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郷愁

白神山地のブナ

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   白神山地のブナ

 日本の名勝のうちで行っていないところはもうわずかになってしまったが、そのわずかなものの一つ、白神山地に行った。青森県側の西目屋というところからバスで白神山地に入った。暗門川を遡って、第三暗門滝までの3時間を歩く行程である。クラブツーリズムの主催で、一泊二日の旅である。実は、ニ泊三日の白神山地の旅もあり、本当はそちらに参加したかったのだが、毎日の行程が6時間、高低差が300~500メートルということで、これでは、今の私の体力では無理だ。
 盛岡側では晴れていた空が、安代川上流の峠のあたりから、雲行きが怪しくなってきた。白神地方はもともと雨の多いところだそうで、バスを降りて散策のコースに入ったとたんにザーッときた。ここでは雨合羽が必需品だという。しかしその後は雨が止んだりして雲の切れ目が見えることもあった。

 ブナと雨水は切っても切れない関係にある。マタギだという現地の案内人がそのあたりを分かりやすく面白く説明してくれた。
 ブナの林に入ってしまうと、雨の勢いがあまり気にならなくなる。なぜか。それは、ブナの枝はやや斜め上方に伸びているために、葉に降った雨は枝から幹に伝わって地面に流れ落ちていく。直接地面に落ちてはこないからである。
 「ほら、見てください。この幹のところを。雨水が流れているでしょ。今は雨の降り方が少ないから、この程度なのですが、雨が多くなると、雨水は滝のように幹に沿って流れ落ちるのです。しかし、その雨水は直接谷に流れ込むということはありません。ブナの根方にみんな吸収されてしまうのです。何十年にわたる腐葉土がぶ厚く堆積していますから、そこに沁み込んで行くのです。そして、数年すると、ミネラルをたっぷり含んだ水が、岩のあちらこちらから流れ出てきます。」
 案内人の説明は、天地自然の妙を語っていた。そういう説明を聞いていると、「自然を大事にしましょう」とか「自然環境を守りましょう」などというお題目はなくても、自然の大切さが心に沁み込んでくる。以前八甲田に行った時に、「ブナの林は魚資源を守る」という話を聞いたことがあるが、中途半端な説明で、納得しがたいものがあったのだが、このマタギの話を聞いて、「なるほど、ミネラルをたっぷり含んでいる水が海に流れ込むから魚が健やかに育つのか!」と素直に理解できた。ブナがブリを育てるということである。

 「ブナの根は、それほど深く張っているわけではありません。ただたくさんの細かい根を出してそれらの根と根が互いに手を繋いでいます。白神山地は有数の地滑り地帯で、このあたりでもよく崩落が起きます。しかし、そのためにブナが倒れてしまうということはあまりありません。根が大木を支え、互いに手を結び合っていますから、そのままずり落ちていって、止まったところでまた成長を始めるのです。
 胸の高さでの樹の周囲が3,14メートル、つまり直径1メートルくらいの木がこのあたりには多いのですが、ここまで育つのに100年かかります。それ以降は、10センチ育つのに100年かかります。白神山地で最も大木と言われているのが、津軽峠のマザーツリーです。幹の直径1,42メートルありますから、樹齢400年(500年?)ということになります。マザーツリーの木の高さは30メートルあります。」
 山路の周囲には、なるほど直径1メートル近いブナが多い。この木たちはみな百年以上の歳月を雨に打たれ風に吹かれ、そして、冷たい雪に耐えてきたのだ。私の参加したこのツアーが今年の最後のツアーである。もう間もなくブナたちは冷たく重い雪に覆われ山全体が雪に閉ざされるのだ。そしてこれからも何十年何百年の風雪に耐えていくのだ。

 「ブナは、非常に固い木質です。そのうえ水分も多い木ですから、家具などにはとても使えません。乾燥すると反ってしまって狂ってしまうのです。もしタンスなどをブナで作ったとしたら、開かなくなってしまいます。私が小学校の時に使っていた机の上板がブナでした。よくギタバタ上げたり下げたりしたものです。固いし丈夫ですから、子供には最適というわけなのでしょう。しかし、材木としては用なしです。それで、木偏に《無》と書いて、ブナ(橅)。」
 面白い話で、ふと《ゴンズイ》という木のことを思い出した。ゴンズイという木は武蔵野などの林に生えている木であるが、材木にもならず燃料にもならない無用の木で、食用にもならないばかりか毒までもっている魚・ゴンズイと同じというところから付けられた名である。しかしブナは材木にはならないとはいうものの、山を守り海を守り、そして我々人間を守っているのだ。ところで魚のゴンズイは、魚偏に《無》と書くのだろうか。

 「ブナの根方には、いろいろのキノコが生えますが、中でもマイタケは最高に美味しいキノコで、大きなものになると一つで30キロになるものもあります。これを見つけた時の嬉しさはたとえようがありません。まさに嬉しくて舞い上がるというわけです。不思議なことに、3年、7年、10年ごとにこのキノコは見つかります。我々は、マイタケが生えたままにしておくとブナの木が枯れてしまうので、仕方なしにこれを採るのです。
 マイタケの在り処(ありか)は自分の子にも教えません。死んでも教えません。生涯の秘密なのです。」
 それほどにマイタケは美味しく貴重だということである。それにしても。天然のものは本当にそんなに美味しいのだろうか。私の食べているのは栽培ものかも知れないが、舞い上がほど美味しく感じたことなど一度もない。いくら天然ものでもそれほどに美味しいとは考えられない。このマタギに聞いてみたいものだ、「少しでいいから食べさせてもらえないか」と。
 「生涯、人には食わせない。」
などと言うに決まっている。

 「ほら、このブナの木の幹に《落書き》みたいなものがあるでしょう。
え〜と、《昭和36年》ってあります。こういう落書きは、落書きではなく、我々マタギがつけたものです。ナタで幹にしるしを付けて、〈誰が何人でどの方向の山に入っているか〉の目印にするのです。」
 彼の話は尽きるところがないのだが、この目印の話だけはなんとなく眉唾である。昭和36年といえば、私が大学3年の時のもの。つまり、48年も前のことである。彼は、ブナが10センチ育つのに100年かかると言っていた。とすれば、48年の間に5センチは育っているはずで、もうナタの傷は残っていないのではないだろうか。

 彼の話は天地自然の理を語っていて、感動的なものばかりであった。
ミソサザイのこと、カワガラスのこと、ヤマブドウのことなど珍しい話が、玉手箱から宝石が次々出てくるように語られた。白神のことで知らないものはなく、白神の神様のような人である。

 この白神の神様が、突然仏様になった。
この旅に、私はタニウツギで作った自作の杖を持参した。鎌倉中央公園で採ってきて作ったものである。わざわざそれを白神まで持っていくというのも異常と思われるかもしれないが、ちょっとした山登りの時でも杖に頼るという癖がついていることもあって、持っていった。それに手作りの作品を見せびらかしたい気持ちもあった。
 マタギは、河原に出た時に、《タニウツギ》の話を始めた。タニウツギは太平洋側には自生しないそうで、日本海側に多い木だと言う。
 私はちょっと得意になって、「これタニウツギで作りました。」と杖を掲げてマタギやみんなに見せた。すると、
「そうなのです。タニウツギはよく杖に使われます。タニウツギの杖は、旅立ちの時には大変幸先のよい杖と言われています。」
私の得意は絶頂に達した。彼の話は続く。
 「青森では特によく使われます。そうです、死者が冥土に旅立つ時の杖として使われるのです。秋田の方では、また違った使われ方がされているようです。タニウツギの枝を二本に折って、死者の遺骨を拾う時に使う箸にしているようです。」
 得意の絶頂にあった私は、奈落の底に落とされた気がした。
私の手作りの杖は、現在45種類の樹木で、100本ほどある。よりによってその中のたったの一本を、タニウツギに決めて、白神くんだりまで持ってきたというのに、それが死者が使う杖だったとは、なんとも情けない。
 しかし、なぜその一本を選んだかと考えた時に、自分の気持ちを抑えることができた。タニウツギは、実に軽いということである。長途の旅に出る死者が、重い杖を持っていくのは無理である。できるだけ軽いということが死者の杖としての条件になる。樫の木などは非常に重い。そんな杖を持って三途の川まで行くのでは、途中で死んでしまう。タニウツギは最適な杖である。なにしろ45種類の私の杖のうちで、もっとも軽いのがニワトコの木と並んでこの木なのである。ウツギ系の木は一般的に軽い。ハコネウツギ、ニシキウツギ、みなそうである。
 《ウツギ》とは、《空木》と書く。これは幹の中央が空洞であるところから名づけられたものである。その空洞にコルク状のものが詰まっていて、それが木を軽くしている。ところが,ウツギの元々である、いわゆる《卯の花》は、大変固い木で、家具を作る時に木釘として用いられるほどである。中央の空洞が細いためにやや重い。これに比べてタニウツギなどの空洞は極めて大きい。
 その上、ウツギ類の幹は真っ直ぐであることも、杖の条件に叶っている。だから、死者のために用いられるというのは、至極当然のことである。
 また、空木は《空》に通じる。《地、水、火、風、空》の空である。まさに死を象徴して是なる木である。
マタギの話に一瞬戸惑ったものの、人々の、死者に対する思い遣りの深さが、こんなところにまで及んでいるのかと感心させられた。「死んでしまった者だ、重いも軽いもない」などという無情はそこにはない。
 私も古稀をとうに過ぎた。重い杖を持ってあちらこちら旅をするわけにはいかない。天地自然の理に叶ったタニウツギやハコネウツギの杖を生涯の友としよう。そして、改めて、白神山地のブナの山路を歩いてみようと思う。


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