郷愁

蛍幻想

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   螢 幻想

 7月の中旬だというのに、
 「まだ蛍が飛んでいるよ。」
と言う人がいる。それを聞いて私は、
 「え?“まだ”?“まだ”とはどういう意味なの?」
と不思議に思った。というのは、7月なら、蛍が飛んでいるのが当然のことだからである。7月中旬といえば、蛍は出始めたばかりで、むしろこれからが盛りの季節ではないのか。そもそも蛍は8月の風物詩なのだ。蛍狩りだって、浴衣を着て団扇を持って行くではないか。団扇も浴衣も、もっともふさわしいのは8月だ。
 子供のころ盛んに蛍を取ってきては、蚊帳の中に放して観賞したものだが、蚊帳もまた夏の風物であり、8月の象徴のようなものだ。
 それが、最近は、7月中旬なのに「まだ蛍が・・」という。蛍は6月の風物になってしまったとでも言うのだろうか。
 そういえば、随分以前のことであるが、蛍にはまだまだ早い季節だと思っていたのに、「もう蛍は遅くてあまり見えないかもしれない」という言葉を聞いた記憶が残っている。
 あれは、山口県の湯田温泉に行った時のことだ。宿で夕食が終わると、
 「蛍狩りの車を出しますからご希望の方はどうぞ。」
という案内があった。もちろん、私は参加することにしたが、 宿の人が、私たちを送り出す時に、
 「もう蛍の季節としては遅いので、あまり見えないかもしれませんよ。」
と言ったのだ。その時、
 「え?6月だというのにもう遅いというの?山口県の蛍は関東と違って、ずいぶんそそっかしいのだな。」
などと思ったのだ。
 そこで、改めてその頃の日誌を見てみたら、やはり湯田温泉に行ったのは、6月10日だった。それでも、蛍の生息地についてみると、まだまだずいぶんたくさん飛んでいた。この様子では最盛期の六月初めにはさぞかし多くの蛍が飛んでいたのだろう。町の中を流れる小さな川の遠近(おちこち)を、たくさんの蛍が明滅しながら飛んでいた。あるいは、草の葉に止まって光っている、あるいは消えている。何十年ぶりかで日本の夏の風情を堪能することができた。
 
 その後、湯田温泉は蛍の名所であることを、放浪の歌人・山頭火の句集で教えられた。
 『大橋小橋ほうたるほたる』
 この句は、山頭火が湯田温泉で歌ったものであるが、その前書きに、「湯田名所」とあった。6、70年もの昔から、ここ湯田は蛍の名所であったのだ。山頭火の句のように、川のおちこちに大小の橋がかかっていた。私は、その橋をあちらに渡りこちらに来て、蛍を観賞したが、私が見たように、蛍が飛び交っている様を山頭火も目にしていたのだ。
 山頭火の蛍の歌にもう一つ次のようなものがある。
 『ほうたるこいこいふるさとにきた』
 山頭火は、山口県防府市の生まれだ。「ふるさとにきた」とは、諸国を放浪遍歴して久し振りに故郷に帰ってきた、そして蛍を見たということだ。防府は湯田温泉に近い。防府にも蛍が多いのだろう。
 何か童謡『ほたるこい』を連想させ、童心を感じさせる句だ。日々つらい山行水行している山頭火が、ほっと気を休め、童心に返ったのであろう。やはり山頭火が故郷で見ていた蛍も6月だったのだろうか。
 私は、野草のホタルブクロが好きで、何鉢かのホタルブクロを栽培している。子供のころ、このホタルブクロに、蛍を捕まえては、中に閉じ込め、花の中で淡く明滅する光を楽しんだものだ。だから、私にとっては、蛍とホタルブクロは親戚のようなもので、今こうしてホタルブクロをいつくしんで栽培するのは、子供のころの郷愁からなのかもしれない。
 そのホタルブクロと言えば、やはり7、8月の花に決まっている、と思っていた。
 で、我が家のホタルブクロは、毎年いつ咲くのかと、日記で確認してみた。すると今年も去年も一昨年も申し合わせたように、5月末の日記に、
 「ホタルブクロ咲く」
とあるではないか。ホタルブクロの開花は、なんと5月の末であったのだ。ホタルブクロの花期は長いとはいえ、どうも最盛期は7、8月ではなったようだ。
 「あれ?やっぱり私の勘違いであったのかな。」
 ともあれ、早速、蛍がまだ飛んでいるという生息地に行ってみた。
 「飛んでる、飛んでる。」
 「まだ」と言っていたから、最盛期にはもっともっと多いのだろうが、それでも「スーイ、スーイ」と、いくつもいくつも淡い独特な光を光らせながら、飛んでい
る。ほんの狭い場所ではあるが、周囲には人口の光はまったくなく、深い闇の中を蛍の光だけが、光っては、消えている。時に、水辺からどこまでもどこまでも高く光を明滅させながら登っていくかと思うと、別の蛍が右から左へと飛んでいく。
 
 子供のころに見た光景を彷彿(ほうふつ)とさせてくれた。蛍は、だれにとっても心の故郷であり、郷愁なのであろう。
 この蛍の生息地では、ごく最近まで、わさびが栽培されていた。それほど清らかな水の湧き出るところなのだ。今でもこの付近には清らかな水が湧き出ていて、蛍の姿を遠近で見ることができるという。夏には、孫をつれて、このわさび田に近い
小川に入ってみたことがある。網をすくうごとに幾つものカワニナが網の中に入ってきた。それほどこのあたりは蛍が生息するに絶好の場所なのだ。
 昔は、このわさび田の付近のみならず、綾瀬にはいたるところに蛍が生息していたものだ。妻に、
 「あなたは子供のころどこで蛍を見た?」
と聞いてみた。すると、
 「どこでだったかな?」
と首を傾げるばかりである。しばらくして、
 「ああ、そうだ私の家の前が田んぼだった。」
 なんと、毎日毎日見ていたもので忘れてしまったらしい。
 
 清少納言は、蛍を『枕草子』の中で第一番に登場させている。
 「夏はよる。月の頃はさらなり。やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただひとつふたつなどほのかにうちひかりて行くもをかし。」
 「ただひとつふたつなど…」という簡にして要を得た表現は、清少納言の鋭い観賞眼があって初めてできるものだ。 
  江戸の庶民にとっても、蛍は楽しみの一つであった。『大江戸暮らし』(PHP~ 大江戸探検隊~)に、
 「夕涼みも兼て人気のあったのが、蛍狩り。王子音無川、谷中、麻布、隅田川、神田川と、当時はいたるところで蛍が見られたものである。」
とあった。やはり「いたるところ」で見られたのだ。
  蛍は江戸小咄などにもよく登場する。
 (その1)
 「おやじさん、蛍狩りに行ってもいいかな。友達に誘われたんだ。」
 「おお、そうか、行ってもいいがな、日の暮れないうちに帰ってきなよ。」
 (その2)
  小僧さんを連れて、御店の御内儀さんが蛍狩りに出かけた。小僧さんが、蛍が 御内儀さんの項(うなじ)に止まっているのを見て、言った。
 「あ、御内儀さんの項に蛍が止まっていますよ。」
  すると、御内儀さん慌てて項に手を伸ばして、蛍を落とそうとした。御内儀さ んの手が蛍に触れた途端に、思わず、
  「あチチ!」
 
 ところで、『螢』という字は「火」二つと「冖」および「虫」である。
 この漢字の上部は、『營』や『榮』などと同じで、“あるものをまるく囲んでいる様子”を表す。『營』は「陣営」「兵営」などの『營』で、「周囲をたいまつで取り巻いた陣屋」のこと、『榮』は「まるく取り巻いて咲く花」のこと、『螢』は
「光の輪がまるく取り巻いたほたる」のことである。(「漢和大字典」 学習研究社より) ただ、私は、これらの漢字は単に「あるものを取り巻いている」という状態を意味しているだけではないと思っている。そこに「火」という字が二つもあるのだか
ら、なんらか「火」の意味を含んでいるはずである。
 「營」と「螢」は、“たいまつ”と“光の輪”を含んでいるから、当然「火」と関係しているのだが、それでは、「榮」はどうであろうか。
 これは、“花が、今を盛りと火のように燃えている”状態であろう。“繁栄”とか“栄華”がこのことをよく表している。『榮』の字は、本来一つの花の花びらが、雄しべ雌しべを取り巻くように咲く様子をいっているのではく、一本の樹木全体を
取り巻いて、火のようなあでやかさで咲き誇っている様子を表すものであろう。桜の花や山つつじが満開の時はまさに火の如しである。
 さて、花はやがて「散る」ものである。「花の命は短くて」である。繁栄も栄華も一時のものだ。 
  同じように、「火」というものは本来「消えゆくもの」を意味する。だからこそ、火には人の心をして万感足らしめるものがあるのだ。
 中学生のキャンプファイアーなどで、火を囲んで楽しく歌い語っているようであっても、何か運動会などの楽しさとは違うものがある。そこには一抹のわびしさがあるものだ。まして、その火がだんだん消えゆく時は、もののあわれなどとは程遠いはずの中学生でも、みなしんみりとし感傷的になる。『おもしろうてやがて哀しき鵜飼いかな』である。
 「かがり火」も、煌煌(こうこう)と燃えているようであっても、何か一抹の寂しさを感じさせるのは、闇の中の光りであり、やがて消えていくものだからだ。鎌倉の「薪能」を何度か見たことがあるが、見るたびに心をじんと締め付けるわびしさを感じたのは、能そのものの幽艶さもさることながら、闇の中のあの「薪」あるがゆえなのだ。  蛍の光は、もともとほのかでわびしく哀れを誘うものである。『蛍雪の功』という言葉があるが、どんなにたくさん蛍を集めてみても、その光りで本を読もうなんてことは無理なことだ。(『国民大百科事典』(平凡社)を引いてみたら、「中国、台湾その他熱帯のマドホタル類は、大型で光りも強く、たくさん集めればこのようなことも可能と思われる。」とあった。でも、いくらなんでも、光りが灯ったり消えたりしていたのでは、さすがの車胤(蛍の光りで学問をして、後、出世したいう中国の晋の時代の人)も、おちおち本も読んではいられなかったろう。それに、乱視になって学問をあきらめなければならなくなる。)  ほのかでわびしいがゆえに、蛍の光は人の心をとらえるのである。「蛍狩り」などと言って、大勢で騒ぎながら見ていても、なにかわびしい感じを拭うことができないものだ。
 まして一人で見ていると実に寂しく感じる。「スーイ スーイ」と明滅しながら飛んでいる姿は、感傷を誘わずにいない。  蛍のあの明滅は、“盛”と“衰”とを暗示させるものであり、畢竟(ひっきょう)、“生”と“死”を暗示するものでもある。
 蛍が6月に飛ぶにせよ、7月に飛ぶにせよ、あるいは8月に飛ぶにせよ、夏は、秋を背負っていることに違いはないのだ。
 
 『草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ』 斎藤 茂吉
 『蛍火や疾風のごとき母の脈』 石田 破郷



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