郷愁

深川江戸資料館に江戸庶民の生き様を見る

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  深川江戸資料館に江戸庶民の生き様をみる

 深川にある深川江戸資料館を見ながら、江戸時代の庶民の生き様を端的に表現すれるならば、『共通性の保持』と『寄り添い』と言えるのではないかと思った。
 『共通性の保持』というのは、人々の興味・関心や趣味が限られていて、だれもが共通したものを持っていたということである。
 ただ、“限られたもの”といっても、彼らの興味・関心は、現代の我々が考えているよりも予想外に多く、「え、そんなことも!」と思われるものがある。桜や藤などのお花見はもとより、ウグイスやメジロなどの小鳥の飼育、金魚や鈴虫などの生き物の飼育、万年青(おもと)などの鉢物の栽培、四季の祭りや花火、上野や両国や各地の広小路で行われる見世物、あるいは神社など、結構バラエティ-に富んでいた。
 しかし、それでも現代の多様化、雑多化した興味や趣味にはやはりはるかに及ばない。中でも江戸時代になかったものとしては、スポ-ツが上げられる。野球やサッカ-はもちろんのこと、陸上や水泳なども競技形式のものとしては存在しなかった。剣道や馬術や弓道などはあったが、庶民とはあまり縁のないものである。スポ-ツ以外でも、現代は、絵手紙あり写真あり英会話あり気功ありと、実に多様であり、雑多である。また、パソコンの普及は、人々の興味・関心をますます多様化させるとともに、個別化をいよいよ推し進めている。
 その意味で、現代を端的に表現するならば、『拡散化』ということになるだろう。
 
 さて、江戸時代の多くの人々に、もっとも愛され親しまれていたものに歌舞伎がある。歌舞伎は人々の共通のそして最大の関心事であった。中村座や森田座や市村座などはいつも大入り。お店の金持ちばかりか、武家の奥方までせっせと通った。ただ、一般庶民はその恩恵を受けるまでにはなっていなかった。そこで彼らは、神社の境内に小屋掛けされた“宮地芝居”に精を出した。そういう舞台で上演される歌舞伎もいつも満員である。  したがって、彼らの日常の話題は、“紀の国屋がう”の、“高麗屋が見事だ”のと歌舞伎の話題にこと欠かなかった。
 式亭三馬の『浮世風呂』の中では、10歳前後の子供たちが風呂場で盛んに歌舞伎の話をしているが、このことでも歌舞伎人気が知られるというものである。
 「おめえなんか芝居を見たこともねえに。」
などと言われた子供は
 「あるもん。あねさんの宿下がりの時にいったあ」
 「俺なんか、お師さんから下がる(寺子屋の帰り)と、毎日いきまあす」
などとやり合う。そして、『伽羅先代萩』(伊達騒動を扱ったもの)をやろうじゃないか、などと言って、“仁木弾正がどう”の、“ねずみの役は足蹴げにされるだけだからいやだ”のとはしゃぐ。
 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』でも、いたるところに歌舞伎が登場する。
 たとえば、二人が三島の宿に泊まった時などもそうだ。宿の亭主が問屋場の下役人と宿帳に客の住所氏名を書き込もうと、弥次さん喜多さんの部屋にやって来ると、二人は、歌舞伎を持ちだして悪ふざけを始める。二人とも江戸の住人だというのに、やれ「堺の天川屋義平ともうすとか「城州山崎村の与市兵衛だ」などと、勝手放題を言って亭主をからかう。すると、亭主もそれに輪をかけた歌舞伎好き。「勘平さんはどうしているか」「お軽さんは達者か」とやり始め、弥次・喜多を煙に巻く。ここに登場する人物はいずれも『仮名手本忠臣蔵』に登場する人物である。このように歌舞伎が作品の中に頻繁に出てくる。
 『東海道中膝栗毛』が、人々から圧倒的な喝采を博し、ロングセラ-となり、その後この作品にあやかった旅ものが多数出版されたりしたのも、江戸時代の庶民が、歌舞伎を愛し、歌舞伎については何もかも知り尽くしていたからだ。彼らは、歌舞伎というものを通して話題を共有することができたのだ。
 このことは、興味・関心事や趣味などばかりでなく、彼らの職業についても言えることで、彼らの仕事の種類はごく限られたものであった。長屋の住人の職業と言えば、大工、左官、棒手振り、お店の奉公人、それに浪人者などが代表的なもので、その職場もみな自宅から歩いていける程度であった。だから、仕事についても話題を共有できたのだ。
 一方、『寄り添い』とは、大半の庶民は九尺二間の長屋暮らしで、生活のレベルは現代よりはるかには貧しいものであったであろうが、彼らは互いに寄り添い、助け合って過ごしていたということである。
 
 深川江戸資料館には、九尺二間(六畳ほど)の長屋がいくつか再現されている。実によくできていて、今にも江戸の住人がふと長屋の角から現れるのではないかと思われるほどである。両国の“江戸東京博物館”にも、同じように長屋が再現されているが、ここのものは新しすぎること、周囲とマッチしていないことなどで、深川の資料館にはるかに及ばない。
 ところで、この長屋であるが、薄い壁一枚をへだてた九尺二間の長屋で、隣はもう他人の家だ。隣の家の話し声も物音も筒抜けである。特に、“棟割長屋”という長屋があるが、これなどはさらに条件は悪く、三方が壁で囲まれていて、プライバシ-などとはまったく無縁である。隣であって隣でないといった状況で、彼らは、お隣さんのことなど一から十まで知り尽くしている。
 暮れ六つになれば、どこの家でも亭主は仕事から帰ってくる。そして、薄暗い明かりのもとで、夕食になる。隣の夕飯のおかずなども先刻承知だ。
 「どうもお隣さんは飯櫃が底をついているようだぞ。一つ呼んでやるか」
そこで、壁をドンドンとたたく。
 『椀と箸持ってきやれと壁をうつ』
 深川の資料館にそんな川柳が展示されていた。
 しかし、だからこそ、互いに寄り添って生きていくことを可能にしたのだ。
 
 宇江佐真理の短編小説に『町入能』という作品がある。江戸庶民の長屋生活をほのぼのと描いた佳篇である。
 主人公は大工の初五郎。ある時、彼の住む長屋に、こともあろうに将軍様から「観能」の招待が届く。彼らは、 
 「歌舞伎のことについちゃあ、何一つ知らねえことのねえ長屋の連中でも、能なんてえものは見たこともきいたこともねえ」
のだ。そこで、同じ長屋に住むご浪人さんに能の指南を受けることにした。このご浪人がまた温厚でしかも品格のある人物。初五郎はすっかり彼に傾倒してしまう。観能の当日、やれ「着ていくものがない」の「言葉がどうの」と、喧々囂々(けんけんがくがく)彼らは江戸城に出かけていく。
 そして、最後には、初五郎の長屋からご浪人は去っていくのだが、一抹のペ-ソスをたたえながら、長屋の住人同士の交流が温かくほのぼのと描かれ、江戸の庶民は恐らくこんなであったろうと偲ばれる作品である。
 
 これは武士の世界でも同じようなものであったろうと想像される。現代の作家の小説で過去を実証するというのは、少々無謀な話ではあるが、小説の世界といっても決して荒唐無稽なでたらめな話ではないはずだ。それなりの考証がなされているだろうから、あながち無謀とばかりは言えまい。
 そこで、伊藤桂一の『小さな清姫』という短編を通して、少し武士の世界を覗いてみようと思う。これは江戸を遠く離れた大和郡山の話である。
 大和郡山は、江戸時代から金魚の養殖で有名な町である。この作品の主人公は、郡山藩の部屋住みの武士・友之助で、ご他聞に漏れず暇をもてあまして金魚の養殖に励んでいる。ある時それはすばらしい“オランダりゅうきん”を作り出し、殿に献上の運びになった。  水槽に入れた金魚を持ち、ご城下を行くうち、とある神社の陰でしくしく泣いている遊女が友之助の目に止まる。訳を聞くと、遊女仲間でも金魚の飼育がはやっているが、この遊女には金魚は買えない、などということで毎日肩身の狭い思いをしているという。友之助は、遊女にすっかり同情してしまって、こともあろうに殿への献上の“オランダりゅうきん”を彼女にあげてしまう。もちろんこの行為は切腹ものである。謹慎を申し渡された友之助であったが、家老は、その罪を許してやるとともに、その遊女を友之助に妻合わせてやるといういきな計いまでする…、実にハッピ-な筋である。
 武士というと、とかく杓子定規でぎくしゃくとした生き方しかしていなかったと思いがちであるが、決してそうばかりとは言えない。『町入能』のご浪人がそうであったように、彼らも武士同士、あるいは時には武士と庶民とが互いに寄り添って生きていたのだということが偲ばれる作品である。
 
 実は、つい最近まで、日本人はこのようにだれもが共通のものを持ち、互いに寄り添って生きていたのだ。ところが、いつかそれを置き忘れてしまった。
 私たちの子供のころの遊びと言えば、メンコであり、凧上げであり、正月は百人一首などであった。今のように、多忙ではなかったから、それらの遊びに村中の子供が寄り集まって遊びほうけたものだ。
 また、よくお隣にやれ「醤油を借りる」の「もらい風呂をする」のなどといった生活をしていた。餅搗きなども、隣三軒、互いに搗いて回わったりもした。今は、「醤油が切れた」の「米がなくなった」のということはまずない。なくなれば近くのス-パ-に行けばすんでしまう。寄り添う必要がなくなってしまったのだ。
 確かにス-パ-などはまことに便利なものであるが、同時に人々の生活を見事なまでに個別化し分断化してしまった。いわゆる“いきつけの店”というものを必要としなくなったのだ。私の場合も、おなじみの店と言えば、せいぜいすぐ近くにある酒屋さんくらいだが、ディスカウントショップで買った方がずっと安いから、 行きつけの酒屋さんよりついそちらに寄ってしまう。
 このように、我々現代人の生活様式がすっかり変わってしまったのはいつのことなのだろうか。恐らく経済成長華やかな時代の、つい4、50年前のことではないのだろうか。あの時代を境に、便利さや豊かさと引替えに、我々は、“共通性の保持”と“寄り添い”という貴重なものを失ってしまったようだ。
 『長屋の花見』という落語を昔よく聞いたものだ。長屋の連中には、かまぼこや酒など花見にふさわしいなんてぇものは何もありゃあしねえ。そこで、彼らは、その代用品としてタクアンをかまぼこに見立て、お茶を酒に見立てて花見に出かけるのだが、あの江戸庶民の哀歓をもう一度かみしめてみる必要があろう。
 深川江戸資料館はそんな感慨を抱かせるところである。しかも、都営地下鉄“大江戸線”の沿線にあるというのもしゃれている。“大江戸線”とはよく名付けたものだが、さすがにその駅名にふさわしく、「大門、汐留、築地、門前仲町、両国、蔵前…」などと、どの駅で降りても江戸ばかりだ。深川江戸資料館は“清澄白河”という駅から数分のところにある。しかも周辺には、時代物によく登場する“小名木川”があったり、“富岡八幡宮”があったり、“永代橋”があったりして、江戸を偲ぶに十分である。
 深川江戸資料館で、我々が置き忘れてしまったものをもう一度思い出してみるのもいいのではなかろうか。



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