郷愁

おかあちゃん

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  おかあちゃん

 ホ-ルコンサ-トで、モ-ツアルトの『ああ、お母さん聞いてよ』というピアノ変奏曲の演奏があった。この曲は『キラキラ星』として日本でも親しまれている曲であるが、元々はフランスの歌だということをこの時初めて知った。
 演奏のあと控室で、、私は、演奏者に「『ああ、お母さん聞いてよ』という題はとてもいい感じがするのだけど、歌詞は分かるんですか。」と聞いてみた。すると彼女は言った。
 「この曲は非常に官能的な歌詞で、娘が恋人である彼氏との交際のようすを生々しく母親に聞かせているという内容です。」
 あれ、あれ、『キラキラ星』が元の歌だというから、私は、当然幼児が、幼稚園か近所の遊び仲間とのあれこれを、「ねえ、ママ、ママ、…」と甘えながら母親に話して聞かせているような光景だとばかり思っていたのに、年ごろの女の、それも生々しい官能的な歌詞であったとは意外なことで、私のイメ-ジとはまるで異なった内容だった。実は、私は、この“お母さん”という言葉ほど心ひかれる言葉は他にないと、いつも思っていたので、この歌の題に関心を寄せていたのだが、なんとなく腰を折られた気がしてしまった。。
 とにかく、この“母”という言葉ほど心をゆする言葉はない。母はだれにとっても温かい郷愁であり、オアシスである。
 だからこそ、世界中の詩や歌に限りなく登場するのだ。フランスのシャンソンの「ママ、歌ってください…」も、日本の「母さんが夜なべをして…」も、静かに嫋々と人々の心をゆすりながら歌い継がれている。
 人口に膾炙される「母」の歌は枚挙にいとまがないが、そのうちのいくつかを見てみよう。
 まず、サトウハチロ-の『おかあさん』(オリオン社)二題  
  
 『おかァさんは おかァさんは』
  おかァさんは おかァさんは
  朝はかまどの ほのかな匂い
  日ぐれの小窓の 夕月の匂い
  裏のものほしの 竹竿の匂い
  庭の縁側の 日だまりの匂い
  そうしてそうして わが家の匂い
 
 『この世の中で一番』
  この世の中で一番
  美しい名前 それはおかあさん
  この世の中で一番
  やさしい心 それはおかあさん

  おかあさん おかあさん
  悲しく愉しく また悲しく
  なんども くりかえす
  ああ おかあさん

 石川啄木にはあまり母を歌ったものはないが、それでも次の歌を知らない人はないだろう。
 『 たわむれに母を背負いて そのあまり かろきに泣きて三歩歩まず 』
 斎藤茂吉には母を歌った連作『死にたまう母』がある。
 『 わが母よ死にたまいゆくわが母よわれを生まし乳足らし母よ 』
 現代の家人・俵万智は
 『 買い物に出かけるように「それじゃあ」と母を残してきた福井駅 』
と歌っている。

 私は子供のころ、母親を「おかあちゃん」と呼んでいた。兄弟もみなそう呼んでいたと記憶している。ところが、近所の遊び仲間はみな「おっかぁ」であった。女の子もそう呼んでいた。したがって、私の家の呼び方の方が、上品で都会的であるといつも自負していた。 
  ところが、いつのころからかこれが逆転してしまったのだ。
 突然『お母さま』と呼び始めた家が出てきた。これには出し抜かれて家族そろって「しまった!」と嘆いたものだが、時すでに遅かった。それにしても、「お母さま」とは、四階級特進である。「おっかぁ」との間には「かあちゃん」「おかあちゃん」「お母さん」があるのだ。
 このころを機に、悪がきも田舎娘も、「お母さん」と呼ぶようになった。が、私は相変わらず、「おかあちゃん」を使い続けた。これが私には一番フィットするし、いったん使い慣れた言葉を改めるのは難しいものだからだ。そんなことで、ついに“お母さま”はもとより、“お母さん”を使う機会は訪れなかった。
 ところが、今、私は妻を「お母さん」と呼んでいる。自然になんのてらいもなく呼んでいる。それはいったん子供を媒介にしているから、ごく自然にそう呼ぶことができるのだ。しかし、妻は私の母親でないことは当然のことであるが、時々母親みたいなお説教を私に向かってすることがあるから、やっぱり「お母さん」なのかもしれない。
 俵万智もこんな歌を歌っている。
 『妻のこと「母さん」と呼ぶためらいのなきことなにかあたたかきこと』
 私の娘たちは、「ママ」と言う言葉を使わなかったような気がする。というより、「ママ」と呼ぶのを早い段階でやめさせた記憶がある。そもそも「ママ」は英語であって、私にはあまり馴染みがない。やはり、私の親しんだ「おかあちゃん」の快い響きを早く彼女たちに実感させたかったのだ。また、私自身も、私が使い慣れた「お母さん」の持つ温かい響きを、子供の声を通して実感したかったのだ。
 今、孫たちは、母親を「ママ」と呼んでいる。今年小学校に上がった孫も「ママ」だ。先日も、母親のことを「お~い!ママ!」なんて呼んで、母親からひどく叱られていた。
 「“お~い、ママ”とはなんですか。ちゃんとママって言いなさい。」
 そこで私は孫に言って聞かせた。
 「おじいちゃんはね、おばあちゃんのことを“お~い、お母さん”なんて言わないよ。“お~い、お茶”か“お~い、新聞”だよ。」
 すると、孫は今叱られたことなどすっかり忘れてケラケラ笑っていた。
 一番下の孫はまだ言葉がよく出ない。片言である。ところが、「ママ」だけは言える。ただし、私に向かっても「ママ」と言う。「おじいちゃんをママって呼んだぞ。」と得意になって言うと、娘は、「私を呼んでいるのよ。」とむきになっていたが、孫にとっては何でもママなのであって、それがとにかく一番使いやすいというだけの話である。
 娘の子供たちにまで、「お母さんと言いなさい。」とは強要しはしないが、早くママから「おかあちゃん」に代え、あの羽毛ふとんのような温かさを実感してほしいものだとは思っている。



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