源氏物語

源氏物語たより249

 ←夜行列車はゆく →酒はほろほろと飲むべし
   女にて見む  源氏物語たより249

 『紅葉賀』の巻に、現代の我々には少々理解しにくい奇妙な場面がある。
 光源氏は、藤壺宮が里下がりしているので、例のように
 『ひまもやと、うかがひありき給ふことをことにて』
とそわそわしている。こういう時には宮に逢うチャンスがあるのではないかともっぱら宮のご様子をうかがいまわっているのだ。そこで、ある日、宮の三条の邸を訪ねることにした。ところが女房たちと対応させるだけで、話をなさろうともしない。何ともそっけない扱いで、面白くもなく女房たちと雑談をしていた。そこに宮の兄である兵部卿宮がやって来られた。
 源氏は、兵部卿宮を見て、
 『いとよしあるさまして、色めかしうなよびたまえるを、女にて見むは、をかしかりぬべし』
と思うのである。「よしあるさま」とは、「風情がある」とか「たしなみがある」とかいう意味で、平安貴族は概ね情趣があり教養があったであろうから、ことに問題はないことである。また「色めかしうなよび給へる」とは、「なまめかしくやわやわとしている」とか「色っぽくてもの柔らか」ということで、これもいかにも平安映画に登場するようななよなよとした当時の貴族の面影を彷彿とさせるもので、平安時代の男性には多かったタイプであると思われる。もっとも『真木柱』の巻の主人公・鬚黒大将のようなおよそこのタイプには入らないような男もいるのだが。 
 問題なのは、その後の
 「女にて見むは、をかしかりぬべし」
である。はたしてこれはどういうことであろうか。源氏の目には、兵部卿宮は飛びぬけて色っぽく見えたので、これを「女にして見たらさぞおもしろかろう」ということなのだが、「男を女にして見る」などという感覚は、現代人にはないものである。
 しかもこのすぐ後に、兵部卿宮から見た源氏の印象がこう記述されているのである。
 『(源氏のことを)いとめでたしと見たてまつり給ひて・・「女にて見ばや」と色めきたる御心には思ほす』
とあるのだ。式部卿宮も、源氏と全く同じ感想を源氏に対して持ったのだ。特に兵部卿の宮の場合は、「色めきたる御心」で見たのである。つまり、源氏の美しさが、婀娜っぽい宮の心を揺すったというのだから、一層妖しく尋常でない雰囲気が漂っている。

 平安時代にはこのような感覚はごく一般的なものであったというのだろうか。現代人の感覚からは、完全にずれているとしかいいようがないのだが。

 そんな目で見ていったら、源氏物語のそこここに同じような記述があった。そのいくつかを上げていってみよう。
 源氏が葵上の四十九日の喪に服していると、そこに頭中将がやって来た。源氏は漢詩を口ずさみながら、脇息に頬杖をついていた。そんな姿が誠に優婉に見えたので、頭中将は
 『色めかしき心地にうちまもられつつ、(源氏の)ちかうつい居給へ』
るのだ。「うちまもられ」とは、じっと相手の顔を見つめることである。しかもすぐそばに座ってなのである。ここにも何かが起こりそうな妖しい雰囲気が漂っている。
 同じ『賢木』の巻に、雲林院から帰った源氏が、朱雀帝のところに挨拶に行く場面がある。その時、源氏は朱雀帝をこう見ているのである。
 『(帝の)御かたちも、(桐壷)院にいとよう似たてまつり給ひて、(院よりも)今少しなまめかしきけ添ひて、なつかしうなごやかにぞおはします。(二人は)かたみにあはれと見たてまつり給ふ』
 「なまめかし」とは、「優美な」という意味もあるが、この場合は「色っぽい」とか「つやっぽい」という印象が強い。もともとは「生(なま)」から来ている言葉である。「生ビール」の生で、出来たての純で若々しい新鮮な感じである。
 また「なつかし」とは、人を引き付ける魅力のことで、帝は人を魅了する「もの柔らかな」お方なのである。これは兵部卿宮の印象に通じるもので、二人とも男ながらに妖艶な美しさを持っているのである。
 そして「あはれ」であるが、これはいろいろの意味を派生する極めて感覚的な言葉で、基本的には、「しみじみと心を揺する」ような感情を表わす。ここは、「情愛の深さ」と取るのが妥当だろう。
 帝と源氏は、母こそ違え、桐壺院(帝)の子供で、共に当代を代表する美男である。その二人が「かたみにあはれと(情愛の気持ちを持って)見」るのである。歌舞伎にしたらどうなるのだろうか。玉三郎が男女に変装して二人並んで、相手を見交わしているようなものだろう。何かが起こらないのが不思議なほどの妖しい緊迫感がある。

 『賢木』の巻のもう一つの場面を上げておこう。
 桐壺院が崩御され、右大臣の時代になった。源氏や左大臣の嫡子・頭中将にとっては冬の季節である。官位も上がらないのを不満に思ってろくに内裏勤めもしない。暇を持て余した彼らは、管弦や漢詩作りに興じて日々を送っていた。そんな席に漢詩の師として博士なども招待され、酒を飲み交わしなどしていた。
 『(源氏が)薄ものの直衣、単衣を着給へるに、透き給へる肌つき、ましていみじう見ゆるを、年老いたる博士どもなど、遠く見たてまつりて、涙を落としつつ居たり』
 この時は夏で、源氏は薄ものの直衣や単衣を着ていたために、彼の肌が透けて見えるのだ。これがあまりにも美しいので、博士どもは涙を落としたというのだ。源氏ははるか遠くにいる。にもかかわらず、その透けた肌に、漢学者どもが感涙を禁じえなかったというのだから、別な言い方をすれば、源氏の「なまめかしさ」が、「年老いた」博士どもの性を刺激した、ということだ。なんとも奇妙なことで、現代の我々には理解しがたい現象である。

 男が男に惚れるということはもちろん現代でもあるし、「友情」などというのはそうして結ばれるのであろう。しかしその関係があまりに深くなると、それは「ホモ」の関係になってしまう。現代ではホモも社会的な承認を受けるようになっているようだが、でもまだまだ一般的なものではない。やはり「倒錯的」な印象はぬぐえない。
 ところが、先の例で分かるように、平安貴族の間では、それがごく当たり前のことであったようにとれるのである。あるいは社会的に認められていた現象なのかもしれない。そういえば、同性愛とか男色とかを思わせる例がいくつか出てくる。
 たとえば、空蝉の弟・小君と源氏などははっきり「男色」である。
 また『紫式部日記』には、紫式部が、同室の女房が寝ているのをほれぼれと見とれている場面が出てくる。紫式部が彼女の顔にかかっている衣を引きやると、それに気づいて起き上がった女房を、紫式部は
 『こまかに、をかしうこそ侍りしか』
と眺めているのだ。「こまか」とは、「きめの詰まったなめらかな美しさ」のことをいう。もう同性愛すれすれの関係にあるような気がする。

 平安貴族たちは、平安京という狭い世界が生活の場であった。京の町を出ることも稀であったし、女たちは御簾や几帳を隔てていて、なかなか顔を見ることもできなかった。となれば、自ずから相手は男同士になる。
 また女たちも、宮中や高級貴族の邸などの閉塞的な局にいる。自ずから女同士の愛が多くなるという具合であったと思われる。
 当時は、「男と男」「女と女」というドラマがごく自然な図式として描かれていたのかもしれない。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【夜行列車はゆく】へ
  • 【酒はほろほろと飲むべし】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【夜行列車はゆく】へ
  • 【酒はほろほろと飲むべし】へ