郷愁

毎日が祭り

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    毎日が祭り

 平塚の七夕を見学に行った。日本三大七夕祭りといわれているだけに、たいした人出で、5日間の期間中に300万人の人出があるという。
 “にぎわい”という言葉は、概ね多くの人に歓迎される言葉のようである。私の市の『将来都市像』の一つも、「にぎわいとふれあいにみちた緑豊かなふるさと」であり、人々がたくさん集い、にぎやかな町になることを望んでいる。

 しかし、“にぎわい”とはそんなに歓迎すべきことなのだろうか。
 私は、人々が多いことや、にぎわうことを必ずしも歓迎しない。どちらかと言えば静謐(せいひつ)が好きだ。この感覚は個人の問題であるから、とやかく言うべきことではないが、横浜や新宿に行くたびに、なぜ毎日毎日これほど人が溢れているのだろう、なぜ朝から晩まで毎日お祭りのように人がとぎれないのだろう、休日でもないのに、この人たちは何を生業にしているのだろう、などと疑問に思ってしまう。
 横浜のMM21地区などは、すっかり整備されて人出はますます増えている。それにもかかわらず、市当局は、まだまだ人に来てほしいと誘客に力を入れている。
もうこの程度でやめておいた方がいいではないかと思うのだが、一般的な考えとしてはそうではないようだ。不思議なことだ。
 私は、横浜や新宿や上野によく行くが、それは、美術展を見たり、本を買ったりするのが目的であって、にぎわいを求めてのものではない。だから、人が多かろうが少なかろうが関係ないのだが、余りの人の多さに辟易したり、疲れきってしまったりする。もう少しゆったりと町を歩ける状況にしてもらえまいか、といつも思っている。
 私の教え子が鳥取県に住んでいるが、彼の奥さんは鳥取の生まれ育ちである。彼女は、いつかこんなことを言っていたことがある。
 「横浜などを歩いていると、人が私に突進してくるようで、怖い。」
 同感である。にぎやかすぎることの問題点である。

 もう一つの問題点は、人が多ければ多いほど潤いや憩いがなくなるということである。もちろんこれも個人差があって、にぎやかでないと心が落ち着かないという人もいるかもしれないが、新宿や池袋や渋谷のあの騒然たる雰囲気は、“潤い”とか“憩い”とかとは、無縁だ。雑然たる街並み、けばけばしい広告、不統一な建物……。
 池袋のオリエント美術館に時に、会場までのあの乱雑さは、もうとても町の体をなしていない。ゴミ箱からゴミが飛び出していたり、紙屑が路面でダンスをしたりしている。これでは人の波が去った深夜などには、どういう状況になっているのだろうか。恐らく毎晩のごとく“宴の後”状態になっているのではないだろうか。

 池袋や新宿だって、「ちょっとした努力で、立派な町に変身するのになあ。」と思う。
 たとえば、これ以上の美的感覚に満ちたものはないと思われるほどのあの広告の氾濫、まずあれを見直すことだ。みな同じ規格に統一だけでもずいぶん印象は変わってくるはずだ。ついでに、色も同一色に統一するといい。
 それも可能な限り小さい規格することだ。そして、色はアイボリ-ブラックかダ-クグレ-のような渋い色に統一するとよい。
 さらについでに言えば、通りに面した建物の壁面も色を統一するといい。
 ヨ-ロッパの伝統ある町はみな渋くシックである。広告などはあるのかないのかさえわからない。それでも、商売や生活をするのにさしたる支障がないようだ。
 中国や東南アジアの自動車のクラクションはすさまじいと聞くが、実は、かつて日本でも、自動車のクラクションを相当鳴らしていたものだ。ところが、今、日本ではクラクションの音をまず聞かない。以前は鳴らさないと危険だと思って鳴らしていたのだろうが、鳴らさなくても交通安全は立派に保たれている。
 広告も同じなのではないだろうか。

 先に横浜を例にあげたが、横浜といっても中区は例外である。中区は私が特別好きな地である。横浜中区も、新宿や池袋と同じように毎日ずいぶんの人でにぎわっているが、それでも、雑踏感や粗雑感や猥雑感をまったく感じない。それは、ひとえに海があるからだ。そして、歴史があるからだ。海岸通りの建物には歴史の波のおかげで洗練されている。
 新宿や池袋に、「海を」「歴史を」といっても無理な話だ。いくらしゃれた上品な町を造ろうとしても、自ずから限界がある。
 それに、新宿や池袋が余り上品になっては、新宿や池袋らしくなくなってしまって、お客が来なくなってしまうかもしれない。
 でも、あのままの不統一で猥雑な町のままにしておいていいはずはない。心ある人は離れていく。とにかく、広告一つでも手を入れてみたらどうだろうか。
 まして、一般のごく普通の地域では、あまりにぎわいを求めない方がいい。新宿や池袋の二の舞をならないために。にぎわいなどというものは、年に数度あれば十分だ。あるいは年に一度の市民祭りでいい。
 それよりも、日常のご近所との“ふれあい”をこそ大事にすることだ。そのふれあいをおろそかにしたにぎわいはない。「〇〇からもらったものだけど」とか、「家庭菜園でとれたものだけど」などといってご近所に届ける、それが、まさにふれあいであり、心のにぎわいであると思っている。



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