源氏物語

源氏物語たより270

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   さりげなく垣間見  源氏物語たより269

 『野分』の巻は、自然と人為が渾然一体となり、詩情豊かに物語が展開していく佳編である。文章も比較的に易しい。
まじめ人間と評判の夕霧が、義母である紫上の姿を垣間見るに至る経過も、自然で無理がない。
 光源氏が、空蝉と軒端荻を垣間見る場面などは、面白いものの、あまりにも意図的で生々し過ぎるのが気になる。しかも垣間見を既にしているにもかかわらず、知らず顔を装って、空蝉の弟・小君に「我に垣間見させよ」などとからかったりしていて、源氏の婀娜(あだ)心や遊び心が垣間見えてしまう。
 また、薫が、宇治で浮舟を垣間見るところなどは、「見てやるぞ」という意気込みが強すぎる。この時の薫の垣間見は、「最長不倒」の記録である。

 これらに比べて、夕霧の垣間見の、なんと自然で爽やかなことか。垣間見に「善し悪し」はないのだが、思いがけなく見るものにこそ垣間見の醍醐味があるような気がする。夕霧の場合は全くの偶然であった。
 源氏が、紫上を防御する体勢は、蟻の這い出る隙もないほどで、まるでセコムである。夕霧に限らず紫上を見ることのできる男などだれもいない。
 夕霧に紫上を垣間見る偶然を運んできたのは、野分であった。この年の野分は
  『れいの年よりもおどろおどろしく、空の色変わりて吹き出づ』
るほどで、年老いた夕霧の祖母(葵上の母で大宮と呼ぶ)などは、
  『ここらの歳に、まだかく騒がしき野分にこそあはざりつれ』
と驚いているほどなのだ。大木の枝は折れる、瓦は飛ぶ、離れの屋は倒れるという激しさであった。

 真面目で律儀な夕霧は、野分の見舞をしようと、大宮や源氏の屋敷を駆け回る。六条院の南の町(源氏と紫上の常の屋敷)に行くと、源氏も、この野分のために明石姫君が心配だったのだろう、たまたま姫君のところに行っていた。
 夕霧が、東の渡殿から寝殿の方を見やると、風のいたずらであろう、妻戸が開いている。彼が何気なく小障子(衝立)の上から妻戸の方を見やると、女房たちが大勢見える。屏風も風が激しいために押したたみ片寄せられている。と、
  『見通しあらはなる廂の御座にゐ給へる人、ものにまぎるべくもあらず』
紫上であった。絶対見ることなどできないはずの義母を、偶然見てしまったのだ。生まれて初めて目にした紫上の姿である。見たこともない人をなぜに紫上と認識できたのかといえば
  『気高く清らで、さと匂ふ心地』
がするほど美しい女性であったからで、他の大勢の女房たちとは比べようもなく、見まごうはずはないのだ。彼はその姿を
  『春の霞の間よりおもしろきかば桜の咲き乱れたる』
ような印象と捉え、その美しさに驚嘆する。あまりに突然の出来事であったために、彼の衝撃は一通りではなかった。彼は、この後、玉鬘や明石姫君や花散里の屋敷を尋ね歩くのだが、終日紫上の姿が脳裏から離れず、胸は
  『つぶ、つぶ、つぶ』
と鳴り続けて止まなかった。そして彼はこう思うのだ。
  『年ごろ(長い年月)かかることのつゆなかりつるを、風こそげに巌も吹きあげつべきものなりけれ。さばかりの御心どもを騒がして、珍しく嬉しき目を見つるかな』
  「さばかりの御心ども」とは、源氏と紫上の用心深さのことを言っている。どんなに用心深くしても、風はそれを吹き飛ばしてしまうものだ、風とは、なんと珍しくも嬉しい体験をさせてくれるものか、という意味である。
 それにしても用心深い紫上が、どうして見通しの良い廂などにいたのだろうか。それは、彼女が
  『(風に痛みつけられる)花どもを苦しがりて、え見捨て給は』
ぬ優しい心の持ち主だったからである。

 夕霧は、六条院の女性方を巡って、しみじみと思う。
 「紫上は自分にとっては母であるし、玉鬘は姉であり、明石姫君は妹である。このような方々と明け暮れ一緒に暮らすことができればどんなに嬉しいことか。私の立場からすれば、それもけっして無理なことではないはずなのに、父(源氏)は、あまりにも隔て隔てに私をもてなす。なんと辛いことだろう」
 当時の貴族階級では、男は容易に女性の顔を見ることはできなかった。たとえ家族であっても、義母や姉妹の姿を直に見ることはできない。特に源氏の場合は、紫上を防御する姿勢は厳重であった。それは、源氏が、若き日に義母・藤壺宮と密通したという自らの経験から割り出してきた鉄則である。そのため、十五歳にもなっている夕霧であるのに、かつて一度として義母の顔を見たことがなかったのだ。現代では想像もつかないことなのだが、それが当時のしきたりであった。
 しかし、野分は巌(いわお)ならぬ源氏の「鉄則」や社会の「しきたり」さえも吹き飛ばしてしまった。
「野分」とは、今更言うまでもないが「秋の野の草を二つに分けるほどに激しく吹く風」つまり二百十日頃の嵐のことである。野分は十五歳の少年の心を真っ二つにするほどに吹き荒れた。

 吹きとばす石は浅間の野分かな   芭蕉 『更級紀行』より


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