源氏物語

源氏物語たより245

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   光源氏は閨で何をしていた  源氏物語たより245

 石川さゆりの『天城越え』(作詞 吉岡 治  作曲 弦 哲也)が好きで、自分では歌えないからよく人に歌ってもらう。詩と曲と歌とがこれほどマッチした歌謡曲は珍しい。特にこの詩は、日本の歌謡曲の中では前代未聞の傑作と思っている。
 ところがよくよく検証してみると「凄い」というか「凄まじい」というか、まともに顔を上げていられないほどの内容であることが分かる。歌っている人はそれほどに感じないのだろうが、とにかく「凄い」のである。
 それは、「誰かに盗られるくらいなら あなたを殺していいですか」というような
反社会的な内容のことを言うのではなく、性の禁断の歓楽と恋の妖艶の極致を臆面もなく謳歌している内容であるという意味からである。
 それでは丁寧にみていってみよう。
 「隠しきれない移り香が いつしかあなたに浸みついた」
の出だしは、誠に平安朝的で、源氏物語にも、光源氏が焚きしめた香が極楽のそれを思わせるというような表現がよく出てくる雅の世界である。ところがそのすぐ後ろが先の「誰かに盗られるくらいなら・・」になるのだ。雅の世界は、一転、暗黒のマフィアの世界に突入してしまう。そしていよいよ
 「寝乱れて 隠れ宿」
と,佳境に入っていく。「九十九折り 浄蓮の滝」は少し置いておこう。歌は、次からが本番である。
 「舞い上がり 揺れ堕ちる 肩のむこうに あなた・・・山が燃える」
というのである。これはもう説明の必要もない、性の極限に達したところだ。
 特に「おちる」を「落ちる」にしないで「堕ちる」にしたところが、吉岡治氏のセンスの良さである。『堕ちる』は「堕落」や「堕胎」などの時にしか使ってはいけない言葉なのである。「堕落」の意味は「道徳的、宗教的な道からはずれる。身を持ち下す」ことである。で、その結果「堕胎」というようなことになるのである。

 さて、「九十九折り」や「浄蓮の滝」が、なぜここで使われているのだろうか。それは、性の極致にいたると、九十九折りのようにくねくねと舞いあがり、浄蓮の滝のように激しく揺れ堕ちるからなのである。その極致において、
 「あなた」
と言って声が詰まる。それが「・・・」なのである。
 その後が問題である。「山が燃える」と叫んでいる。伊豆の山々は現在は火を噴いていない。天城の最高峰を「万三郎岳」というが静かな山だ。燃えるはずはないのである。ということは、言うまでもない、女が燃えているのだ。それも火山のように激しく燃えている。
 それ以降の歌詞は、書くだけにしておこう。
 「何があってももういいの くらくら燃える火をくぐり」
 そして最後は「あなたと越えたい 天城越え」なのだが、この段階ではまだ二人は天城を越えていないと見える。

 源氏物語は、好色で女たらしの光源氏が主人公だから、さぞかし「天城越え」を越える内容かと思われるかもしれないが、それが全くの期待はずれで、性の場面は全く描かれないのである。紫式部の筆力をもってすれば、相当の官能小説ができたと思われるのだが、残念というか、惜しまれるというか、本当に残念なことである。
 それどころか、源氏は、閨で何をしていたのかと呆れてしまう場面が多いのだ。その点、源氏は「野暮天」と言われても仕方がない。『末摘花』の巻で見てみよう。
 末摘花という女性は、宮様の娘なのだが、父親が死んでしまった今は、完全な没落貴族(王族)である。またこの末摘花は、御存じの通り、「醜女」の典型である。そんなことで誰も相手にしない。しかし、大輔命婦という上っ調子な女が、源氏に紹介した。命婦の口車に乗った源氏はこの女性と付き合うようになった。
 最初の晩は、相手のあまりの無口に呆れて、女には何の関心も湧かず、
 『夜深く出で給ひぬ』
のである。恐らく閨にいても源氏の話しかけに対して、何一つ返す言葉もなかったのであろう。

 すっかりこの女には興を失ってしまった源氏は、長らく尋ねもしないで放っておいた。手引きした大輔命婦はそんな源氏を恨めしく思う。命婦のたっての願いがあって、
 『見まさりするやうもありけん。手探りのたどたどしきに、怪しう心えぬこともあるにや。(顔を)見てしがな』
と思い返し、再び訪ねることにした。「あの時は暗い中で、手探りのたどたどしさだったので、どうも納得のいかないところがあったのかもしれない。直に見てみれば見まさりするところもあるかもしれない。顔を見てみたいものだ」ということである。
 そして雪の降り始めた夜、彼女を尋ねる。そして一夜を共にするのだが、相変わらずの無口。
 『からうじて、明けぬる気色なれば、格子、(源氏が)手づから上げ給ひて、前の前栽の雪を見給ふ』
 「からうじて」とは「やっと」という意味で、源氏にとっては「やっと夜が明けた」のだ。いかにその夜が味気ないものであったのかが分かる。そして、源氏は自ら格子を上げる。皇子ともあろう者が、格子を自ら上げるなど、あり得ないことである。彼は、昨夜雪が激しく降っていたのを承知している。その雪の明かりで、末摘花の顔を直に見てみようという魂胆なのだ。老女房たちは、
 『はや、出でさせ給へ』
と末摘花をそそのかす。早く源氏のいる縁近くに行きなさいと言うのである。彼女は、源氏のところにいざり出てきた。
 その時である。女の姿・容貌を見た源氏は、蒼白になった。
 「何という胴長!
  何という鼻の長さ!
  それに、おでこで、ジャイアント馬場のように長い顔。
  痩せていること、おびただしい!肩の骨が痛いほどで、それが衣の上に突き出て見えるではないか!!」
 彼は、胸つぶれ、なぜここまで見てしまったのだろうと、
 『いとほしく、あはれにて、いと急ぎ出で給ふ』
のである。
 源氏物語中、最高の滑稽な場面であるが、いじめが過ぎてしまって嫌味になっている。私はこの場面はあまり好きではない。

 それはとにかくとして、あれほど多くの女性と閨を共にしてきた源氏たるものが、二晩も夜を共にした女の容貌、体躯が分からなかったという。「雪の明かり」で、初めて分かったという。可笑しなことではないか、といつも思う。いくら「闇」の中の営みとはいえ、痩せ痩せの肩が分からないはずはない。鼻が高いのも胴長なのも分かろうというものだ。源氏は、性の営みの前に、頬ずりや愛撫や抱擁をしないのだろうか。
 彼は閨の中で一体何をしていたのであろうか。彼一流の甘言と冗舌ばかりで一夜を過ごしたというのだろうか。でも、末摘花は、何を問いかけても「む、む」と口ごもるばかりで、反応はないのだから、そもそも会話がり立たない女なのだ。とすれば、後はすることと言えば決まっている。

 私が、この場面を好きになれないのは、源氏の、末摘花に対しての優しさや思いやりがあまりにも欠けすぎているからである。それがありさえすれば、営みの前に愛撫をするはずだ、抱擁があるはずだ。そうすれば、闇の中とはいえ、おぼろげながらも彼女の姿・形は分かろうというものだ。また雪の明るさの中にあらわに彼女をさらすこともなくて済んだのだ。
 天城越えの男だったら、こんなことは絶対にしない。たとえどんなに痩せていても胴長な女でも、どんなに鼻が高い女でも、くらくらと舞い上がらせドドッと揺れ堕としてしまったはずだ。
 ここは源氏物語中、唯一「堕落」の場面である。


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