郷愁

曼珠沙華 歌幻想

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   曼珠沙華 歌ファンタジー
 
 9月になると、連日のように彼岸花の情報が新聞やテレビで流される。神奈川県では伊勢原の日向薬師や藤沢、茅ヶ崎の市境を流れる小出川などの彼岸花が大きく報道された。また、彼岸花の名所と言われている埼玉県日高市の巾着田には、連日多くの観光客が押し寄せ大変賑わっているという。この巾着田は、22ヘクタールの広大な敷地に、100万本の彼岸花が自生しているというから、その規模の大きさは察するに余りあるほどである。さぞ見事なことだろう。
 これほど連日彼岸花が紹介されるということは、この花が、美しいからに他ならない。確かに広々と広がる田んぼの畦に連なって咲く彼岸花、あるいは一叢、一叢と点々と咲く彼岸花の様は、日本の秋を彩る風物として何にもまして情緒豊かである。
先日、墓参りに実家に行った時のことである。話はこの巾着田のことになった。私が
 「一度は行ってみたいものだ」
と言うと、義妹は
 「わざわざ行くこともないわよ。これ持って行って飾って」
と数本の彼岸花を刈り取ってきてくれた。下の田んぼの畔に咲いていたものだと言う。義妹も彼岸花が好なのだ。
 孫たちが以前住んでいたのが滋賀県八日市。米原から八日市まで近江鉄道が走っている。長閑なローカル線で、秋になると沿線は彼岸花一色になる。稲穂の垂れた一面の田んぼとその畦に咲く彼岸花を車窓から眺めるのも、孫の家に行く一つの楽しみであった。
  
 ところが、大和の泉の森公園を散歩している時に、意外な会話を耳にした。園内にある墓地に彼岸花が群生していて、今が盛りと咲いていた。そこを通りかかった時、3、4人の男の人たちの会話が聞こえてきた。
 「お〜、これは凄い!なんとも綺麗なもんだなあ」
すると別の男が言った。
 「綺麗でもなんでもないや。気持ちが悪いだけだ」
 おや、おや、なんと根性の曲がった人だろうと思ったのだが、よくよく彼岸花を見てみれば、必ずしも「綺麗」だけでは片付けられないものがこの花にはあるなと思った。
 娘も彼岸花には特別な思いがあるのか、神奈川新聞に掲載されていた南足柄市怒田の彼岸花の写真を見て、ぶつぶつ独り言を言っている。
 「彼岸花とはこんなに群生して咲くものか・・。ただこの花が一本だけ咲いているのを見たら、そら怖くて気持ち悪いわなア!」
 そのうち母親にこんな話をし始めた。
 「ほら、前に斎藤隆介の『花咲き山』っていうの絵本があったでしょ。滝平二郎の絵で。あの絵の花が彼岸花だったのよ。あの花、怖かったわ。『花咲き山』という童話そのものがなんか怖いでしょ。だからだとは思うのだけど・・」
 どうやら彼岸花の評価は人によって大きく分かれるようである。
 
 彼岸花ですぐ思い出すのが、中学校の国語の教科書に載っていた木下利玄の二首の歌である。

 『曼珠沙華咲く野の日暮れは何がなしに狐が出るとおもふ 大人の今も』
 『曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよし そこ過ぎているしづかなる径』

 今でも忘れることがないのは、この歌が不思議な雰囲気をたたえているからである。利玄は、曼珠沙華を必ずしも美しい花とは見ていない。むしろ不気味なもの、この世のものでないものとして捉えている。
 一首目は、曼珠沙華を“狐”のイメージに重ねて、尋常でない世界を詠っているが、二首目の歌も、単なる情景描写の歌ではない。真っ赤な曼珠沙華の一群だけに西日がかっーと射している光景は、それだけでもただ事ではないものを感じさせるのだが、そこを真っ直ぐに過ぎている一筋の小径とは、一体どこに行く道であろうか・・と考えてしまう。
 
 彼岸花が、不気味さや気持ち悪さや、尋常でない世界を感じさせるのは何だろうか。
 一つは、この花がしばしば墓地や寺の境内に咲いているということに繋がっていよう。つまり、彼岸花には、死と隣り合わせて咲くというイメージが付きまとっているのだ。この花を別に“死人花”とか“幽霊花”と呼ぶのもそれを現わしている。
 泉の森公園で行なわれた植物観察会の時に、案内人がこんな話しをしていた。
 「昔から『彼岸花を屋敷の中に植えるな』という言い伝えがあります。この花を屋敷に植えると不幸なこと不吉なことが起こるというのですね。そう思わせるものがこの花にはあるのでしょうね。そこで私も植えてみました。ところが、何にもありません。屋敷に植えてからもう随分経ちますがね、なんの不幸も不吉も起こりません」
 しかし、彼岸花が死をイメージさせたり、不吉なことを感じさせたりするのは事実である。
 異様なものを感じさせるのは、この花の咲き方にもあるかもしれない。
 まずはその色のあまりにも鮮烈過ぎる赤によっていよう。それは紅蓮の火焰であり、死人を焼く火を思わせ、灼熱地獄の炎を思わせる。また、鮮血をもイメージさせる。いずれにしても尋常ではない色である。それが何百株、何千株と群れて咲いているのを見れば、「何か不可思議なことがありそうだ・・」とか、「不吉なことが起こるかもしれないぞ・・」と思ってしまうのも当然である。
 
 もう一つは、普通の花とは全く違う咲き方である。普通の花は、葉と茎と花とがバランスよく咲く。だから安心して見ていられる。ところがこの花の何という不可解な咲き方か。するりと30センチもの高さに延びた青白い茎の上に、突然弾けたように大輪の花を開く。葉はどこにあるのだろう?と探しても見当たらない。それもそのはずで、葉は春先には枯れてしまっているのだ。彼岸花は、葉と花とは全く無関係に生きている。不協和音の典型のようなもので、そこに我々は不安や妖しさを感じ取るのだ。
 さらに6片の花被は外側に反り返り、ねじれてくねっている。また雄しべも雌しべもこれ以上はないというほどに突出していて、よくよく見れば確かに「変な花!」である。娘は敏感にその辺を感じ取ったのであろう。
 「一本だけ咲いているのを見たら、そら、怖くて気持ち悪いわなア」

 咲き方以外の理由としては、その根に毒を持つということもあるかもしれない。彼岸花はこの面でも死と直結しているのだ。先の観察会の時に、案内人はこんな話もした。
 「彼岸花を田んぼの畦に植えるというのには根拠があるのです。その根に毒があるものですから、ネズミが田の畦を荒らさないということです。昔、民家の家の壁には彼岸花の根を塗り込めたものです。勿論これもネズミの被害から家を守るためです。
しかし、彼岸花の根茎は非常食でもありました。飢饉の時にはこれを食べて飢えを凌いだのです。よく晒したりよく乾燥したりすれば非常食になったんですね」
 
 さらに、“彼岸花”という名そのものも、日常を越えた雰囲気を漂わせている。“彼岸”とは、生死の海を渡った向こう岸ということである。彼岸の反対は“此岸”。つまり、彼岸花は、向こう岸に咲く花であって、此岸つまり現実世界の花ではないということだ。単に彼岸のころに咲く花ということではないのだ。そう思ってみると確かにあの咲き方はこの世のものではない。
いずれにしてもこの花は、さまざまな想像を掻き立てる要素を持っている。菜の花やサクラが、極めて単調なイメージなのとは対照的である。高野辰之の『朧月夜』や『さくら』をみてみよう。
 
 『菜の花畠に 入日薄れ            
  見渡す山の端 かすみふかし         
  春風そよふく 空を見れば          
  夕月かかりて 匂い淡し』

 『さくら さくら
  弥生の空は 見渡すかぎり
  霞か雲か 匂いぞ出ずる
  いざや いざや 見にゆかん』

 菜の花はひたすら人の心を温かく和ませ、サクラはひたすら人の心を明るく浮き立たせる。菜の花やサクラに不吉や妖しさを感じ取る者はいない。 正木ゆう子の句

 『サヨナラがバンザイになる花菜道』

 『読本・俳句歳時記』(産調出版)には、曼珠沙華がなんと95句も載っている。これは、秋の花では最も多く、菊の66句、萩の52句を圧倒している。そして概ね、不思議で不可解な、不吉で妖しい世界を詠っている。いくつか上げてみよう。

 『つきぬけて天上の紺曼珠沙華』      山口 誓子
 『なかなか死ねない彼岸花咲く』      山頭火
 『曼珠沙華滅びるものの美を美とし』    竹下しづの女

もっとも中には滑稽で面白い句もいくつかはある。次の句などがそれである。

 『曼珠沙華まだまだ女止めません』     山尾 玉藻
 『曼珠沙華真っ赤な嘘でかたまれり』    伊藤 敬子
 『曼珠沙華折れやすく恋冷めやすし』    津田 清子

 法華経を説く時に、六つの瑞相が現れるという。その一つの瑞相が、空から降るという四種の華である。四種の華とは
 “白蓮華=曼荼羅華”、“大白蓮華=麻訶曼荼羅華”、紅蓮華=曼珠沙華”、“大紅蓮華=摩訶曼珠沙華”。
 私の寺の日蓮宗大法寺で行なわれる法要で、大勢のお坊様が法華経を唱えながら堂内を回り、回りながら9センチ╳7センチほどの楕円形の紙片を撒く。よく見てみると、楕円の両端が尖っている。それは花びらをかたどったものであった。あの花びらは、今まで法要を賑わす単なる演出かと思っていたのだが、あれこそ法華経を唱える時に現れるという瑞相の一つ、四種の華だったのだ。
 “曼荼羅華”は「天上に咲く花で、見る者の心を喜ばせる」という。“曼珠沙華”は「天上に咲く花で、見る者の心を柔軟にする」という。
 更に改めて大法寺で散華された花びらを見てみた。そこには極彩色の絵が描かれていて、あの毒々しいほどに艶やかな曼珠沙華を彷彿とさせる絵である。彩雲を空に頂き、その下に三重塔や伽藍が、そして手前の池には赤や黄色の蓮の花などが華やかに描かれている。裏面は、赤、金、青、緑、朱の、これも華やかな絵で、龍頭鷁首(りゅとうげきしゅ)のような大船が池に浮かんでいる。極楽だ。
 ここには曼珠沙華は描かれてはいないが、蓮の花と並んで仏教では誠にめでたい花で、人の心を喜ばせ柔軟にする花だったのである。曼珠沙華とは、ますます摩訶不思議な花である。それゆえに見る人にさまざまな感懐を起こさせるのだろう。
 最後に、『読本・俳句歳時記』からもう一句上げておこう。

 『曼珠沙華咲く野に出でよ観世音』      橋本 鶏ニ


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