源氏物語

源氏物語たより244

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   継子伝説  源氏物語たより244

 源氏物語以前の物語と言えば、竹取物語のような現実にはありえない奇想天外なものや、伊勢物語・大和物語のような歌物語、あるいは落窪物語・住吉物語のような継子ものがほとんどで、源氏物語のように現実に即し歴史に忠実な、ほとんど近代小説と言ってもいいような内容の物語はもちろんない。
 特に当時は、継子ものが好まれていたようで、落窪物語などは、終始一貫継子いじめの物語で、主人公・落窪の姫君は、継母の人でなしのいじめにあい苦しむ。後に左近少将・道頼と結婚し幸せを掴むという話である。結構面白い物語ではあるが、「そこまでするの?」というほどの徹底したいじめとそれに対する復讐ぶりで、「いい加減にして!」と思わないでもない。ただ、そのいじめと復讐の写実性は、源氏物語に匹敵するところがないではない。

 源氏物語には明らかな継子いじめの話はない。しかし、紫上の境遇が「継子もの」の要素を内包している。
 紫上は、兵部卿宮の娘であるが、彼女の母親は宮の正式な妻ではない。宮には別に正妻(以下、北の方)がいる。紫上は、幼い時に母を亡くしていて、通常なら、この段階で、北の方のところに引き取られるはずである。そうなれば、落窪物語の主人公・落窪の姫君と同じ境遇になる。ところが、紫上の母親は生前からこの北の方を嫌っていて、そのこともあって、紫上も北の方に引き取られることを快く思っていなかったのだ。結局、彼女は、尼である祖母と暮らすことになった。
 ところが、この祖母も、紫上が十歳の時に亡くなってしまう。さてこうなるともう北の方のところに移らざるを得ない。父宮も、尼上なき後の屋敷の荒れた状態を見て
 『かかる所には、いかでかしばしも幼き人の過ぐし給はん。なほ(やはり)かしこ(北の方の所)に渡したてまつりてん』
と決意する。ただ、宮の言い方には微妙なニュアンスが含まれている。彼は、以前から紫上を引き取ろうと思っていたのだが、紫上が、
 『あやしう(北の方を)うとみ給ひて、人(北の方)も心おくめりしを、かかる折にしも、ものし給はんも心苦しう』
 「紫上が不思議なほどに北の方を嫌っていたこともあり、また北の方自身も彼女のことを快く思っていなかった。そんな関係にあるから、祖母の死というこんな機会に、北の方のところに移すというのは、彼女にとっては可哀そうだ」ということである。
 宮は、祖母を慕っていた紫上の心情を一応は汲んでいるようではあるが、本心から彼女を引き取る気があるのかどうか疑わしい言葉である。紫上には、今は後見すべき血縁は誰もいないのだから、何を置いても引き取らなければならないのだ。宮のこの微妙は言葉は、紫上を北の方のところに移せば、二人の関係がうまくいくはずはないという危惧から出たものだ。北の方には大勢の子供がいる。そうなれば、典型的な継子になってしまう。

 こんな状況の時に、源氏の強引な「紫上拉致事件」が起こる。宮にはまったく内緒で、源氏は強引に紫上を連れ出してしまうのである。
 実の娘の行方が分からなくなったのだから、宮とすれば検非違使を使ってでも探し回るはずである。ところが驚いたことに、彼は娘の行方をさして探そうとはしないのだ。そして、
 「紫上の乳母も、北の方の所に移ることを快く思っていなかったから、おそらく乳母がどこかに連れて行ったのだろう」
などと、のんきなことを言って探すのを諦めてしまう。
 こんなことは通常あり得ないことだ。これは明らかに、紫上が、北の方の所に移ってくることを彼が迷惑に思っていた証拠である。乳母と暮らせるのなら、継子扱いされるよりかえっていいことだと思っていたのだ。
 紫上は十歳とはいえ、源氏が強引に拉致したことでも分かる通り、格別の美少女であったはずだ。何しろ彼女は、宮の妹の藤壺宮に生き写しのような少女であったのだから。藤壺宮は、源氏が寝ても覚めても忘れることのできない理想の女性である。もし宮が、紫上を手元に引き取り大事に育てていれば、やがては入内し女御となりそして后にもなる可能性が十分あったのだ。そうなれば彼は摂政である。宮は掌中の玉を失ってしまった。
 しかし、実のしかも飛び切り優れた娘をさえ引き取らないというこの事実は、それほどに継母、継子の関係は難しいものであるということの証明である。

 紫上は、結果として宮に引き取られなくて幸せであった。なぜなら、光源氏という格別優れた男を夫にすることができたのだから。彼は、やがて内大臣、太政大臣、准太上天皇にまで成りあがっていった。継子の危機にあった少女が、一転、時の英雄の妻になれたのだ。
 しかし、そのことよりも、北の方自身の人間性に問題があったのだから、その継子にならなかったことは彼女にとってより幸運であった。

 後に源氏が近衛の大将として華々しい活躍をするようになると、北の方は、その妻である紫上をひどくうらやむようになる。宮の正妻である自分の子供たちは、入内もできず、まともな相手も見つからないでうろうろしているというのに、宮の側女の子に過ぎない紫上ばかりが今を時めく男の妻になっているとは、とても我慢ならないことなのである。この状態を物語はこう語っている。
 『継母の北の方は、安からず思すべし。物語にことさらに作り出でたるやうなる御有様なり』
 これは『落窪物語』を念頭に置いた記述と思われる。紫上の幸せが、あたかも継母にいじめられた落窪の姫君が、後に近衛少将の妻となり、幸せを掴むという話に通じているから、「まるでわざわざ作った物語」のようであるといっているのだ。その裏には、源氏物語は「わざわざ作った物語」ではない、「真実の物語である」という意図も含まれているのだが。

 さて、源氏が須磨へ流謫の身になった時には、北の方はこう言って嘲り囃していた。
 『(紫上の)にはかなりし幸いはひのあわただしさ。あなゆゆしや。思ふ人々かたがたにつけて別れ給ふ人かな』
 「急に幸せを手に入れたと思いきや、その夫が今では配流の身。あ~あ、なんて不吉な身の上なのだろう。それにしても紫上という子は、世話してくれた人々と次々別れなければならないという運命を背負っている人なのだわ」という意味である。若くして母を亡くし、唯一の頼りの祖母も失い、そして今度は夫とも別れる、その紫上の不幸不吉を頬をぴくつかせながら、嘲っているのである。なんと偏屈で、心の狭い女であることか。こんなところに、もし紫上が継子として行っていたとしたら、幸せなどかけらもなかったことだろう。それどころか、嘆き苦しみの毎日を過ごしていたはずである。

 落窪物語は、典型的な継子いじめであり、後半は、左大臣にまでなった近衛少将・道頼の、継母への徹底した復讐劇になるのだが、「類型的」という批判は免れない。
 当時、『住吉物語』など継子物語は数限りなくあったという。継子の物語はそれほどに人気があったということである。もしその人気に引きずられて、紫上が北の方の継子になっていたら、源氏物語も、ある程度パターン化することは避けられなかったであろう。
 しかし紫式部は、それらの物語を横目にしながら、はるかに深みのある物語世界を創造していった。

 なお、源氏物語には、『宇津保物語』は登場するが、この『落窪物語』は一切出てこない。源氏物語よりも百年も前の物語だというのに不思議なことである。



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