源氏物語

源氏物語たより267

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  光源氏のおどおど  源氏物語たより267

 明石入道は、何としても娘(明石上)を光源氏に捧げようと、娘が、琴がことに得意であることを自慢してみたり、娘の将来を住吉に十八年間も祈願しているのだなどと
 『問はず語りに(源氏に)聞こ』
えたりして、源氏の気を引こうと盛んにほのめかす。
 源氏が「それでは娘御の琴を聞いてみようか、娘のところに案内していただこうか」と応じると、有頂天になって。こんな歌を詠む。
 『独り寝は君も知りぬや つれづれと思ひ明かしの浦さびしさを』
「君も」という裏には、「わが娘も」という意味が含まれていて、「こんなさびしい明石の浦で、娘は日々一人で明かし暮らしているのだから、いつでも娘のところにやって来て一緒に寝てくれ」と意気込むのだ。
 
 源氏は、ふと雨夜の品定めのことを思い出して、「こんな片田舎ではあるが、かえって素敵な女が潜んでいることもあるかしれない」と関心を寄せ、娘に手紙を出す。それも
 『高麗の胡桃色の紙に、えならず引きつくろいて』
である。「えならず」とは、「この上なく」ということで、この上なく念入りに趣深くして手紙を出したということだ。娘に対する関心も高まってきたのだ。
 ところが、娘の方では、源氏は皇子であり元近衛大将ではあまりに身分が違い過ぎる、とても自分に相応しい相手ではないと、源氏の手紙にも、父の勧めにも応じようとしない。すると、我慢しきれなくなった父親が、代わりにこんな返事を送る。
 『ながむらむ同じ雲井をながむるは 思ひも同じ思ひなるらん』
娘の意志などどこ吹く風で、「娘もあなたのことを思ってもの思いにふけっております」というのだ。親の方がよほど乗り気になってしまった。こんなに確かな結婚はない。そこで、源氏はまた返事を書く。それも
 『このたびは、いといたうなよびたる薄様に、いと美しげに書き給』
うのである。すっかりその気になった。
 さすがに娘は返事を出す。その筆跡や歌の返しが気品に満ちているのを見て、源氏は、都の貴(あて)なる女にも劣らないと、すっかり感心してしまって、以後も人目を避けては何度も消息をする。

 源氏は、娘に手紙を送りながら、ふと京のことに思いが飛ぶ。勿論紫上のことである。紫上とはこんなにも隔たってしまった。気がかりでならない。いっそのこと
 『しのびて迎えたてまつりまし。と思し弱る』
のである。
 明石の娘とこんな状況になっているのに、今更紫上を迎えることなどできようか。このあたりの源氏の真意が掴みきれない。

 さて、何度消息しても、娘は少しも動こうとしない。しびれを切らした源氏は、ついに八月の十三夜の月はなやかにさし出でたる夜、行動を起こす。直衣をびしっと決めて、惟光くらいを供人にして、馬で女のところに出かける。
 途中、明石の浦々の素晴らしい月夜の景色を見ながら、ここでも都の恋しい人を思い出す。そしてこう歌を口ずさむ
 『秋の夜の月毛の駒よ 我が恋ふる雲井に駆けれ 時の間も見む』
 「月毛の駒よ、このまま恋する人のところに、天を駆けて行っておくれ。ほんの一時でも恋しい人の姿を見ようものを」という意味である。なかなかいい歌であるが、ここの源氏の真意もどうもくみ取れない。
 「あなた、今は、別の恋しい女のところに行こうとしているのでしょ?それなのになぜ、とんでもない京に向けて月毛の駒を飛ばしたいなどと言うのさ」

 結局、この夜、娘と契り、
 『常はいとはしき夜の長さも、とく明けぬる心地』
するほどに、歓喜の夜を持つのだ。そして、翌朝
 『(後朝の)文はいと忍びてぞ、今日はある。あいなき御心の鬼なりや』
 彼はこっそり文を送った。「心の鬼」とは「良心の呵責」ということ、「あいなき」とは、「余計な」ということである。源氏は後朝(きぬぎぬ)の文を娘にこっそり送ったのだが、それは京の紫上にでも知られてしまったら、という気兼ねからだ。でも「それは余計な良心のとがめというもの」と草子地もあきれている。私も、草子地と同じように、なぜそこまで紫上を怖じなければならないのか、理解できない。
 かつて、空蝉や軒端荻や朧月夜とは、あれほど強引に契って反省するところとてなかった男ではないか。藤壺宮とは、あるまじき密通を平気で犯している男だ。
 紫上に対しては、どうしてこれほどおどおどし小心になり意気地なしになるのか。

 これについては、紫式部の読者に対する媚びであるという解釈(簡単に現地妻を作ってしまったのでは、あれほど愛していると言っていた紫上が可哀そう)をする人もある。
 私は、先に『たより266』で、『明石』の巻で、目障りなほど神や仏や夢見を頻出させたのは、まさに源氏の紫上に対する「心の鬼」の捨て所であったと述べたが、それだけでは十分に意を尽くしているとは思っていない。
 
 さて、それでは源氏が見苦しいほどにおどおどする真意は一体何のだろうか、もう一度ここで考えてみようと思う。
 
 結論から言えば、彼は紫上を真実「いとしい子」として愛していたからではなかろうか、ということである。その愛は、男・女の関係でも夫婦の関係でもない、むしろ親と子の関係としての愛で、その「いとしい子を泣かせたくない」という情が、明石の女との交接の度にポロリと出てしまったということである。

 紫上が、孤児同然に源氏に引き取られたのは、彼女が十歳の時である。以来、八年間、源氏は彼女を、「女」と言うよりも「慈しみ」の対象として深く愛してきた。須磨に退去するに当たって、二条院の家政のことや土地・債券のことなどすべてを紫上に任せてきた。ということは、十八歳になった紫上も随分しっかりした大人になっていたということだ。が、別れの時の彼女の姿は、やはり「源氏にすがらざるをえない」幼い姿で、未だにそこから脱していなかった。

 須磨へ退去する時に、源氏はこう感じている。
 『さすがにいと捨てがたきは、姫君の明け暮れに添えては、思ひ嘆き給へるさまの心苦しさは、何事にも優れて、あはれにいみじきを』
 八年経った今も、源氏にとっては、紫上は「姫君」なのである。その幼い感じの姫君が日々嘆き悲しんでいるというのだ。
愛する者との別れに際しては誰も同じだろうという考えもあるかもしれないが、彼女の場合は愛し合う男女が嘆き悲しむ姿ではないし、また夫婦の別れとも一味違う。
 実はこの直前に、つれない彼女の父・兵部卿宮や皮肉な継母の事が書かれているのだが、この八年間ほとんど没交渉であった彼らのことを、わざわざここで描く必要はなかったはずだ。そうしたのは、彼女が天涯孤独の孤児であるということを強調したかったからだ。つまり源氏なしでは成り立たない頼りなさが彼女には未だに抜けていないという証拠である。
 だから、恋人や妻から離れるよりもはるかに「あはれ」なことなのである。

 もう一度二人が新手枕を巻いた日のことを思い出してみよう。あの時の彼女の拒絶反応は異常なほどであった。それは「親のように信頼していた源氏が」まさかそんなことをするとは思わなかったからだ。源氏は夫ではない。男親だったからだ。
須磨への別れの最後の日、見送りにも出ず、御簾の陰で泣き沈んでいた姿は、妻の態度でもないし、恋人の仕草でもない。頼れる親を亡くした子の姿である。
 源氏は、そういう「子」の心を破りたくなかったのだ。八年間自分を信じ続け頼り切ってきた純粋な「子」の信頼を裏切りたくないという気持ちが、月毛の駒を京に向けさせてみたり、忍びて後朝の文を送ってみたりの「あいなき」行動を彼にとらせたのだ。



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