源氏物語

帰ったの?まだ居るの?

 ←ネズミ騒動・ハエ騒動 →祭りの醍醐味
   帰ったの?まだ居るの?  源氏物語たより258

 源氏物語には独特な記述方法がある。それは、「出で給ひぬ」とか「帰り給ひぬ」などといって、光源氏がある場所から退出したように記述されているにもかかわらず、実はまだその場に留まっているという描き方である。これが案外多いのである。物語を読んでいく上でそれほど障害があるというわけではないのだが、時に惑わされることがないではない。

 たとえば『葵』の巻で、葵上の四十九日が過ぎ、源氏が左大臣の邸を退出する時などがその一つである。源氏は四十九日の法要も済んだことであるし、いつまでもここで過ごしているわけにもいかないと
 『院へまゐり給ふ』
ということで、これ以降は院との対面の場面に移るのかと思っていると、実際には左大臣の家を出るまでに大変な時間を費やしているのである。
 源氏がこの邸を去ってしまうことをひどく寂しがる女房たちとの応接や、葵上の母親との歌の詠み交わし、あるいは左大臣との長々とした別れのあいさつ、などが綿々と続くのである。
 そのうち左大臣は
 『「さらば、時雨も隙なくはべるめるを、暮れぬうちに」とそそのかし給ふ』
「時雨が降り続いているから、さあ、暮れないうちに早くお帰りを」と、源氏をそそのかすのだ。それではこれで左大臣邸を去って行くのだろうと思うと、そうではない。またまた二人の会話は続いていく。
 このような例が処々に出てきて慣れないうちは戸惑うことが多い。
 
 このことが一番顕著に出ているのが『須磨』の巻である。
 源氏の大きな後ろ盾であった院が亡くなり、右大臣の時代になった。源氏にとっては何かと煩わしいことばかりが出来(しゅったい)する。そして朧月夜との密会を右大臣に見表わされるに及んで、窮地に立つことになった。官位も剥奪され、これ以上、京に留まっていてもいいことはあるまいと、ついに須磨への退去を決心する。
 ということで、巻の初めには須磨の有様が描かれる。ここですぐさま須磨へ下って行くのだろうと読み進めていくと、予想は全く外れてしまう。彼はなかなか京を出ようとしないのだ。
 京を離れるにあたって紫上の嘆きを気の毒がったり、花散里はますます不如意に陥るのではないかと心配したり、今まで関係した女性方を慮ったり、さては藤壺宮との歌のやり取りがあったり、とそれはそれは腰の重いこと。

 そしてついに
 『三月二十日あまりのほどになん、都離れ給ひける。人に「今(退去する)」としも知らせ給はず、ただいと近う仕うまつり馴れたるかぎり、七、八人ばかり御供にて、いとかすかに出で立ち給ふ』
とある。このわずか三行の中に「都離れ給ふ」「今としも」「出で立ち給ふ」と三度もしつこいほどに「出京」の様が描かれているので、さあ、これでいよいよ源氏も都落ちかと期待していると、とんでもない。この後がまた大変なので、都を離れるまでの話が延々と繋がっていく。

 左大臣の邸には網代車で夜に隠れて出かけ、左大臣や大宮(葵上の母)や召人との語らいをし、ついにここに泊まってしまう。
 この後二条院に帰って、紫上との涙の別れ。翌晩は、花散里を訪ねて「明け方近くなる」までの物語り。しかもこの時は
 『鳥もしばしば鳴けば、世に包みて急ぎ出で給ふ』
と言いながら、その後も歌のやり取りなどをして、再び
 『あけぐれのほどに出で給ひぬ』
なのである。何ともご丁寧な「ご退出」であることか。
 そして、最後は本命の藤壺宮訪問、と思っているとこれが最後ではなかった。桐壺院の墓参こそ本当の最後だったのである。しかもこの墓参がまた情緒纏綿(てんめん)たるものなのである。最後の夜は、紫上と哀しい語らいをし

 『急ぎ出で給ひぬ。道すがら(紫上が)面影につとそひて、胸もふたがりながら、(難波の港から)御舟に乗り給ひぬ)』

ということで、ついにこの問題が決着するのである。

 須磨の巻には、もう一か所この独特な記述方法がある。それは右大臣を恐れることもなく、頭中将が須磨まで源氏を尋ねてきた時のことである。感動的な再会をし、二人は話し尽きないほどの語らいをする。それでも
 『ものの聞こえつつみて、急ぎ帰り給ふ』
のだ。罪人のところに長居すれば、とかく世間の噂が立ち、それは右大臣の耳に入る。そこで急ぎ出立ということになったのだが、この後がまた長い。彼らは、「御土盃(かはらけ)を出して酒盛りをし、漢詩を詠い、歌を詠みあうのだ。

 高校時代の古典の授業で、「ぬ」は「動作・作用の完了を表わす」と習ったのだが、源氏物語の場合は、なかなか「完了」しない。

 これはどういうことであろうか。
 結論から言えば、「別れの辛さ」に他ならない。いつまでもそこに留まりたい気持ちが強ければ強いほど、未練は深くなる。未練が深ければ深いほど、そこから離れられなくなる、という人の情の循環である。特に愛する人との別れは辛いもの。できればいつまでもそこに留まりたい。その躊躇の気持ちが、足を前に進ませなくするのだ。こういう時に人は女々しくなる。
 そしてこの情こそ、平安の雅につながっていくのである。「別れ」は、変化することだ。変化させたくないけれども、変化せざるを得ないもの、それが別れであり、そこにまた言い知れぬ「あはれ」があるのだ。
 潔さは武士の世界である。スカッと竹を割ったようにはいかないうじうじした情緒、それこそが平安の雅なのである。源氏物語に多用されている「去ったようで去らない」「帰ったようでまだ帰らない」記述方法は、それを象徴しているのである。
だから、「いつまで同じところを堂々廻りしているのよ。早く先を知らせてよ」と焦るのは、平安の情趣を解さない現代人の浅慮ということになるのだ。
 源氏が末摘花を嫌ったのは、彼女の容貌ではない。「古体」を頑なに守る、いわゆる彼女の「墨守」の姿勢に呆れたからである。彼女と一夜を共にした源氏は、なんの反応もない「固体(?)」な末摘花にあきれて、翌朝、
 『いとど急ぎ出で給ふ』
ということで、皮肉を残してさっさと帰ってしまう。

 紫上は、源氏との別れを嘆いてこう詠む。
 『惜しからぬ命にかへて 目の前の別れをしばしとどめてしがな』
 このように源氏のことを思う人がいるかぎり、きっぱりとその場を発ってしまうことはできない。魂はいつまでもそこに残る。その思いが「去ったようで去らない」筆法となって表したということである。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【ネズミ騒動・ハエ騒動】へ
  • 【祭りの醍醐味】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【ネズミ騒動・ハエ騒動】へ
  • 【祭りの醍醐味】へ