源氏物語

源氏物語たより9

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  響きあう歌と歌  源氏物語とはず語り9

 源氏物語は、歌物語と言っていいほどに多くの歌が詠み込まれている。歌が要所要所に配され、それが筋の展開のうえで重要な働きを担っている。また、古今集などからの引き歌も、源氏物語の歌の中で効果的に使われている。


 ただ歌の内容が非常に難解で、容易には理解できない。私は、当初歌を飛ばし飛ばし、筋ばかりを追って読んでいたほどである。
 しかし、歌を飛ばしてしまっては、源氏物語の醍醐味は半減してしまうことに気づいて、今ではむしろ歌をこそ大切にしながら読んでいる。
 引き歌も、単に古歌の言葉だけを借りてきたものではない。それらは、源氏物語のなかで躍動的に生かされ、新しい世界を再構築している。けしって飛ばしたりしてはならないものなのだ。
 今回はこの引き歌について考えてみることにした。

 たとえば『夕顔』の巻の冒頭に引かれている『おちこちひとにものもうす』が、古今集の旋頭歌からのものである。
 光源氏が、六条わたりの女のもとに忍び歩きの時、五条の通りで中宿りのために車を止めていると、あやしき(賤しい)小家の板塀に蔓を生々と伸ばして、白い花が咲いているのが目に入った。内裏でも二条院(源氏の邸)でも見たことがない花だ。なんという花であろうか。そこで古今集の歌を引いて『をちこちひとに・・』と、彼はひとりごちた。その本歌は
 『見渡せばおちこち人にもの申す我 そのそこに白く咲けるはなにの花ぞも』
 (見渡すずっと向こうにいる方!ほらあなたのそばに白く咲いている花は、一体何という花ですか?教えてください)
という意味で、のどかでほんのりした歌だ。五条わたりの場末の雰囲気に相応しい歌といえよう。源氏は遊び心も手伝て、ふとこの古歌を借りて、花の名を問うたのだろうが、いかにも平安の雅を感じさせる。
 白い花に懐かしさを感じた源氏は、随人に一枝折らせる。すると,その小家から、黄色の生絹(すずし)の単衣袴を着た美しい童が出てきて
 「これに花を乗せてご主人様に差し上げてください」
と扇を差し出す。扇には「夕顔の花」であると、歌で花の名を教えてくれていた。
 歌は、「あてはかにゆゑづきたる(上品で趣のある)」筆跡で書かれている。
 歌で即座に答えてくるといい、さっと扇を差し出すといい、その風雅な仕草に魅せられた源氏は、この家の女に興味を示し、深い契りを結ぶようになる。この女を“夕顔”と呼ぶ。
 しかし、たった1カ月の逢瀬の後、女は突然死んでしまう。

 実は、『をちこちひと・・』には返歌がある。
 『春されば野辺にまず咲く見れどあかぬ花 まひなしにただ名のるべき花の名なれや』
 (春になれば野辺に一番に咲く、いくら見ても飽きない花だ。ただで名をあかすことができるような花の名ですかよ)
 “まひなしに”の“まひ”とは、“まひなひ(賄、賂)”ということで、「礼として物を贈る」ことである。歌の意味は、俄然生々しくなってきた。のどかでほんのりどころではない。
 「何もよこしもしないでこんな素敵な花の名を教えられるか」
というのだから、現金な話である。とても見渡すような広い花園で花作りをしている者の言葉とは思えない。

 この返歌については、源氏物語を解釈するうえで、ついないがしろにされてしまうのだが、私は非常に重要な意味を持っているように思う。つまり、源氏はあやしの小家の板垣に咲く白い花に興味を持ち、その名を問うたのであるが、その花の名はなんの“まひなひ”も必要なく、小家の女はすぐ「夕顔の花」であると教えてくれた。
 ところが、一カ月も親しく睦びながら、女は自分の名は源氏に決して教えようとしない。もっとも源氏自身も、女と会う時はいつも顔を隠して、正体を明かさないようにして来たのだが。
 女が頓死してしまうその夕、源氏は初めて顔を見せ、自分の正体を女に伝える。そして女にも
 『いまだに名のり給へ』
 (せめて私が顔を表した今なりとも、名を名乗ってください)
と求めるが、女は、ただ
 『海士の子なれば』
というだけで、名乗ろうともしない。もちろん女が源氏に対して、“まひなひ”を求めたわけではない。相手が天皇の子と分かっては、あまりの身分の差に、今更名乗っても意味がないと思ったのだろう。彼女は、その夜卒然と死んでいく。一夜にしてしぼんでいく夕顔のように。
 源氏が、夕顔という素晴らしい女と生涯を共にすることは、相手の“死”というまひなひをもってしか、成しえないのだということを、この返歌は語っているように思う。源氏は、長くこの夕顔のことを忘れることができなかった。

 源氏は、この後さまざまな女と恋をし契りを結んでいくが、さまざまな“まひなひ”を払っていかなければならない恋ばかりであった。
 古今集のこの旋頭歌は、返歌ともども源氏物語の中心を貫いている引き歌だったのである。引き歌のさらにその返歌とはいえ、とてもないがしろにはできないのである。

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