郷愁

ネズミ騒動・ハエ騒動

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    ねずみ騒動・ハエ騒動


 杉本苑子の『大江戸ゴミ戦争』(文芸春秋)にハエの大量発生の話がある。
 隅田川の河口沖に、江戸市中から排出されるゴミを捨てるためのゴミ捨て場があった。生ゴミだろうが何だろうが捨てに捨てるものだから、ハエやネズミやカラスの格好の餌場になり住家になる。
 ゴミ捨て場にだけいてくれればいいのだが、相手は、羽はあるし、足もある。委細構わず人家を襲う。そして、家屋の天井にはハエが黒山の人だかりとなってしまう。
 これに目をつけたある怠け者が、「ハエ捕り器」なるものを発明した。何ということはない、竹の節(ふし)を抜いて、その上部に厚紙で作った朝顔型の漏斗(ろうと)を、下部に紙の袋を取り付けただけのものである。それでも天井のハエはよく捕れる。
しばらくは、そのハエ捕り器は商品として売れたが、そのうちぱったり売れなくなった。なにせ単純な作りだから、人がまねをし、作って売り出しはじめのだ。だから彼のはすぐ売れなくなった、というユーモアとペーソスにあふれた作品である。

 このハエ捕り器の話から、急に、子供のころを思い出した。
 「そういえばハエ捕り器で天井のハエをよく捕ったものだなあ」
 あれは、もちろん竹製のものなどではなく、ガラス製である。ご存じの方も多いだろうが、長いガラスの管が本体になっていて、上部が朝顔の花のように漏斗状に開いていて、ハエが入りやすくしてある。下部は球状でその中に水を入れておく。
 長い棒状になっているから、高い天井でもハエを楽々つっついて管の中に追い込むことができる。天井に止まっているハエをトンとつくと、すいーっと管を通ってきて、水の入った球状の部分に落ちてきて、そこで彼らはお陀仏になるという仕組みだ。
 もっとも中には足腰がしっかりしているやつがいて、なかなかすいーっとは落ちてこないのもいる。管の途中で盛んに這い上ろうとする。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のカンダタのようなものだ。
 それはとにかく、 なにせ天井をトン、トンとつくたびに管の中をすいーっと落ちてくる。ずいぶん効率的にハエが捕れたもので、心地が爽やかになったものである。
 あれはひょっとすると、ハエの活動が鈍ってきた夕方にでも使ったのであろうか。昼間なら活発に動くから、そう簡単に管の中に入るはずはない。
あんなものを、まさか、江戸の怠け者が作っていたとは思いもしなかったが、それにしても、竹の筒なのによくハエがすとーんと落ちてくるものだ。中に油でも塗っておいたのだろうか。あるいは、江戸のハエは足腰が弱かったのだろうか。何となく眉つばな気もする。あるいは杉本苑子の創作かもしれない。

 ハエ捕りといえば、もう一つ思い出すものがある。ネバネバした薬品を塗りたくった螺旋状(らせんじょう)の紙を、台所の天井などに吊しておくという、ごく単純なものだ。ネバネバ液を塗ってあるだけでなく、ハエを誘き寄せるような芳香剤でも混ぜてあったのだろうか、あれにもハエは実によくかかった。
この道具はごく最近見たことがある。町中を歩いていたら、ある商店に吊されていて、「懐かしいなあ」と見とれていた。  ハエ捕りといえば、今だに使っているのが、ビニル製の、いわゆるハエ叩きだ。ただ、最近はハエがあまりいなくなってしまったので、ハエよりもゴキブリをよく叩く。
 
 ハエといえば、次はネズミだ。ネズミもよく捕ったものだ。
 よく捕れたのが、金網でできたネズミ捕り器である。金網の中にはネズミの好物の南京豆などを入れておいた。今でも時に見掛けることがある。魚を捕る“もじり”のような仕掛けになっていて、ネズミがいったん中に入ってしまうと、出れなくなってしまうのだ。 
  同じように、B4の本の大きさくらいの板に、針金で強烈なバネをしつらえた捕り器もあった。落花生を餌においておき、ネズミが落花生を食べようとして、板にしつらえてある部分を足で踏むや、バネがバチーンと落ちてきてネズミを挟むという仕掛けである。これは、やや残酷なもので、うまくかかるとそのままネズミはお陀仏である。
 
 もう一つの捕り方は我が家独特の方法だ。とにかく傑作な捕り方で、素手で捕るのである。
 我が家では一家の夕食は四畳半で取っていた。隣が八畳の部屋になっているのだが、我々が夕食を取っていると、隣の部屋から、長押(なげし)をツ―ツ―ツ―っと走っているネズミの音がきこえてくる。すると、家族は一斉に立ち上り、「それ!」とばかりに八畳間になだれ込む。一人は部屋の障子や戸をすばやく閉る。一人は明かりをつける。一人は箒やはたきを持って待ち構え、一人はネズミを追い出す、という大騒動になる。
 ネズミの走るコースはいつも決まっている。人の気配を感じると、大体大きな柱時計の裏に隠れる。一人がそこから追い出し、長押を走り回って逃げるのを畳の上に叩き落とすのだ。落ちればもうこっちのものである。
 が、相手も必死だ。「窮鼠猫を噛む」であるから、下手には手づかみできない、箒やはたきで追い回し、弱ったところをご用にする。
 もう一つの捕り方も同じようなものだが、これもふるっていて、今でも思い出すと、吹き出してしまう。やはり、四畳半のこたつに入っていると、こたつの後ろの戸袋で、がさがさ音がする。ネズミに決まっている。
この時は、兄弟二人で捕まえる。一人が戸袋についている小さな引き戸をさっと開ける。もう一人がそれにあわせて、ネズミを叩き出すのである。狭いところなのでタイミングが合わないとだめだ。 
 暗いところで、いい気もちでゴソゴソやっていたネズミは、急に戸が開き、ぱっと明るくなるものだから、一瞬戸惑って目を白黒させている。そのスキにたたき落とすのだが、このタイミングが難しく、年期がいるし、とにかく二人の呼吸が合っていなければだめだ。
 それでも、この捕り方でとらえたネズミの数は、5、6を下らない。

 それにしても、ハエもネズミもそれほどの実害はないのに、我々はなぜ目くじら立てて退治しようするのだろうか。
 ハエは、確かにバイ菌を媒介する。しかし、そのために人間が死んだという話もあまり聞かない。ネズミだって、たしかに、米俵の米を食ってしまうとか、柱を噛るとかはする。でも、そのくらい食わせてあげてもいいではないか。彼らにだって生きる権利はあるのだ。それに、いくら柱を噛ったとしても、建物が倒れてしまうわけではない。噛らずに放っておけば彼らの歯はどこまでも長くなる。そうなればかえって危険だ。
 人間だって、月に一度は爪を切るではないか。それなのに、ネズミというと人間は親の敵にあったように退治しようとする。
蛇は、原始の時代に人間をいじめたものだから、人間は、蛇に対して潜在的な嫌悪感をもち、退治しなければすまない存在として殺したりいじめたりするのだということを聞いたことがある。まさに“蛇蝎(だかつ)”のごとく人間に嫌われるのが蛇というわけである。
  ところが、ハエやネズミが、原始の時代に人間をいじめたという話は寡聞(かぶん)にして聞かない。それに、あの姿からは、とても人間をいじめるとは想像できない。
 そもそもハエはよく見ると実に可愛いい。頭をキョロ、キョロとさせて、大きな目で周りを見る様子などは愛敬たっぷりである。
 また、両足をこすりあわせて何か考えているような様子を見せることがあるが、あれも風情のあるものだ。一茶の句の気持ちがよく理解できる。
 『やれ打つなハエが手をする足をする』
 ただ、うるさいことは事実だ。蚊は、ぶんぶぶんぶと背筋に悪寒が走るようなイヤーな鳴き声であるが、ハエは、ともかくひたすら“五月蠅い”
 ネズミ科の動物はみんな可愛いい。ヤマネなんか最高可愛いい。ネズミだって見ようによっては、リスよりも可愛いい時がある。だから昔から愛されていたのだ。歌舞伎『伽羅先代萩』にだって登場する。ただし、これは悪者役であるが。でも、悪者役にだって歌舞伎に登場できない人間は多い。
 われわれは、童謡『ずいずいずっころばし』や童話『ネズミの嫁入り』や『おむすびころりん』などでネズミに親しんできた。そのくせ、現実にはすぐ退治してしまうというのでは、ネズミにとっては間尺にあわない。 

  中国では、『四害』(スウハイ)といって、ハエと蚊とスズメとネズミが人間にもっとも害を与える存在として、退治にこれ努めた時期があった。悪名高き文化大革命の10年ほど前のことである。
 そのうちの、スズメの退治は傑作である。スズメを見つけるや、村中の者が総出になって、「わい!わい!」追い回す。スズメはうるさくてたまらない。木から木に逃げ回る。それでも、人間はあきらめない。 「こんなところであきらめたら、中国人民の恥である」
とばかり、ドラをたたき太鼓を打ち鳴らして、どこまでもどこまでも追い回す。隣村にいっても状況は同じである。さすがのスズメちゃんも疲れきってしまって、観念し地上にストンと落ちる。「それ!」とばかりみんなで捕まえるというものである。
 うそではない。本当にあった話である。

 それから、10年後、文化大革命が起こった。
 文化大革命では、今度は『四旧』(スウチュウ)といって、四つの古いものを追いかけ回すようになった。“退治”の対象になったのは、古い習慣、古い道徳、古い文化、古い思想の四つである。 
今度はスズメどころではない。中国の古い由緒ある寺院や建物が徹底的に破壊された。また、文化人や伝統的な儒教などの思想家は徹底的な迫害を受けた。文化人たちは、自分のむすこくらいの子たちに、三角の帽子をかぶらさせられ、市中を引き回されたのだ。
 少年宮の少年たちが、“批孔批林”といって、孔子の肖像に向かって、ボールや石を投げて遊んだのもこの時だ。
 文化大革命の時は、ついに100万人の犠牲者(一説には1千万人)を出したと言われている。

 人は、なぜかくも、いったん憎みだすと際限もなしに相手をいたぶるものなのだろう。ハエやネズミやスズメは文化人ではない。文化人は時に社会に仇をなすこともある。ハエやネズミやスズメは、世に対して何の反抗も抵抗もするわけでもない。彼らの不穏な行動など見たこともない。それなのに、「フクロウがカラスに毎日追いかけられるから夜活動する」ように、いつまでもいつまでも追いかけられなければならないから、彼らに安息の時はない。
 我々は、“文化大革命”という貴重な教訓を得ている。この辺でネズミやハエやスズメを追いかけるのはやめようではないか。それが、ものの本質を過たず判断し行動することのできる根本になるからである。
 たかがネズミ、たかがスズメの中に、我々が生きる指針はある。


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