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郷愁

一人旅は旅の原点

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   ひとり旅は旅の原点
  歳とともに、旅が人任せになり“ご一行様旅行”になって、旅の味わいが薄れてしまっていることを寂しく思っている。
 旅はやはりひとり旅がその原点である。なぜなら、ひとり旅には、人に束縛されない自由がある、勝手に使える時間がある、焦点をしぼって旅ができる、一人の方が冒険ができ、挑戦ができるからである。そのために、対象に対する理解が深まり、より豊かな発見ができる。それに、ひとり旅の人恋しさのために、自ずから地元の人とのふれあいが生まれ、それによって旅の情緒は深まっていく。
 そういう条件を満たしながら旅ができるのは、やはり若い時である。若い時の旅は、無謀なことをしても無知なことをしても、「若いから」ということで許されてしまう。ひとり旅ができるということは、若いということの証明である。
 ところが、歳はそれを奪っていく。責任ある職に就き、家庭も背負わなければならないために、自分の自由な時間もなくなってしまう。もちろん冒険や勝手なこともできなくなる。
 今まで、日本全国旅をし続けて、行っていないところがないほどの旅好きな私であるが、人生後半になるにしたがい、ひとり旅は少なくなってしまった。それに代わって、今は金をふんだんに使った、安易で簡単なものばかりだ。
 私のひとり旅は、大学1年の時から始まる。あのころは不便で未開の土地ばかりを求めて旅をした。若かった証拠である。 最初の旅は、伊豆の旅である。「私は18歳」とばかりに、東大生を気取って、『伊豆の踊り子』の道をたどった。バスで素通りできるものを、わざわざ天城峠でバスを捨て、天城のトンネルはもちろん徒歩で通った。そのまま歩いて下田まで行くつもりでいた。トンネルを抜け、伊豆の踊り子の時のようなつづら折りではないが、天城の坂を左右に雑木林を見ながら軽快に下っていった。
 すると、若いお兄さんが運転する軽乗用車がやってきて、声をかけてきた。
 「どこまでいくの?」
と聞くから、
 「下田まで」
と答えた。すると、
 「乗っていけ」
と言う。この親切を断るいわれもない。
 今度は自動車に乗せてもらって軽快に坂を下っていった。七滝も湯ケ野温泉もすいすい通り過ぎてしまった。これでは軽快すぎて肝心の伊豆の踊り子の情緒がなくってしまう。実は、湯ケ野温泉の福田屋(踊り子が共同浴場から裸で飛び出し、それを学生がこの宿から眺めていた)はぜひ見ておきたかったのだが、ここもすいっと通り過ぎてしまった。
 それに、当初の目的もふいになってしまった。当初の目的とは、「てくてく歩いていれば、どこかで伊豆の踊り子に巡りあうことができるかもしれない」ということである。
 結局若いお兄さんの優しさが私にとってはあだになってしまったのだ。
 この夜は、蓮台寺温泉の「小川旅館」という宿に泊まった。
 宿の領収書が今も残っていて、すっかり古ずんでしまったその領収書に、
 「数量 1 宿泊料 600円」
とある。数量“1”とは、私が一人であることを指す。領収書には“600円”とあるだけで、それ以外には一切お金を使っていないことが分かる。ビールを飲むわけでもなく、マッサージを頼むわけでもなかったらしいから、実に儲けにならないお客だったのだろう。

 宿泊料といえば、大学3年の時の北海道旅行を思い出す。教室の仲間6人での旅であった。6人といっても、気のおけない仲良しグループであるので、ひとり旅と同じようなものだ。この旅は15日間にわたる長途の旅であった。
 私が幹事だったとみえ、北海道各地の宿に、宿泊申込みをした時の往復ハガキの返信が7枚残っている。ハガキで見ると次のような行程と宿であった。
 阿寒湖「山浦温泉旅館」~広尾「岩手屋」~支笏湖「翠明閣」~幌別町「久住旅館」(洞爺湖温泉か、今は地名がない)~洞爺町壮瞥温泉「新山荘」~銚子口「留の湯」(大沼公園)~十和田湖「川村旅館」(これは旅行の帰りに寄ったもの)
 そして、いずれの宿も、宿泊料500~600円である。いくら当時は物価が安かったとはいえ、あまりに安い。まさに学生の無謀さである。宿からの返信ハガキは次の通りである。
 「しかし、三食付の600円では誠に困ります。せめて650円にお願い致します。できるだけの勉強は致します」
 「普通、一泊二食600円~800円なのですが、お弁当付きで550円位いただきたいと思います」
 「まず、宿泊料金につきましては、個人の場合は一人一泊800円で御座居ますが、学生さんの場合は特別サービスいたしましてお問い合わせの通り600円で結構で御座居ます」
 「学生さんとのことであればご勉強しお引受けいたします」
 ハガキには、「学生さん」「学生さん」とある。「学生さん相手では仕方がない」とどの宿屋も、少しも勉強もしない大学生のために、大変な勉強をしてくれたようだ。我々は歓迎されざる客であったことだろう。それにしても「三食付き600円で」とは、なんという厚かましさであろう。また、「せめて650円でお願い致します」とは、なんという宿の涙ぐましさ。今見ても、こちらが恥ずかしさで目から火が出る。
 我々のために宿がつぶれてしまったなどということはなかったのだろうか。もし今でもこれらの宿が健在であるなら、今度はお詫び行脚の旅にいこうと思う。

 そういう学生が相手であるにもかかわらず、宿から送られてきたハガキは、みな本当に心がこもっていて、感心するほどだ。それに実に達筆である。達筆すぎて読めないのもある。
 特に、壮瞥温泉の「新山荘」からのものは絵入りである。国鉄の線路が白、黒、白、黒と塗りつぶされていたり、宿に行くまでの径が赤で記されていたりしている。また、宿が、昭和新山を背負った形でちんまり描かれている。ハガキという小さいスペースに、それらが細かな字で実に丁寧に書き込まれているのだ。
 ハガキのとおり、やはりこの新山荘はよかった。おもてなしがよかっただけでない。なにより混浴だったのだ。昭和新山の噴煙を眺めながら、女体も眺めることもできた。若き日の血が騒いだ旅である。
 
 二つ目に紹介してあるハガキの宿は、駒ヶ岳の山麓にある宿で、弁当付き三食550円である。この時は他の4人と別れて、O氏とのふたり旅であった。翌朝、宿で作ってくれた弁当をもって、駒ヶ岳に登った。
 弁当は、大きなおむすびであった。山頂からは大沼や内浦湾が俯瞰(ふかん)でき、その雄大な景色を堪能しながら、おむすびを頬張った。その後、ずいぶんおいしいものを食べたが、この時のおむすびに勝るものはなかった。
 その帰り道、今まで見たこともない黄色い花が、道端に咲き乱れていたので、押し花にして持って帰った。それを母に見せて「さすが北海道だろう」と自慢したら、母に笑われた。なんとそれは月見草の花であった。私の家のおちこちにもいっぱい咲いていた。

 ところで、15日間にわたる旅行にしては、宿が少なすぎると思われるかもしれないが、実は、他の宿泊は、みな野宿みたいなものであったのだ。たとえば、北海道大学や北海道教育大学旭川校および釧路校の薄汚れた学生寮や、駅の構内などだ。
 それに、行きの汽車も帰りの汽車も、青函連絡船も夜行である。また、大学の下級生の家に大勢で泊めてもらったりした。
合計15日、真っ当な宿泊は7つだけだったということである。
 こんなところに、若者の無見識で無知で無謀で、それでいて無心で、好奇心に溢れた挑戦があった。旅はやはりこうでなければいけないのだ。

 もう一つ、若い時の無謀な旅行を思い出す。これも、10日間にわたる芭蕉並みの長途のもので、東北ひとり旅である。
 岩手~宮古~田老~平井賀~久慈~下北~薬研~弘前~鯵が沢~東能代と回った。
 陸中海岸の田老では、かつて食べたこともない海の幸が山のように出た。夢中で食べた。ところが、翌日平井賀へのバスの中で、激しい下痢が起こった。我慢できずにバスを降り、道端でうなっていた。すると、地元の人が寄ってきて、心配そうにのぞき込んで言った。
 「診療所まで送って上げるわ。」
 峠一つ越えた病院に運び込んでくれた。「うん、うん」うなりながら病室に入り、注射を一本打ってもらった。すると、なんとけろっと治ってしまった。しかし、入ってきた時の醜態があるので、あまりに簡単に治ってしまったのでは格好がつかない。しばらく待合室の長椅子に横になっていた。
 その夜は、予約もしていない平井賀の宿に泊まったが、また海の幸がどっさり出た。がつがつ腹一杯食べた。翌日は、腹痛は起こらなかった。
 
 この旅はとにかく無謀な旅であって、今思い出してもぞっとする。
 下北半島の恐山から10km程離れた薬研温泉まで、ブナや青森ヒバの原生林を歩きに歩いた。もちろん一人である。その間だれにも会わなかった。クマなど居なかったのだろうか。
 その他にも、無謀で無知で、それゆえに忘れがたい旅も多い。
 たとえば、尾瀬から金精峠を越え奥日光に至り、その日のうちに家に帰ってきてしまった旅。谷合に雪の残る庄川(富山県)を船で遡り、小牧温泉で宿の仲居さんと夜遅くまで話し込んだ旅。吾妻山(福島県)の浄土平から、1時間ほど入ったところにある一切経山(1949m)の山頂の「五色沼」(“会津の瞳”と言われるほどの美しい沼であるが、ほとんど人は行かない)に行った旅、などいずれも自分で宿を探し、自分で旅程を組んで行ったひとり旅である。
 
 今は、自分で直接旅館に手紙で申し込むなどということは皆無になってしまった。せいぜい、インターネットで調べて宿に電話するくらいが関の山である。ほとんどみな旅行社に頼んでしまう。宿も行程も見学場所さえ作ってもらう。きれいにセットされた行程を、そのまま「結構でございます」と受け取って、無難に旅をし、無事家に帰ってくる。それで「すべて世はこともなし」である。
 最近は、旅先の旅行本さえ買わなくなった。だから、なんの予備知識もなしに現地に直行してしまうことがある。
 そもそも最近の旅行本は、すっかり変わってしまってあまり参考にならない。イラストや写真をふんだんに使って色彩も豊かだが、内容がない。テレビの旅番組よろしく、「うまいもの店」とか「買い物店」とかの紹介ばかりが溢れている。
 それに比べて、以前のものは、史跡名勝は言うに及ばず、歴史、文化、風俗、伝統芸能、特産品など、様々な分野をあますところなくこと細かく紹介していた。
 実業之日本社の『ブルーガイド』や山と渓谷社の『アルパインガイド』などしばしば使った。特に、『ブルーガイド』などには、エポックニュースがあって、読むだけで楽しかった。
 たとえば、四国のものだと、「南予の闘牛」「さい果ての佐田岬」「ジョン万次郎」などがあって、旅情をいやましにする。若い時は、暇にまかせてそれらの案内書をたっぷりと読んでから出かけたから、旅の印象がより強くなったし、忘れがたいものにもなったのだ。4、50年も前の旅行案内書を、今でも大事にとってあり、時に使うこともある。

 歳をとってからのひとり旅もいくつかあるにはある。若い時のように自由勝手はできないけれども、それでも、パックで行く旅行よりはるかに感銘は深い。
 たとえば、小浜(福井県)の旅などがそのうちの一つだ。
 小浜の明通寺は、京都・奈良にさえない佇まいの寺で記憶から消えることがない。この時は、小浜の駅から、JRの自転車を借りて行くことにした。明通寺までのゆるい坂道を登っていったが、なんとも自転車らしくない自転車で、一回こぐごとに止まってしまってなかなか前に進まない。それに前面からは小雪が吹き掛けるわで、とうとう途中で自転車を捨ててしまい、歩いて行った。
 団体だったら、決して「自転車で」などという発想は浮かばなかったろう。しかし、その苦労が明通寺の印象を強くした。
 小浜ではもう一つ、妙に記憶に残っていることがある。
 芳賀寺という寺に、『十一面観音』という有名な仏像がある。ぜひ見たいものと思っていた。ところが、タクシーに乗って「芳賀寺へ」とお願いしたら、運転手さんが言った。
 「あそこの坊さんは気ままだから、なかなか観音様の扉を開けてくれないよ。最近、なんか風邪気味だとか言っていたから、今日はだめでしょ」
 そう言われてしまっては、あきらめるしかない。結局その日は、お水取で有名な神宮寺に寄っただけだった。ひとり旅の気楽さですぐあきらめたが、運転手さんの言葉が、かえって芳賀寺のお坊さんの姿を彷彿とさせ、小浜に対する印象を深くした。
 
 旅は異次元世界とのふれあいだと思う。日常性から脱して未知のものにふれるという行為だ。そのためにはひとり旅が最適である。大勢でのパック旅行では、日常の延長に過ぎない。
 ところが、残念なことに、歳はひとり旅を次第に困難にしてしまう。“歳”というものは、「旅の終焉」を意味するのかもしれない。そうならないためには、それなりの努力が必要だ。
 私のささやかな努力といえば、できるだけ『スキを見つける』ということだ。つまり、団体旅行の時でも、スキを見つけて団体から離れ、できるだけ一人の状態を作り出すということだ。
 また、出張の機会などでは、そのまま帰らずに、もう一日伸ばして自分だけの世界を作ることを心がけるようにした。
 鹿児島への旅行の際は、皆と別れて唐津や平戸を回った。北道旅行の時も、札幌で皆と別れて、豊富(とよとみ、稚内近くにある)という所に住む大学時代の友に会いにいった。そして、利尻・礼文まで回った。
 そうして自分だけの旅をつけ加えて、若い日の冒険心を取り戻そうとした。
 金沢の旅の時は、かつて恋人と歩いた浅野川や室生犀生ゆかりの犀川を散策した。呉の時は、厳島や私が愛飲している銘酒“賀茂鶴”で有名な西条を尋ねた。
 いずれも、一人ゆえのゆったりと気ままな旅ができた。特に厳島では、満潮と干潮を4度にわたって見ることができ、今までと違った発見と感動があった。
 こういう行動が、ひょっとすると若さを保つ秘けつになるのかもしれない。



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