源氏物語

源氏物語たより149

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   冒頭二行にこもる壮絶なドラマ 『桐壷』を読む その1 NO149 【訂正 再掲】

 『いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめき給ふありけり』

 これが源氏物語冒頭の二行である。ここから五十四帖、七十年余にわたり、登場人物430人という壮大な物語が展開していくのである。
 この冒頭部分は、高校の教科書にもよく採られていて、誰もが一度は学んだはずだ。文章の流麗さと言葉の響きの良さに惑わされて、そこに含まれている意味については気づかず、つい素通りしてしまいがちなのだが、実はここには壮絶なドラマの種が仕込まれているのである。
 それはまた、平安時代の上流貴族の間で繰り返されていた現実の相を映しているもので、「源氏物語は歴史小説である」と言われるゆえんでもある。

 それは、「身分」にかかわる問題である。
 ここでは「女御・更衣」と、何気なく並置されているので、その違いにはあまり関心を払わずに読み進めてしまうのだが、二つはまったく質を異にする身分なのである。俗にいえば「月とすっぽん」である。 
 女御は、内親王・女王および、摂政・関白、あるいは大臣の娘から出る。いわば飛び切り「やむごとなき際」出身の娘なのである。
 一方、更衣は、大納言以下の身分の娘がなる。大臣と、大納言以下の身分では確然たる差がある。したがって、更衣の待遇も歴然とした差がつけられる。更衣に与えられる殿舎は、女御と違って、概ね奥まった殿舎である。また、更衣が皇后(中宮)になることは通常ないのもその一つの例である。
 身分の問題は、入内に際してだけの問題ではない。上級貴族の間では非常に重視された結婚の条件であった。より高貴な、より権威ある身分出身の娘を貰いたいと、誰もが願っていたのだ。
 光源氏が、年甲斐もなく、二十五歳も年下の女三宮を手にしたのが、その一つの表われである。あれほど愛していたはずの紫上を正妻にせず、その座を開けておいたのは、やがては内親王を手に入れて、そこに据えたかったからである。そうすることで、自分の身分に箔をつけたいと願っての行為に間違いはない。紫上も宮様の娘ではあるが、何しろ彼女の家は崩壊家庭のようなものである。これでは内親王である女三宮とは到底勝負にならない。
 また、明石君が、光源氏の子を生んだにもかかわらず、その娘は源氏に預けてしまって、自分は終始身を潜めて忍従の生活を送ったのも、自分が受領の娘に過ぎないという意識を強く持っていたからである。彼女は、源氏との間に生まれた娘(明石姫君)に傷がつかないことを願って、ひたすら耐えていたのだ。
 貴族にしてかくの如しで、いわんや天皇においてをやである。

 ところで、紫式部は、醍醐天皇の時代を背景にして源氏物語を創作したと言われている。醍醐天皇には、女御が五人、更衣が十九人もいたそうで、「女御・更衣あまたさぶらひ」とはそういう意味で、桐壺帝にも女御・更衣があまたいたということである。
 また「やむごとなき際にはあらぬが」とは、ここに登場する帝の寵愛を受けた妃は、「優れた身分ではないが」という意味である。したがって当然この妃は「更衣」の身分ということになる。七殿五舎のうち一番奥まった桐壺という殿舎に部屋を持っていたところから、この妃を「桐壷更衣」という。
 この更衣は、父親が大納言であった。大納言は、左大臣、右大臣、内大臣に次ぐ政界トップ四である。相当の身分のように思われるのだが、先述の通り、大臣との間には歴然たる差があった。しかも桐壺更衣の父・大納言は、今は世にないのである。彼女の母親は、娘が宮中で恥をかくことのないよう一人必死に努力しているというみじめな境遇であった。桐壺更衣は、まともな「後見」もない、いわば落ちぶれ貴族の娘であった。

 にもかかわらず、帝は、この更衣を殊の外に寵愛されて(時めき給ふ)しまったのだから、深刻な問題を孕(はら)まざるを得ないのである。
 天皇は、「やんごとなき」身分の妃を、まずは愛さなければならないのだ。それが暗黙の習わしになっていたのである。たとえば、第一の身分の女御と、週三日床を共にするとすれば、以下の女御は週に二日の御寵愛となり、さらに週に一日ということになる。したがって、「桐壺」などに住んでいる更衣に、天皇御寵愛の順番が回ってくるのは、月に一度あるかどうかということでなければならないのである。
 ところが、桐壺帝はこのルールを破った。これでは問題が起こらないはずはない。

 紫式部は、わずか二行の文章の中に、計り知れないほどの大きな火種を仕込んだのだ。たった二行にこのような状況を設定し、物語はで一挙に核心に突き進んでいく。

 女御や更衣たちが騒ぎ出すのに、さほど時間を必要としなかった。彼女たちはみな、桐壺更衣を
 『めざましき者』
に思い始めた。「めざまし」とは、目が覚めることである。あまりの事態に驚きあきれて、目をつぶってはいられなくなったのである。「心外だ、気に食わない」と彼女たちはいきりたった。これは当然のことである。
 このような火種を抱えていたのでは、彼女たちが、何かとんでもない行動を起こすであろうことも十分予想されるところである。
 案の定、彼女たちのいじめは、執拗を極め、峻烈を極め、想定を超えるものになった。
 桐壺更衣が、帝のところに渡っていくその渡殿(わたどの 廊下)などに汚物をまいたのだ。この汚物は何かわからない。「糞尿」と訳す人もいるのだが、まさかそこまで女御・更衣たちが品位を落としていたとは思えないが。
 また時には、廊下の向こうとこちらで示し合わせて、鍵をかけてしまうこともあった。 
 これだけのいじめに遭って平然としていられる女などはいない。桐壺更衣は神経を病み、身体を壊した。
 『恨みを負ふつもりにや、いとあつしくなりゆく』
のである。女御、更衣たちの恨みを負い、それが積もり積もって、ついに病気が重くなってしまったのである。
 
 「帝に愛されない」という恨みつらみはさることながら、女御・更衣たちには「一門」がかかっていたから真剣にならざるを得ないのだ。つまり皇子を生むかどうかが彼女たちに課せられた至上命題だったのである。帝のお声がかからない以上子供ができるはずはない。そもそも後宮に上がるということは、そういう争いをするということであった。
 藤原道長は、このことに大層腐心し、そして成功した。紫式部が仕えた道長の娘・彰子(一条天皇中宮)は皇子を二人も生んだ。そしてその二人の皇子がいずれも天皇の位(後一条、御朱雀)についたのである。道長の「わが世の春」は、娘・彰子が築き上げたものである。

 さて、右大臣の娘・弘徽殿の女御には、既に皇子がいたが、帝が寵愛する女(桐壷更衣)に、もし皇子が生まれでもすれば、今度は自分の子がなるであろう「東宮」の座が危うくなってしまう。いずれにしても、帝の更衣偏愛は、ゆゆしい問題である。
 「落ちぶれ大納言風情の更衣めが!」
と、弘徽殿の女御が憤るのは、至極当前のことで、彼女が悪いわけではない。全てルールを破った帝がいけないのである。
やがて桐壺更衣は皇子を生む。弘徽殿の女御が心配したように、帝は寵姫が生んだこの皇子を「東宮に」と考えないではなかった。ところがこの皇子が三歳の時に、女御・更衣の嫉視やいじめのために、ついに桐壺更衣ははかなくなってしまう。
 このような生々しくも凄絶な戦いのドラマが、冒頭二行に内含されていたのである。


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