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郷愁

果てしなき飽食の果て

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    果てしなき飽食の果て

 私に家の近くに『中村屋』というラーメン専門店があった。テレビか何かで、「日本一のラーメン」の折り紙をつけられたとかで、ずいぶん繁盛していて、いつも12~3メートルの行列ができていた。私も一度だけ入ったことがあるが、ごく普通の麺だ。どうして“日本一”なのか分からない。そもそもラーメンにうまいまずいがあるのだろうか。
 以前、喜多方(福島県)に行って、喜多方ラーメンを食べたことがある。喜多方で一番有名だという店に入ろうとしたら、満員で入れない。仕方がないので、すぐ近くにあった、しがない小さなラーメン屋に入った。ひどくうまかった。ラーメンはみなおいしいのだ。
 ラーメンの「一番おいしい店」を探し回るのも、グルメの範疇に入るのかどうかは分からないが、現代は、とにかく、有名なもの変わったもの洒落たものを求めて食べ歩く人が巷(ちまた)にあふれている。しかも家族ぐるみでグルメを楽しんでいる。
  私も、もちろんおいしいものは食べたいし、時に寿司屋などに行くこともある。でも、金に余裕のある時くらいだ。したがってめったに行けない。
 やはり、私の家の近くに『びっくり寿司』という寿司屋があったが、ここも家族連れなどでいつもにぎわっていた。時に行くとずいぶん待たされた。確かにネタは新鮮でうまい。
 それにしても、かつて寿司屋にこんな簡単に、しかも誰でも行けただろうか。寿司といえば“高い”という印象があるから、今でも二の足をふむ。家族で行くなど考えたこともなかった。それでも、とにかく時には行けるようになったのは、年をとって大分ふところ具合がよくなったからだ。
 ところで、このラーメン屋と寿司屋はつぶれてしまった。

 私が就職して間もないころのことだ。藤沢駅の近くに『国寿司』とかいう寿司屋があった。いつか同僚と、まさに「清水の舞台から飛び降りた」心境でその店に入ったことがある。あの時のトロのうまさは忘れられない。世の中にこんなうまいものがあるのだろうかと思った。だから、いつも寿司屋はあこがれの的であったし、寿司屋で食べることのできる人を羨望の目で見ていたものだ。志賀直哉の『小増の神様』の心境である。そういうことで、何十年というもの寿司屋とは縁がなかった。
 それがどうだ、今や誰も彼もが、5人も6人もの家族ぐるみで寿司屋に行って、順番待ちをしている。
 テレビや雑誌も、ことあるごとに“グルメ”“グルメ”だ。
 テレビで『火の国・熊本・阿蘇の旅』という番組を見ていたが、内容はおよそ“火の国・阿蘇”とはかけ離れたもので、番組が始まるや温泉の場面が二つ続いて、その後の25分間はもっぱら食べに食べていた。旅館の料理に始まって、パン工房のパン、彦山村の漬物、そして熊本牛のあか牛ステーキ…。
 レポーターは、「うまーいー!」なんて言っていたが、見ているこちらはうまいもなにもない。それどころか、阿蘇の雄大な景観を期待していたのに、その期待を無残に砕かれてしまった怒りのために、思わず感嘆の声を上げてしまった。
 「これはまずい番組だ!」
 ある旅雑誌のタイトルを見て感嘆の声を上げてしまった。
 『特集 スペイン ~呑む、食べる、歩く~』
 何と言うタイトルだ。少なくとも、
 『~歩く、食べる、呑む~』
にすべきであろう。
 とにかく、今、世はあげてグルメであり、一億総グルメだ。
 グルメは、個人の嗜好の問題であるから、とやかく言うのは野暮というものであろうが、どうもこのままグルメブームを野放しにしておいていいとは思えない。もう“ストップ・ザ・グルメ”の時代なのではないだろか。

 ところで、どうしてこれほどのグルメブームになってしまったのだろうか。また、いつからこのブームは始まったのだろうか。
 日本におけるグルメの発端は、日本の経済の高度成長と深くかかわっている。1970年の大阪万博の後、外国から外食産業が次々入ってきた。「日本は外食産業の大きな市場になりうる」という判断が外国企業、特にアメリカ企業にあったのだろう。マクドナルドやケンタッキーフライドチキンなどが入ってくると、その後は、あれよあれよの外食ブームになった。
 この傾向に拍車をかけたのは、個人所得の上昇である。金に困らなくなってきたのだ。そして、週休2日制に移行し、人々に時間的な余裕もできた。金と時間に余裕があれば、もう鬼に金棒である。いずれも日本経済の高度成長の落とし子である。
 さらに、女性の社会での活躍もある。女性の社会進出はおのずから、外食の機会を多くした。
 このようにして、グルメは絶対的な地位を占めるようになった。
 1988年、かのグルメ漫画が大人気を博した。『美味しんぼ』である。テレビにもなり、私も、子供たちと一緒に夢中で見た。すさまじいばかりの食へのこだわり、美食への執念。山岡君と彼の父親との確執の間で、うろちょろしていた栗田君とかいう女の子が、二人の間を取り持ったりして可愛いかった。とにかくあの漫画がグルメブームに火をつけた。

 実は江戸時代にも、グルメはあった。しかし、グルメになれる者は限定されていた。いわゆる大店(おおだな)の旦那や札差(旗本や御家人の代理人として禄米を受け取っていた人、また、金貸しなども業としていた)などの豪商たちである。
 『十八大通』という言葉がある。江戸の札差のうち、金にあかせて、人をアッと驚かすような豪気な行動をとった18人の人々のことである。当然のこと、彼らの行動の一つに食があった。彼らは一晩に何十両(現在の金にして何百万)という金を使いはたしては、人の目を引いたりしていた。
 テレビの時代劇などによく登場する有名料亭・『八百善』などの料理はそれはそれは豪勢なもので、八百善のお客はこういう札差や豪商たちであった。
 ちなみに、八百善のある宴会の献立を覗いてみて驚いた。ヒラメ、わらさ、伊勢エビ、蒲鉾、マツタケ、シイタケ、松露、岩たけ、鴨、ちりめんふ、むきくわへ、あんかけ・・などなど限りがない。(『江戸の札差』 北原進著 吉川弘文館より)
 私にも分からない料理が多いのだが、現代のグルメでも唖然とするだろうような豪勢さである。ただ、こういう豪勢な料理にありつけるのは、ごく一部の人々で、もちろん一般庶民は、その日暮らしの、せいぜい一汁二菜だ。
 それでも、江戸庶民は、八百善で豪勢な食事をする十八大通や豪商たちの行動をねたんだり羨んだりしてはいなかったようだ。むしろ、ある期待と痛快さをもって見ていた。一晩に20両も30両も使い、やがては身上を傾けても平然としている豪気な振舞は、時に喝采の対象であった。
 それが、文化を育て芸術の質を高めてきたことは事実だ。特に歌舞伎などは、江戸人の生き方の典型としての“粋”を生み、粋に生きる人物を生んできた。たとえば、歌舞伎『助六』などはその典型である。
 『助六』とは、歌舞伎十八番のひとつで、どういうわけか毎夜遊里で遊ぶことができる主人公・助六が、江戸紫のけんか鉢巻き、黒ちりめんの着付、蛇の目の傘をさしてさっそうと登場し、“髭の意休”(十八大通みたいな人物)をきりきり舞させる。あの粋な姿は、江戸人の理想であった。(江戸東京博物館の歌舞伎の舞台に展示してある、あの等身大の人形が助六や意休である。)
 そのような粋と豪気と風流と伊達とを、十八大通や豪商たちは、吉原や八百善などを舞台にして競った。そして、彼らの生活様式が、あの華やかで独特な、そして質の高い江戸の文化・芸術、あるいは風俗・習慣を生んできたのだ。

 ところで、現代はどうだ。ぴんからきりまでみなグルメだ。しかし、それはまったくの個人のレベルのものであり、“粋”も“通”もない。これでは文化の生まれようはずはない。
 改めて言えば、『グルメ』とは、“食通”のことであり“美食家”のことである。したがって、グルメである以上、少しは“通”に通じるものがなければいけないのだが、今は単なる“飽食家”に過ぎない。

 しかし、これはいささか哲学的な見解というものかもしれない。私が、「ストップ、ザ、グルメ」を提唱する基本は、もっと別なところにある。
 一つは、おごり過ぎた舌が、国を滅ぼさないかということである。今は、一億総グルメで、子供の舌まで肥えてしまった。彼らは、少々の味では満足しない。それが、彼らに「足るを知る」心を失わせ、ものを大切にする心、さらには、礼節をさえ失わせてはいないか。子供は、『小増の神様』の状態で十分なはずなのに。
 二つ目は、世界の環境に及ぼす影響があまりにも大きいということである。
 日本人による魚介類の消費はすさまじい。毎日毎日、釧路や三浦や清水の港に陸揚げされる魚、魚。スーパに流れる「サカナ、サカナ、サカナ♪」。海の資源は当然枯渇する。
  三つ目は、健康の問題である。
今、日本の巷には糖尿病と肥満が溢れている。私も肥満である。これひとえに、飽食のためであり、グルメのためである。私はグルメではないと思っているのだが、いつのまにか飽食に陥っていてその結果としての肥満なのだから、弁解のしようがない。
 糖尿を患っている人が、宴会に出された一つ一つの料理をメモしている姿を見たことがある。何事かと思ったら、カロリー計算をしているのだった。
 しかし、こうなる前の摂生が大切だったのだ。それが分かっていても、いつの間にか飽食になってしまうというのが、現代社会の構図のようである。そして、いったん味わった美食から縁を切ることは並大抵のことではない、というのが人間の心理構造のようである。

 古人は、美食・飽食を盛んに戒めてきた。
 改めて、貝原益軒(江戸中期の儒学者、本草学者、教育者)の『養生訓』の教えを見てみよう。『養生訓』巻の三は、「飲食」の巻である。
 『飲食の養いなければ、元気うえて(失って)命をたもちがたし。…しかれども、飲食は人の大欲にして、口腹の好むところなり。その好めるにまかせ、ほしいままにすれば、節に過ぎて必ず脾胃をやぶり、諸病を生じ、命を失う』
 さらに、「禍は口よりいで、病は口より入る」という古人の言葉を引用して、戒めとしている。「禍は口よりいで」とは、「口は禍のもと」のことである。
 この基本的な考えのもとに、彼は、実にこと細かに飲食についての用心、注意、戒めを説いている。肉、菜、麺はもとより、酒、茶、麺、菓子、はては、飯の炊き方、湯の温度、宴席でのあり方、薬との併用など、常住坐臥に至る。
 ところで、私のもっともの関心事である“酒”について、彼はどう言っているだろうか。
 『花は半開に見、酒は微酔に飲むと言えるが如し。興に乗じて戒を忘るべからず。
欲をほしいままにすれば禍となる。楽しみ極まれるは悲しみの基なり』
 まことに、耳に痛し、である。
 ただ、“微酔”が曲者で、私の場合は三合までは微酔だ。で、「三合まではよさそうだ」と、つい都合のよいように判断して酒を過ごしてしまう自分を恥じるしかないのだが、私より悪質なのが、「酒にやられないために事前に薬を飲んでおく」などというやからである。益軒から見れば、そんなことはトンでもない暴挙である。なぜなら、薬は強い効果がなければ意味がない。それは、
  『ちょうど籠城している時に、攻め寄せてきた敵兵(酒)に対して、城内の豪の者(薬)を城外に出して戦わせるようなものだ』
とまで言っている。
 “微酔”もそうなのだが、「珍美の食に対すとも、八九分にてやむべし。」とか、「よきほどのかぎりの外は、かたくつつしみて、その節にすぐす(過ごす)べからす。」とか、「よろずのこと十分(じゅうぶ)にいたれば必ず禍となる。」とかと言っている。
 要は、彼の中心をなす教えは、『ほしいままにするな』、『控えめにせよ』ということである。

 そこで、日ごろ私の感じている食に関するいくつかの点をもって結論としよう。
 その1 折詰の理
 昔は宴会などの席ではよく折詰を使ったものだ。残ったごちそうを折詰に詰めて、それぞれ自分の家に持ち帰るという風習だ。今でも正月やお祭りの時などに、そうしている家庭はあるだろう。
 実は、私は、この風習を若い時には、何となくさもしい行為のように感じて感心しなかった。が、実際には非常に理にかなった風習であることを、最近感じるようになった。折詰に残り物を盛るということは、ものを無駄にしないということだからだ。つまりゴミを出さないということであり、世界の環境を守ることにつながるからだ。
 それに、家に持って帰って折詰を開くことは、家に残っていた者と祝いの喜びを分かつことができ、祝いの席でのあれこれを偲ぶことにもなるのだ。それは人のぬくもりに接するという行為に他ならない。
 その2 “けの日”“はれの日”の理
 “け”とは、「日常」ということ、「普段」ということである。“はれ”とは、晴れ着とか晴れ舞台とかの“はれ”のことで、「公式」なこと、「表立って晴れがましいこと」の意である。
 現代は、“け”の日と“はれ”の日の境がなくなってしまった。服装一つとっても、だれでもいつでもみなはれの日のような立派な服を着ている。
 食事もそうだ。毎晩豪華で、我々子供のころにはまったく想像もできないほどである。今では、食に困っている家庭を探すことさえ困難だ。毎日毎日お祭りのようなぜいたくな料理でいいのかどうか考えてみる必要がある。
 そこで、私は、この“け”と“はれ”の習慣を明確にすることを提唱したい。
 「日常はごくささいな献立にしましょう、そのかわり、はれの日には品数を多くし、少々贅沢な料理にしましょう」ということである。
 “はれの日”とは、たとえば、家族の誰かの誕生日とか結婚記念日、あるいは、子供が何かの賞を取ったりしたなどの時だ。そういう日に、日常と違う料理を出すということは、喜びをいや増すことであり、生活にけじめをつけることにもなる。
 もっとも、私は妻の誕生日と結婚記念日をよく取り間違えてしまう、いや、忘れてしまうが。
 その3 家庭にアーメンの論
 学校給食の時などに、よく、「これを調理してくださる人のことを考えて感謝しながらいただきましょう」などと言うことがある。これは大切な指導である。食事というものは、どうしても「あなた作る人、私食べる人」になりやすいからだ。料理とは座って入ればいつの間にか出てくる便利なものと、みな思っている。
 実は、目の前の食事は、何百何万もの人の手を経ているのだ。そして、それぞれの人々がそれぞれの段階で大変な努力や苦労をしていること、それを我々は忘れてはならない。
 少なくとも、一番最後に料理を作ってくれた人(つまり“お母さん”と言いたいのだが)への思いくらい持たなければ、食事はしてはいけないという習慣をつけるべきだろう。
 食事の前に、クリスチャンが神に向かって「アーメン」などとやるが、あれは神に感謝していると同時に、食にかかわってくれたすべての人に対しての感謝なのかも知れない。そして、さらにその先の人、その先の人へ、と思いをはせることができれば、もう飽食などしないはずだ。
 “その4の理論”を考えていたら、少々腹が減ってきた。それに、あまりにも「あれもこれも」と押しつけたのでは、これもまた飽食になってしまって、貝原益軒の教えに反してしまう。したがって、この辺で「吃飽了」(チー パオ ラ 中国語の「ごちそうさま」)にしよう。

 ※『小僧の神様』
神田の秤店の奉公人・仙吉は、番頭たちが、寿司屋にいくと言って、「どこの寿司が旨い」などと話をしているのを耳にし思う。「『しかし旨いと言うと全体どういう具合にうまいのだろう。』そう思いながら、口の中にたまってくる唾(つばき)を、音のしないよう用心しいしいのみ込んだ。」そして、早く番頭になりたいと考える。


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