源氏物語

源氏物語たより254

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   礼ある人は楽を離れず  源氏物語たより254

 源氏物語には、しばしば「遊び」の場面が出てくる。「遊び」とは管弦のことである。琴を弾き笛を吹くことが遊びであって、現在の意味とは全く異なる。彼らは、
 「え!こんな所でも遊びをするの?」
というほどに管弦を楽しむ。たとえば、光源氏がわらわ病の治療に北山に行き、加持のおかげで概ね病が癒え、京に戻ろうとした時に、頭中将たち若い連中が、大勢で出迎えがてら北山にやってくる。若い連中は、山にはまだまだ桜が残っているからと言って、
 『いといみじき花の陰に、しばしもやすらはず、(京に)立ち帰り侍らむは、あかぬわざかな』
と、岩陰の苔の上に並んで酒を酌み交わす。
 すると、頭中将は懐から横笛を取り出して吹き始める。それに合わせて催馬楽を歌い出す者がいたり、やれ篳篥(ひちりき)だ、笙だと奏したりして華やかな演奏会になってしまう。僧都(紫上の祖父)にいたっては、琴(きん)の琴を持ち出してきて、源氏に『御手を一つ』と所望する有様である。源氏は、「体調がまだどうも・・」と言いながらも、無愛想にならない程度に演奏するのである。この「琴の琴」は、中国伝来のもので、七絃の琴である。
源氏の病は癒えたとはいえ
 『いたううち悩みて、岩に寄りゐ・・みだり心地、いと耐えがたき』
状態だったのである。にもかかわらず、華やかな演奏会を繰り広げたうえに、源氏にまで琴を所望するのだから、呆れた所行と言わなければならない。
 とにかく彼らはかくの如くに音楽を愛したのである。
 源氏が、末摘花のところに忍んで行った帰りもそうだ。後をつけてきた頭中将に女遊びの現場を見つけられてしまい、大笑いしながら、二人は同じ車に乗って、
 『月のをかしきほどに雲隠れたる道のほど、笛吹き合はせて』
左大臣の邸に帰って行くのである。邸に着いても笛を吹いていると、それを聞き付けた左大臣がやって来て、高麗笛を吹くわ、傍らの女房は琵琶を弾じるわで、ここでも演奏会になってしまった。
 このように源氏物語のそこここに楽の音は響きわたっているのだが、もっとも大がかりな演奏会は女四人による「女樂」であろう。
 女三宮が朱雀院のところに里帰りするに際して、琴をお聞かせしようではないかということになった。まだ琴の腕前は未熟な女三宮に、源氏は盛んに技を伝授する。
 そこで、どうせならこの際、六条院の女たちで合奏してみようではないかということになった。女三宮はもちろん琴の琴、紫上は和琴(六弦)、明石君は琵琶を、明石女御は筝の琴(十三弦)という具合である。
 明石君はもともと琵琶の名手であるから、心配はない。紫上も大丈夫であろう。明石女御は妊娠中でやや気がかりではあるが、とにかく問題は女三宮である。しかし、
 『(源氏が)とりたてて教え聞こえ給ふ』
た結果、女三宮の腕も
 『心もとなくおはするやうなれども、やうやう心得給ふままに、いとよくなり給ふ』
のであった。
 そして、いよいよ女楽の本番となった。玉鬘や夕霧の子供たちに笙や横笛を奏せさせ、誠に見応えのある演奏会となった。心配であった女三宮も
 『たどたどしからず、いとよくものに響きあひて、優になりにける御琴の音かな』
と、夕霧をして感動させるほどの腕前になっていたのである。

 源氏物語にかぎらず、平安朝の人々がいかに音楽を愛していたかを物語っている文献は多い。
 源氏物語に大きな影響を与えた『宇津保物語』などは、主題そのものが音楽である。この物語は、琴を主題とした芸術至上主義の文芸で、世界でも類がないといわれる。源氏物語『若菜下』には、この『宇津保物語』を念頭に置いたと思われる話がある。
 『昔の人は、(琴によって)天地をなびかし、鬼神の心をやはらげ・・空の月・星を動かし、時ならぬ霜・雪を降らせ、雲・雷を騒がしたるためし、あがりたる世にはありけり』
と言っている。ここに出ている琴の名手は、『宇津保物語』の主人公・俊蔭を指している。琴が、いかに桁外れの霊力を持っているかということである。
 『枕草子』の218段などにも、楽器を扱った非常に情趣豊かな話が載っている。なかなかの名文なので、少し長いが上げておこう。
 『笛は、横笛いみじうをかし。遠うより聞こゆるが、やうやう近うなりゆくもをかし。近かりつるがはるかになりて、いとほのかに聞こゆるもいとをかし。車にても徒歩よりも馬にても、全て懐にさし入れて持たるも、なにともみえず、さばかりをかしきものはなし。まして聞き知りたる調子などは、いみじうめでたし』
 「聞き知りたる調子などは、いみじうめでたし」などは、現代の誰もが共通に覚える感興で、清少納言をぐっと身近な親しい存在として感じるところである。
 『枕草子』からもう一つだけ例(23段)を上げておこう。紫式部よりやや前の時代の村上天皇の宣燿殿女御・芳子は、幼い時に父から次のことを身に付けよと言われたという。
 『一つには御手(書)をならはせ給へ。次には琴の御琴を人より殊に弾き勝らんと思せ。さては古今の歌二十巻をみなうかべ(暗誦)させ給ふこと』
 音楽を愛する精神は、平家の公達たちにも伝わっていて、一の谷の合戦で、熊谷次郎直実によって討たれた平敦盛の話によっても知ることができる。直実が、敦盛の首を直垂に包もうとすると、錦の袋に入れた笛が敦盛の腰に挿されていた。直実は
 『あな、いとおし。この暁に城の内にて管弦し給ひつるは、この人々におはしけり』
と、感無量になり、このことが直実発心の引き金になったことはとみに有名である。

 彼らはなぜかくも音楽を愛したのだろうか。異常なほどに音楽にこだわるのは、単なる個人の楽しみや趣味、あるいは雅を求めるだけではないような気がする。
 その理由は、中国の儒教の教えにあった。源氏物語に儒教の話はほとんど出てこないし、孔子の名さえ出てこない。わずかに『胡蝶』の巻に「孔子の倒れ~孔子のような聖人でも失敗することがある」というたとえとしては出て来るだけだが、実はこんなところ(管弦)に儒教が隠れていた。
 孔子は、楽の大切さをしばしば述べている。
 孔子が、武城というところの宮廷の儀式で、琴が素晴らしい音で演奏されているのを耳にし、この国では礼が浸透していて国がよく治まっている証拠だと評価する場面がある。
 また、孔子は「楽はもって風を移し、俗を易(か)う」ものであると考えている。楽は、人々をしてよき方向に導くものというのである。
 それは、楽は「調和」を以てこととするものだからである。
 したがって、音楽は、政を行うものにとっては必須のものであるとともに、人々が正しく生きるための根本になるものというわけである。

 平安人もこの教えに則っていたのである。音楽は、単なる個人的な趣味や楽しみではなかった。また王朝の雅でもなかった。それは上に立つ者にとっての必要にして不可欠な条件だったのである。楽をよくする者は、人々をなびかせる力を持つ人ということである。
 源氏は、女楽が終わった後、夕霧に向かって熱く「楽」について語る。
 『(七絃琴によって)悲しび深き者も喜びにかはり、賤しく貧しき者も、高き世に改まり、宝にあづかり、世に許さるるたぐひ多かり』
 これは琴の技を極めた准太上天皇・源氏の、「理想の世」の在り方を語った彼の思いのほとばしりなのである。



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