源氏物語

源氏物語たより248

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   恋文を出す時は  源氏物語たより248

 年の暮れに大輔命婦が光源氏のところにやって来た。末摘花を手引きした女房である。彼女は手に何かを持っているが、意味ありげな顔をしていて、それを源氏に見せるべきかどうか戸惑っている。尋ねてみると、「末摘花からの手紙だ」と言う。手紙くらい、出し渋ることもないのにと思って、それを手に取ろうとすると、命婦は,息でも止まってしまうのではないかと思われるほどに、困惑している。なんとそれは
 「厚ぼったい陸奥紙で、香ばかり深く匂わせた手紙」
なのであった。
 「陸奥紙」とは、「檀紙(だんし)」のことで、檀(まゆみ)の樹皮から作ったものだ。厚手で白く表面にしわのある紙で、広辞苑には「包装用、文書用、表具用とした」ものとある。平安の貴族たちが「畳紙(たとうし)」として使ったりしたものだ。畳紙は、折りたたんで懐に入れ、歌を書いたり鼻をかんだりする時に用いた。丈夫な紙だったのだろう。
 しかし、懸想の時などに使うべきものではないのであるが、その陸奥紙を平気で恋文にしている末摘花の無神経を証明するものとして、作者が取り上げたのだ。
 命婦が息も詰まるほどに困惑したのは、実はこれ以外にもあるのだが、それはここでの問題ではないので省くが、とにかく例の紫式部の辛辣な末摘花批判が、陸奥紙にまた始まったのである。

 懸想文にはふつう「薄様」の紙を使う。特に相手に対して愛情をこめて思いを伝えようなどという場合は、唐(舶来)の紙を使う。
 源氏が、思うに任せない世の中の憂さを逃れて、雲林院に籠った時に、二人の女性に手紙を出している。一人は紫上である。この時はどうしたことか陸奥紙を使っている。恐らく二条院で自分の思うままに育てている紫上を「恋人」の範疇には入れていなかったのだろう。だから『うちとけて』書いたのだ。
 一方、もう一人の女性・朝顔には
 『唐の浅緑の紙に、木綿(ゆう)を付けなど、神々しうしなして』
出しているのである。「唐」は先のように舶来もので、薄様の最上等のものである。木綿を付けて神々しくしたのは、彼女が斎院として近くの紫野にいるからだ。
 朝顔は、式部卿宮の娘で、源氏が以前から思いを掛け、何度も言い寄っている女性なのだが、少しも源氏に靡こうとしないのである。葵上が亡くなった時には、源氏の正妻候補として人々の口に上がってさえいたのだ。それでも靡かないというのも珍しい。だから、源氏は何とかしてものにしようと、懸想の限りを尽くして文を書き、最高級紙を使ったのだ。
 また、朧月夜から、思わず手紙が来た時に、その返事に使った紙も凄いものだ。
 『唐の紙ども入れさせ給ひつる御厨子開けさせ給ひて、なべてならぬを選り出でつつ、筆なども心ことにひきつくろひ』
てなのである。「なべたならぬ」とは、「そん所そこらのものでない」ものということだ。源氏は、天皇の子で近衛大将である。もう想像を超えた貴重な紙を選び出したのだろう。唐の紙には、あてなる模様もほどこされていたはずだ。そこに綿々と恋情を書き連ねるのだ。女性は手にしただけで舞い上がってしまったことだろう。

 ずっと後のことであるが、明石に移って、いよいよ明石の君と逢瀬を持とうと、彼女に手紙を送った時は
 『心づかいし給ひて、高麗の胡桃色の紙、えならずひきつくろひ給ひ』
て出すのである。高麗の紙技術は、唐に負けないものがあったというから(韓国ドラマでやっていた)、想像を絶するほど高級なものであったのだろう。なにしろ源氏は、一年以上須磨・明石に「いたずら臥し」をしていたのだし、明石の君がことのほか美しい娘であると聞いているのだ。 
 その紙に源氏が「えならず(特別心を込めて)」書いたのだから、これには相手はころりとまいってしまうはずだ(ところが、彼女はころりとまいらなかったのだが)。
 朧月夜の時は、源氏は筆にも配慮している。源氏は名筆家としてつとに有名である。「弘法筆を選ばず」とよく言われるが、名筆家の源氏が筆を選ぶのだから、いかに流麗な美しい懸想文であったことか思い知られる。

 私はいつも思う、源氏の手紙が今に残っていたらと。そして自分がそれを持っていたら、「何でも鑑定団」に持ちこんでいく。恐らく値の付けようがないだろう。
 もっとも、当時の貴族はろくな仕事がなかったから、彼らの仕事と言えば、懸想文を書くことぐらいで、そのために書の練習をし、歌の練習をするのが彼らの日課だったのだろう。だから、源氏以外のものも目も綾な懸想文だったはずだ。なんでもいいからそんな手紙が手元にあったらとしみじみ思う。 

 ことほど左様に、恋文を出す時には、ここまで配慮しなければならないのだ。恋文を出さなくなって久しい私ではあるが、昔、源氏ほどに気を遣っただろうか。まさか事務用封筒やわら半紙を使ったことはないと思っているが、封筒や用紙に関しては案外無頓着だったような気がする。ただ切手だけは記念切手をよく使ったものだ。今度恋人ができたら気を付けようと思う。
 ところで、末摘花が陸奥紙を使ったのは、「薄様」の紙がなかったからではなかろうか。なにしろ真冬でも着るものとてない貧窮に瀕していたのだ。陸奥紙は、父・常陸宮が残しておいてくれた遺品で、色も薄汚く焼けていて古ぶるしいものであったのだろう。
 彼女が非常識でセンスがないことは、執拗なほどに紫式部によって暴かれているのだが、この場合は、同情すべきものがあり、作者の筆を少々割り引いて考えてあげなればなるまい。

※ 大輔命婦が、息が詰まるほど困惑したのは、実は手紙の内容とそれに添えられていた源氏用にという元旦の晴れ着のひどさ なのである。それはこんな衣であった。
  「流行の薄紅色の、どうにも我慢ならないほど艶のなくなっている古びた単衣と表裏とも同じ濃い紅色の直衣」


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