源氏物語

源氏物語たより148

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   間一髪の宮中退出 『桐壷』を読む その3 「148」 【訂正 再掲】

 光源氏三歳の時に、さまざま陰湿ないじめに遭った桐壺更衣は、病いよいよ重くなり宮中退出を余儀なくされる。もともと
 『心ばせのなだらかに、めやすく(感じがよく)、憎みがた』
い女性であったから、女御・更衣たちの陰湿ないじめに耐えられるはずがなかった。
 そこで更衣の母親は、退出することを訴え出るのだが、更衣に対して未練たっぷりな帝は、容易にそれを認めようとしない。
この桐壺帝は、聖帝と言われる醍醐帝がモデルになっているそうだが、時々判断力を失ってしまい、とても醍醐帝に及ぶ人物ではない。更衣をこれほどにしてしまったのも、彼の過度な寵愛であるし、それがために愛する女がさまざまないじめに遭っているというのに、それを理解してもあげられない。

 重篤な更衣をこれ以上内裏に置くことは許されない。母親は
 『かかる折にも、あるまじき恥をもこそ、』
と必死になる。この「恥」とは、女御・更衣などから、こういう折にさらにとんでもない嫌がらせを受けて恥をかくということではない。事はもっとはるかに重大な意味を持っているのである。母親の必死さに帝は仕方なくそれを認めることにした。
が、それでも更衣の部屋から離れようとしない。そして、
 『いたう面痩せ、あるかなきかに消え入』
らんばかりの状態にある更衣に向かって、綿々と愚痴を並べる。
 「遅れ先立つことのないようにと契ったではないか。まさかこのまま私を捨てて行くことなどはできまい」
という有様である。今はそんな状況ではないのだ。一刻も早く退出させなければならない。なぜなら宮中での死はまかりならぬという厳然たるおきてがあるからだ。天皇以外の者がが宮中で死ぬことなどありえないことなのである。宮中は神聖なところである。たとえ犬でも宮中で死ぬことは許されない。
 そういえば、宮島に行った時のこと、宮島の島内には火葬場がないという話を聞いた。また死者が出た時は、葬送の舟は島の裏側を回って本土に来るという。「厳島神社」という神聖な場所があるからだ。神社の正面を穢れが通るわけにはいかないのだ。
 内裏には、「神鏡」がある。とにかく穢れを避けなければならない。
 側近が、「早く退出させるよう」帝に促したのは、このことを避けるためであった。しかしそれを直接言うわけにはいかないので、
 「今宵、更衣の里で病気治療のための祈祷が始まる」
ことを理由にしたのである。
 
 このことは死者の親族にも及ぶ。たとえば母を亡くした子供が宮中に居ることさえできないのだ。この後、桐壺更衣は亡くなってしまうのだが、そのため源氏は里に下がっていた。母の死後、時も随分経ったので、女房たちは、母親(源氏には祖母)に向かって
 「若宮(源氏)が寂しいだろうから、ともども宮中に参内したらどうか」
と促した時に、母親はぴたりと言う。
 『かく忌々しき身のそひたてまつらむも、いと人聞き憂かるべし』
 娘を亡くしたような忌々しい身の親が、若宮に付き添って神聖な宮中に参るなどとんでもないことである、と言うのである。それほどに宮中というところは穢れを忌み嫌ったのである。母親の方が、帝よりもこのおきてを的確に把握していた。

 常軌を逸した帝にはその判断さえつかなくなっていた。いつまでも部屋を去らず、愚痴を並べる帝に対して、更衣は絶え絶えな様で、歌を詠む。
 『限りとて別るる道のかなしきに いかまほしきは命なりけり』
 絶唱歌である。源氏物語全編中、最高の歌のひとつだと私は思っている。このことについては後にまた詳しく述べるつもりでいる。
 「もうこれを限りに死出の道へと別れていくしかございません。何とも哀しいことでございます。でもそれは仕方のないことではありますが、私が本当に『行きたい』のは、命への(生きるという)道でございます」
歌を詠いながらも、更衣は
 『いと聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげ』
な有様であった。「聞こえまほしげ」とは、「帝に対して何か訴えたい」という意味であるが、彼女が訴えたかったものは、一体何だったのだろうか。帝の限りない愛に対する感謝もあるだろう。でも一番訴えたかったのは、三歳というもっとも可愛いい盛りにある我が子・源氏についてではなかったろうか。我が子に対して帝の全幅の庇護を願いたかったのだ。母と子の問題が、源氏物語全編を貫く大きなテーマになっていることでも、そのことは推察できる。
 
 ともかく、側近の「急がないと」という催促で、
 『わりなく(たまらなく辛く)思ほしながら、まかでさせ給ふ』
のである。更衣を退出させはしたが、帝は少しも眠ることもできない。そこで更衣の家に使いを出したが、使いが行き着くやいなや、
 『夜中、うち過ぐほどになむ、絶え果て給ひぬる』
と、更衣の里では泣いて大騒ぎをしているところであった。既に死んでしまっていたのだ。まさに間一髪のことであった。
更衣が宮中を退出したのは、もう夕方になっていたであろう。更衣の里は二条にあり、内裏とは目と鼻の先である。そしてその「夜中うち過ぐるほど」に亡くなってしまったのだ。つまり更衣の死は、内裏を退出してわずか数時間後のことである。まさに寸刻を争っていたのである。
 桐壺帝は、この寸刻の差で、「寵姫を内裏で死なせた」という歴史上かつてない不名誉な天皇という名を免れることができた。更衣の母親も、「帝の寵愛をかさに着て、娘を内裏で死なせた」という拭いがたい恥を逃れることができた。
 ここには、まるでスリルとサスペンスのようなドラマが展開されていたのである。それも「内裏で人を死なせてはならない」という鉄則を理解して初めて味わうことができるのである。


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