郷愁

コロリ往生

 ←ウグイスカグラ →源氏物語たより266
    コロリ往生

 昨年の暮れからこの正月にかけて、喉に痛みがあって、ずっとうじうじしていた。
 「ひょっとすると“喉頭ガン”ではないだろうか」
唾を飲み込むのさえ痛くなってきたので、ついに1月6日、行きつけの医者に見てもらった。喉の奥をペンライトでちょこっと見ただけで、医者は言った。
 「別に喉が赤くなっているわけでもなし、リンパが腫れているわけでもない。もっと奥の方は耳鼻咽喉科でないと分からない」
と、あまりに簡単な診察なので、逆に心配になって、私は、医者に言った。
 「最近私の回りで、ガンを患っている人がすごく多いんですけど…。」
 「う?なに?喉頭ガン?喉頭ガンなら、もう声が出なくなっているよ」
で終わりであった。
 それでも、妙な薬をくれた。一日一回、2粒ずつを三日間飲めば、7日間は效く薬だという。何で三日間だけ飲んで7日間も效くのだろう。あるいは7日間しか效かないということだろうか。それでも飲まないよりはましかと思って飲んだ。
 すると、7日たたないで、喉の痛みがとれてしまった。なかなかの名医である。
 あとは風邪薬をくれたが、飲まなかった。どうせ風邪でないことは分かっているからだ。この点は私の方が名医だ。

 最後に、名医は妙なことを言った。
 「福島さんは、タバコは吸わないんだろ。タバコを吸わなければガンにはならないよ」
 まさか、そんなことはあるまい。こうなると名医なのかどうなのか。とにかく、決定的なことだけは言われなかったのでほっとした。実は、
 「どうもよくわからない。ガンの可能性もあるから市立病院に紹介状を書こう」
と言われるのではないかと、それをひたすら怖れていたのだ。

  正月4日のことである。セミプロ級のカメラマンであるYさんが、私の所に寄られた。
 「今日は富士山がきれいなので、このあたりから富士を撮ろうと思いましてね。
いや実は、昨年前立腺ガンを患いましてね、手術したんですよ。完治はしたのですが、どうも男というものは、だらしのないものでね、すっかり気弱になってしまいましたよ」
 彼がガンを患ったことは年賀状で知っていた。ただ、ガンになってすっかり気弱になってしまったということは、今日始めて聞いた。そもそもガンになっても気弱にならない人がいるのだろうか。
 私などは、ガンになる前にすっかり気弱になってしまったというのに。 
 いくら願っても、こればかりは防ぐわけにはいかないのだろうが、ガンで死ぬのだけはご勘弁願いたいと思っている。私は彼らのように強くはいられないからである。
 できうるならば、『コロリ往生』が理想である。

 『コロリ往生』といえば、俳人・山頭火の専売特許のような言葉だ。彼の言葉を見てみよう。
 「私は、わがままな二つの願いを抱いている。(略)そして第二の念願は、死ぬる時は端的に死にたい。俗にいふ『コロリ往生』を遂げることである。」 「山頭火句集」(ちくま文庫)より
 そして、彼は念願どおり、大勢の句友を集めて句会を催した、その翌朝、ひとり見事に死んでいったのである。ただ、体調を崩していた彼は、この句会には参加せず別室に臥せってはいたのだが、念願通りの『コロリ往生』であることに間違いない。 
山頭火は、いやしくも得度、出家した身である。死や欲望に対しては恬淡としていたはずだ。
 『いただいて足りて一人箸をおく』
 『いつでも死ねる草が咲いたり実ったり』
 一鉢一笠、行乞行脚の身である、一椀いただければ、それですっかり「足り」るのだし、また、「いつでも死ぬ」用意もできている。

 では、本当に彼は悟りきっていたのだろうか。人生に未練はなかったのだろうか。はたまた、死に対してなんの恐れや苦がなかったのだろうか。どうもそんなことはないようである。彼は非常に屈折した人生を送っていたのも確かである。
 『鴉(からす)啼いたとてだれも来てくれない』
 『けふもいちにち誰も来なかったほうたる』
 人の煩わしさを避けようとして旅に出、その一方で、人恋しさに悶えている彼の姿がありありと出ている句である。世捨て人のように人生の大半を旅に過ごしていながら、彼の旅の目的の一つは、人を尋ねることであったのだ。
 また、彼は、泥酔して何度も留置所に収監されたり、服毒死を図ったりしている。酒におぼれることでしか、また、自らの命を縮めることでしか人生の憂さや生きる怖さを忘れる方法がなかったのだ、ともいえる。
 このような山頭火の生き方は、人生に対する甘えといってもいいのかも知れない。そういう彼の甘えをきらう人もいる。

 同じ旅の俳人・芭蕉をみてみよう。『奥の細道』の冒頭で、
 『…日々旅にして旅を栖とす…』
と言い長途の旅に旅だった。飯坂では体調を崩して、
 『羈旅辺土(きりょへんど)の行脚、捨身無情の観念、道路に死なん是天の命なり』
と観じている。
 彼にとっては旅の途中で死ぬることは、当然のこと、“天の命”であった。芭蕉の臨終の句は、有名な
 『旅に病んで夢は枯野をかけめぐる』
である。芭蕉にとっては、死は恐れるに足るものではなかった。彼は、死してなお俳諧を極めようとする求道者であった。まさに芭蕉の旅は、俳句一筋、透徹しきった人生であったのだ。
 山頭火にも、
 『しぐるるや死なないでいる』
 『なかなか死ねない彼岸花さく』
などという句があるが、確かになにか甘えを感じる句ではある。芭蕉の透徹感が、山頭火に感じとれない。 

 彼の『コロリ往生』は、“楽に死にたい”という願いでしかなかったのだろうか。
 そうだとすれば、私に近いものがある気がしてならない。それゆえに山頭火が好きなのかもしれないが。



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【ウグイスカグラ】へ
  • 【源氏物語たより266】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【ウグイスカグラ】へ
  • 【源氏物語たより266】へ