郷愁

栗 あれこれ

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   栗 あれこれ

 今年もまたMさんが栗を持ってきてくれた。Mさんのお宅の栗は毎年おいしいのだが、今年は格別おいしかった。全部食べしまった時に、「とてもおいしかったですよ」とお礼の電話をしようと思ったが、それではどうも催促しているようで、あつかましい。結局、駅で売っていた栗を買ってきて食べた。それは、Mさんの家の栗ほどではなかったが、それでも例年よりおいしい気がした。
 
栗は子供のころから、私にとってこの上ない好物であった。栗ほどおいしいものはないと思い続けて来た。
 昔は、あの固い栗の皮を直接歯でむいて食べたものだが、母は一つ一つ丁寧に包丁でむいては食べていた。
 「ずいぶん非能率な食べ方だ。あれじゃああまり食べられないのに」
と思いながら、私は私でどんどん歯でむいては、食べまくった。だから、母よりもはるかに多く食べたはずだ。「こんなおいしいものをどんどん食べなければ、人に食べられてしまう」という思いばかりが先にたって、父も母もなかった。
 ところが、最近は歯でむく自信がなくなった。私は入れ歯などなく、自分の歯はまだまだ丈夫なので、むいてむけないはずはないのだが、さすがに「もし歯がポリッと欠けでもしたら大変だ」と思うと、怖くてできない。それで、今では母と同じ食べ方になってしまった。母ほど器用ではないが、それでもまずまずの包丁さばきでむいている。今は、「食べられてしまう」相手もいないから、ゆっくり食べていても安心だ。
 固い皮が渋皮といっしょにひょっこりむけ、あの真黄色の、というよりも金色色の実が割れもせず、元の形のままで姿を表した時はなんとも言いようがない。その実を丸のまま頬張る、まさにこの世の極楽を感じる一瞬である。
 そのように渋皮まで上手にむけた時などは、妻に
 「ほら、うまくむけたから、お食べ」
などと優しい声をかけたいのだが、あの金色色を見ていると、つい自分の口に入れてしまう。 栗は、栗ご飯にしたり吹き寄せにしたり、あるいは、栗ようかんや栗きんとんや渋皮煮などにするが、私は、茹(ゅ)でて食べるのが一番好きだ。茹で上がって、しばらく水に付けておくと、水分を含んだ栗から、むいた途端に「ぴゅー」と汁が飛び出す、あの汁の甘露なことといったらない。
 「栗よりうまい十三里」
とはよく言ったものだが、この表現は「本当は栗の方がおいしいけど」と白状しているようなものだ。元来「〇〇より…」という表現は、〇〇の方がいいということを証明しているのだ。
 たとえば、「富士山より美しい□□山」と言った場合は、富士山のほうが美しいに決まっているのだ。栗に比べられる美味なるものはこの世にはないのだから、どんなにおいしいサツマイモだといっても、栗と比べてはいけない。
 
実家の屋敷には栗林があった。ここは私にとつて思い出の場所である。もちろん朝露を踏んで栗を拾う楽しさなどがあったからであるが、クツワムシを取ったり、アカマンマを採ったりした、子供のころの生活の場でもあったからだ。
 あのころは、家族が8人もいたので、朝のトイレが大変だ。だいたい誰かがトイレに入っている。我慢ができなかったり、時間に追われたりしていると、駆け込み寺にしたのがこの栗林である。紙は持っていないから栗林の葛の葉か何かで後始末したのだろう。
 突然空襲警報が鳴りだした時に、栗林で用をたしていた兄が、ズボンも上げずに家の中に駆け込んで来たのも、この栗林だ。そういう生活の場でもあった。
 
栗の花は独特な匂いがする。「匂い」というよりも「臭い」だ。お世辞にもいい匂いとは言えない。6月ころであろうか、どこからか妙な臭いがしてくるな、と思っていると栗の花の臭いだ。何に例えたらよいか分からない。とにかくあの独特な臭いは例えるものがない。
 その花自身も、とても「花」とは言えないしろものである。これは例えるならば、試験管の汚れや煙突のすすを落とす時に使う、小型ねじ巻き状の掃除器のようなものだ。
 咲き方もだらしない。どれもどれもたらんーと垂れている。
 栗はよく絵画や華道の題材にされるが、その花ばかりは題材にされたことはないと思う。それでも俳句に、
 『栗咲いて風雨の森に鮮しき(貞)』
などと、細々詠われている。
 そういえば、栗のイガとてそうだ。トゲトゲ、トゲトゲ、なぜあれほど武装しなければいけないのだろう。外敵から身を守るとしか考えられないのだが、完熟すれば自ら割れて、実を落とすのだから、結局リスなどに食われてしまう。その意味で外敵説は根拠がない。
 あの締まりのない、しかも妙な臭いを発する花やトゲトゲから、なぜこの世のものとも思えない美味なる実ができるのであろうか。今もって分からない。
とにかくあの実は別格だ。イガの割れた間から栗の実が二つ、三つ姿を表している様子はよく絵画の題材にされる。いかにも絵心を誘う風情があるからだ。
 
ところで、旅の歌人などは、栗の実をどう歌っているのだろうか。
 まず山頭火はどうだろう。ところが、彼の句には栗は詠われていないのだ。では、会津八一はどうだろう。『自註鹿鳴集』をさらってみたが、やはり一つもない。若山牧水は2、000首もの作品の中にたった一首だけであった。
 なぜなのだろうか。絵師や華道の先生の目には止まっても、旅の歌人の目には止まらないということなのだろうか。旅を栖としている歌人にとって、秋の山路の栗は切っても切れない存在のような気がするのだが。
 一方、柿は、山頭火の歌にも八一の歌にも登場する。
 『 柿の木のむかうから月が柿の木のうえへ]
 [ 柿が赤くて住めば住まれる家の木として』    山頭火
 『かきのみを になひてくだる むらびとに]
  いくたびあひし たきさか(奈良の滝坂)のみち』  八一
 たしかに、秋の風景の中で、まず目に飛び込んでくるのは柿で、色も鮮やかでいかにも存在感がある。それに比べて、栗はごく近くに行かないとそのよさが分からない。それが栗の歌の少ない原因であろう。牧水の唯一の栗の歌はこうだ。
 『かりそめにひとつ拾ひつ 二つ三つひろひやめられぬ栗にしありしか』
 この歌のように、栗やどんぐりは、子供心を刺激する。拾うことに夢中にさせる何か魅力がある。あどけない話である。
 一方、童謡や童話にはよく登場する。たとえば、『里の秋』だ。情緒纏綿としていて日本人の心に響くいい歌だ。
 『 しずかなしずかな 里の秋
  お背戸に木の実の 落ちる夜は
  ああ、お母さんと ただ二人
  栗の実 煮てます
  いろりばた』
 この子は、母子家庭なのかと思っていたら、戦地に行っているお父さんを偲んでいるのだということが、二番・三番の歌詞で分かった。
 『…ああ とおさんの あの笑顔 栗の実食べては 思い出す…』
 『…ああ とおさんよ ご無事でと 今夜もかあさんと いのります…』
 この童謡には、「栗」がもっともふさわしく、秋の果実なら何でもよさそうなものなのに、栗以外の何ものも当てはまらないから不思議だ。たとえば、“柿”に代えてみよう。でも、「柿の実むいてます」ではゴロがよくないし、そもそも「お背戸に木の実の 落ちる夜は」と一貫性がなくなってしまう。「梨」もだめ、「イチジク」なんてなおさらだめ。みんな失格である。やはり栗しかない。
 もう一つ、北原白秋の童謡・『ペチカ』にも栗が登場する。
 『…栗よ 栗よと 呼びます ペチカ』
 万葉集では、山上憶良が栗を詠っている。
 『瓜食めば子ども思ほゆ 栗食めばまして偲ばゆ 何処より来たりしものぞ 目交(まなかい)に もとなかかりて 安眠  (やすい)しなさぬ』
 奈良の時代も、栗と言えば子供であったようだ。先の及川貞の俳句にも憶良の歌とあい通じる句がある。
 『ひとつひとつ栗むきやりし子は遠し』
 このように、栗は子供を連想させるようである。栗のあの独特な愛らしい形態は子供を連想させずにおかない。それから、さらに家族をも連想していくのであろう。
鷹羽狩行は次のように詠っている。
 『栗をむく我が家に口も手も増えし』
 奈良から現代まで、栗は人と人とのきずなであり、心の故郷であった。
 
さかのぼって、縄文時代はどうだろう。
 三内丸山遺跡は縄文中期の遺跡であるが、この遺跡の発掘によって、古代史に対する考え方がいろいろ見直された。
 見直しを迫ったもののうち、特に栗の存在は大きかった。たとえば、地中に残っていた六本の柱列の柱の材は、栗の木であった。それが地中に5、000年の時を経て残っていたのだ。栗材の耐久性を証明したことになる。栗は古代人の住文化を支えていた。
 そして、さらに驚くべきことは、彼らの主食が栗であったことだ。三内丸山遺跡の周辺は栗の林になっていた。
 この間のことを渡辺延志氏が次のように述べていられる。(朝日新聞)
 「クリが大きな比重を占めていたことは、土に含まれる花粉の分析で明らかになった。背後の八甲田山では縄文の時代から現在まで一貫してブナ林が続いているのに、三内丸山では定住が始まるとクリが増え、集落の最盛期には周囲はクリ林一色という状態。野生のクリに比べると三内丸山のクリは遺伝的性質のバラツキが少ないこともDNA分析で判明した」
 つまり、彼らは栗を『栽培』していたのである。よい品種を残しては次々よりよい品種に改良してきた。そのような栽培技術が今から5、000年もの昔に行われていたことは、驚異である。
 このことから、“縄文時代は狩猟採集の時代”という考え方も、日本での稲作の始まりについても再考を迫られたのである。それに、縄文人が、意外に文化的で科学的な生活をしていたとも考えられるのだ。
 これらの歴史的再考を促したのが栗であるということが、“栗派”の私にとっては、この上ない自慢であり名誉である。栗はおいしいだけではなかった。食と住という面で人間の生活を支え、人類の命を守ってきてくれたのだ。
 最後に、良寛さんの歌に次のような歌があるのでみていってみよう。
 『月読みの光を待ちて帰りませ 今宵は栗のいがの多きに』
 今さら、解釈の必要はないだろうが、良寛さんの家にお客があった。夜もふけてきたので、お客は、「そろそろおいとま致しましょう。」と言う。しかし、良寛さんは、お客をまだ帰したくない。人恋しさも手伝って、もっともっと話していたい。そこで、
 「いやいや、まだ早いではないですか。それに今夜はまだ月が出ていませんよ。月読みの明るい光を待ってからお帰りになればいいではないですか。それに山路には栗のいががあって、御御足を痛めるといけませんよ。」
と引き止める。
 強引に引き止めるわけではない。栗のいがに託してやんわりと引き止めている。いかつい栗のいがが意外なご活躍だ。(実はこの歌万葉集からの本歌取り)
 
 栗は、人間の食と住を支えてきてくれたとともに、親と子と、そして、人と人とのふれあいのきずなともなって、我々の心をもまた支えてきてくれたのだ。



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