恋おればわが屋戸のすだれ動かし秋風の吹く』
などは、余裕のある大人の恋だ。

 『涼風の曲がりくねってきたりけり』 (小林一茶)

 一転して、一茶はやっぱりひねくれだ。涼しい風が吹いてきて心地良いはずなのだから、素直に一言「涼しい!」と感謝すればいいのに。その一言が一茶からは出てこない。どんなに涼しくいい風でも、ひねくれ一茶に吹く風は、曲がりくねって吹いてくるばかりのようだ。屈折した彼の心を写して、“涼風”は、めでたい正月と同様に彼にとってはせいぜい“中くらいの風”でしかないようだ。

 『寝ていても団扇の動く親心』 (誹風柳多留)
 『うたた寝の書物は風がくっている』 (同)

 さらに一転して、川柳の風はまた愉(たの)しい。団扇で起こす風も、風。昼寝の子供に寄り添って寝転んでいた母親も、いつか寝入ってしまった。それでも、団扇ばかりは時折無意識に動いて、子供に涼しい風を送っている。
 読書は睡眠剤。江戸人も読書好きだったようで、寝そべりながらの読書三昧。それでも、忍び寄る睡魔には勝てない。枕元に読みさしの書物が転げていて、涼しい風がひらっひらつとページをめくっている。
 いずれも江戸庶民のほほえましい点景だ。
 放浪の歌人たちは、当然のことながら、常に風を身にまとっていた。遍歴放浪に明け暮れた山頭火は、毎日が「分け入っても分け入っても青い山」だから、当然のことながら、

 『けふいちにち風とあるいた』 (種田山頭火)

という状況になる。また、山頭火と同じように、心ならずも居を転々としなければならなかった放哉は、

 『何でこんなに淋しい風ふく』 (尾崎放哉)

と歌った。しかし、淋しい心情を“淋しい”と素直に詠じているのだから、決してくじけてはいない。だから、
 『たんぽぽ風まともにうけてとぼけた顔だ』
とも詠み、余裕がある。

 『はたはたと黍(きび)の葉鳴れる ふるさとの軒端なつかし 秋風ふけば』
(石川啄木)

 啄木も、放浪の歌人と言っていいかも知れない。あるいは“流浪の歌人”とも形容できようか。定住すべき地を求めては、結局さまよい続けた。しかし、常に彼の脳裏にあるのは故郷であった。あこがれの東京に出てこれたというのに、雨を見れば、
 『馬鈴薯のうす紫の花に降る 雨を思えり 都の雨に』
と歌い、心の落ち着く日とてない。だから、まれに風の吹かない正月くらいは
 『何となく 今年はよい事あるごとし。 元日の朝、晴れて風無し。』
と思えてくるのだ、いや思わざるを得ないのだ。
 現代の歌人たちも、また風に心をゆすられ、風とたわむれている。

 『四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら』 (俵万智)

 各地の大河は、みな緑に濁ってしまってチョロチョロと流れるしかない中で、四万十川は別格だ。土佐中村の天守閣から四万十川を眺めたことがある。川は光の粒を撒いたようにきらめいていた。
 俵万智も、ずいぶん処々を旅している。この歌は、『風の手のひら』(河出書房新社)という歌集の中の一つだ。四万十川はまさに“川面をなでる”が如き川である。ゆったりとしてたっぷとして、そして清らかな流れだ。四万十の風は、優しい手のひらのように吹く風でなければならない。
 これほど四万十川を美しく的確に歌い尽くした歌を知らない。
 最後の歌人として私の知人・関広範氏の歌をあげよう。

 『しらじらとぐみの葉裏の返る時おびただしくも見ゆるぐみの実』

 実(じつ)に自然である。そのままである。嘱目の景である。それにもかかわらず関氏の感動が静かに伝わってくるから不思議だ。
 ぐみの実は真っ赤だ。葉裏に隠れていたその真っ赤なぐみの実が、一瞬の風にひるがえった葉の裏におびただしい数で見えた。
 「あれ!こんなに実をつけていたのか!」
 風は、短歌や俳句だけではない。童謡に歌謡に、さまざまに歌われる。
 「七色の街を越えて 流れていく 風のリボン…」と明るく歌う、江間章子の『風のまち』。
 「緑のそよ風 いい日だな 蝶々がひらひら豆の畑…」とあどけない、清水かつらの『緑のそよ風』…
 そして、吉永小百合は実に爽やかに『寒い朝』(佐伯孝夫作詩)を歌い上げた。
 「北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 暖かくなる…」
 小百合ちゃんが歌えば何でも暖かくなるというものだが、“心ひとつで暖かくなる”とは、まさに「その通り」だ。どんな風も、心の持ちようで暖かくも冷たくも厳しくも、また曲がりくねっても吹いてくる。
 鳥見迅彦の詩に『コル』という作品がある。“コル”とは、山の稜線の窪んだ鞍部の所だ。登山者の憩う所だ。迅彦は歌う。

 『ここがコル。
  あなたは桃のように上気して。
  息はずませて。
  髪に、胸に、すずしい国境の風。

 ぼくは、残雪のハイボールを
  ごめんなさい。ちょいと一ぱい。
  あなたには、はい、甘いジュース。
  今を生きていることを、ぐっと飲みましょう。』
                     以下略(「日本の名詩」大和書房より)

  山頂を目指して登山してきた者の誰をも、ほっと休ませ、憩わせ、そして汗を拭わせてくれるのが、コル。険しい山道をたどってきた者が、コルにたどり着いた時に、吹き抜けてくる風ほど心地よいものはない。
 しかも、彼女は桃のように上気し、髪に胸に心に優しく風を受けている。さわやかにそして新鮮に受けている。これから二人が綾なすであろう生活を暗示でもしているようだ。
 何か新しい展開があるのだろう、と期待のもてるのがコルであり、コルに吹く風だ。コルの風ほどすばらしいものはない。
 コルは、しばしば国と国との境になる。コルの反対側の国からは新鮮で未知の風が吹いてくる。
 “お国柄”という言葉がある。さまざまなものを背負って、その国独特な雰囲気を醸しているもの、それがお国柄であり、風土である。
 それぞれの土地にはそれぞれの風が吹いていて、風土となる。その風土を作りあげているものは、地形であり、気候であり、風俗・風物である。また、歴史であり、産物であり、街並みである。そして、一番が、そこに住む人々である。
 それらをみんなひっくるめて、すばらしい風土を“風光”と言おう。

 私は、日本の各地をずいぶん旅した。主なる街、主なる名所旧跡はみな行った。 
 それらの土地には、それぞれの風が吹いていた。駅を降り立った途端に、その街の風を感じることがある。それらは概ね暖かい風であり、優しくゆかしいものであった。街々にさわやかに風は吹いていた。
 なかでも、金沢や萩の街に吹いていた風は、いつも忘れえない風だ。
 金沢には“品”を感じさせる風があったし、萩には“耀き”を感じさせる風が吹いていた。 金沢の“品という風”を作っているのは、やはり100万石の歴史であろうか。城址はもとより、兼六園や東茶屋街に、歴史の街ならではの風が吹いていた。
 そして、それらをさらに引き立てているのが、浅野川であり犀川である。いつか、雪の金沢に行ったことがある。浅野川のほとりの建物に雪は静かに舞っていて、金沢の街全体を森閑と包んでいた。
 萩もまた歴史の街である。しかし、金沢とはまったく異なる風が吹いていた。
 萩を特徴付けていたのは、海である。萩城のあった指月山から望む山陰の海の実に清らに澄んでいたこと。なんという澄明な海であることか。関ヶ原や幕末の重く厳しい歴史も、海が明るく耀かせていた。海から吹いてくる風と光が、ゆったりと明るく長閑に街を包んでいた。
 夏ミカンの実も、“耀きの街”に見事なアクセントをつけている。
 戸井田道三も、『歴史と風土の旅』(毎日新聞社)の中で次のように萩を語っている。
 「萩は夏みかんの町である。
 来てみてそう思った。(略)周辺の山も屋敷町の庭もいたるところに夏みかんの黄色がある。
 山陰の冬はわびしく暗い気分で連想される。萩も多少わびしい。しかし暗緑色の樹々のあいだに輝くばかりの黄色がある。この夏みかんのなんという暖かさであろう。(略)この町の人々の心も、冬の厳しさと同じに一種の暖かさを持っているのではなかろうか。」
 戸井田のように、私にさわやかな風を送ってくれたのは、やはりなによりもこの二つの街で会った人々であった。それが風光の街の印象を強くしてくれた。

 ところで、良寛さんの書に、『天上大風』という作品がある。新潟の出雲崎にある良寛記念館で見たことがある。子供のために凧の絵として書いてやったものだそうだ。
 とにかく稚拙な文字である。うまく書いてやろうなどという気負いをまったく感じることのない書である。実に伸びやかで、文字を見ているだけで、いつのまにか四つの文字が舞いだして、天高く上がっていくようである。天上に吹く風さえ感じとることのできる書だ。“春風駘蕩”とは、この書のためにあるような気がする。
 良寛さんの逸話がある。甥(おい)の馬之助は放蕩息子で、みんなの困り者。
 ある時彼の親が、良寛さんを呼んで馬之助に説教でもしてもらおうと思った。ところが、良寛さんは、何日か馬之助の家に泊まっていたのに、一向にお説教をする様子もない。とうとう良寛さんが帰る日になってしまった。
 縁先に腰を下ろした良寛さんが、「馬之助や…」と声かけた。
 「馬之助や、私の草履のひもを結んではくれないか。」
 馬之助が、かがみこんで良寛さんの草履のひもを結んでいると、首筋に熱いものを感じた。見上げて見ると、なんと良寛さんの目に涙があふれていたではないか。
 どの家庭でも、良寛さんが尋ねてくると、三日いれば三日間、十日いれば十日間、その家に暖かい風が残っていたという。

 鈴木春信描くところの娘は突風がきたってへっちゃら。小百合ちゃんは、けなげに「心一つで」どんな風をも暖かくしてしまった。良寛さんは、人に対しても書に対してもいつも春風駘蕩(たいとう)だ。春信画の娘のように平静で、小百合ちゃんのようにけなげで、あるいは、良寛さんのようにいつも駘蕩としていられれば、どんな風が吹いてきたって、心はいつも風光に輝いているはずだ。
 さわやかに風の吹く街・風光の街も、そういう人が作り上げているのだ。



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