郷愁

小田急はロマンスカーに乗って

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   小田急はロマンスカーに乗って
 
  最近は生活が贅沢(ぜいたく)になってしまって、箱根や新宿に行くにも、特急のロマンスカーを使うことが多い。新宿までは、特急を使ってもせいぜい10分くらいしか早く着かないのに、それでも特急が大和に停車するようになったものだから、つい使ってしまう。新宿の紀伊国屋書店に行って、数冊の本を買って帰るだけなどという時には、ずいぶん高い本になってしまう。
 それでも、なにせロマンスカーは、車内がゆったりしていること、窓が広く外の景色が広々と望めること、そして確実に座ることができること、などで一度使うとくせになってしまう。
 だが、私の本音は、実はこれらの理由とは別のところにある。それは、ロマンスカーに乗れば酒が飲めるということである。
 普通列車ではこれは絶対にできない。せいぜいペットポトルのお茶を飲むくらいである。それにもかかわらず、時折、普通列車で酒やビールを飲んでいる人を見掛ける。そういう人の気が知れない。人格や品性を疑ってしまい、いつも白い目で見ている。
 そこにいくと、ロマンスカーは、いかにも酒を飲んでくれと言わんばかりである。
小さなテーブルが設(しつら)えてあるし、車内を女の子が、酒やビールを売りに回ってくる。飲まないと申しわけない気がするのだ。

 特に、箱根湯本に行く時は絶好である。時間的にも小一時間、酒には絶妙の時間である。
 そこで、いつも町田の駅のホームで、“OneCup OZEKI”一本と“かきピー”を一袋買って乗車する。箱根湯本は終点だから寝過ごす心配もない。
 箱根湯本に行くということは、温泉旅館で宴会をするということだ。宴会でまた酒を十分飲むわけだから、わざわざ電車の中で飲むこともなかろうに、と思うかも知れないが、それは素人考えである。宴会の時に飲む酒と電車の中で飲む酒は、入る場所が違うのだ。
 実はこの真理は、我が家の女たちから教えられたことなのだ。我が家の女たちは、夕飯を食べてすぐ、ケーキなどを食べる。私が、
 「今食べたばかりなのによく入るナ!」
と非難がましく言うと、彼女たちは一斉に言う。
 「入るところが違うのよ!」
 今年も、桜の花の時期に箱根湯本に行った。クラス会があったのだ。
 今年の桜は例年よりずいぶん遅れていて、この日、4月10日が満開であった。
前日の9日が土曜日、今日10日が日曜日で、風もなく暖かな好天が続いた。これ以上ないという絶好の花見日和になった。しかも、翌日の月曜からは雨だという。演出されたようだ。

 この日もやはり、町田で例のものを買い込み、座席に座るや、ちびちびと始めた。
小田急も海老名駅を過ぎたころから、窓外の風景が一変する。広大な田園が、平塚、大磯まで続き、山側には、大山や丹沢山塊が大きく迫ってくる。
 左に田園、右に大山を望みながら飲む酒はまた格別である。だから、酒を飲みはじめるのは、海老名を過ぎてからがよいのだが、どうも“座ると飲む”という習性がついてしまっている。だから、“OneCup OZEKI”は海老名までで大半飲み終わってしまう。それ以降は、相当コントロールして飲まないと、せっかくの大山が意味なくなってしまうのに。
 この日は、秦野に着く前に飲み終わってしまった。
 一方、つまみの“かきピー”であるが、「100%秦野産」と書いてある。ところが、“ピー”の方は、ほんの申し訳程度しか入っていない。せいぜい2、30粒だろうか。これでは、「秦野という所は“柿の種”の産地なのか?」と疑われてしまうのではないか。
 窓外のあちらこちらに桜が見事に咲いている。桜は染井吉野にかぎるのだが、それ以外の桜もまことに見事である。特に松田駅に入る前の、山間に咲く淡いピンクの桜は、雑木の新緑と常緑樹の緑に映えて一幅の絵のようである。あれは緋寒桜(ひかんざくら)であろうか。
 残念ながら、この時は酒が尽きていているから、せっかくの緋寒桜も酒なしである。だからといって、もう一本買って飲むというのも気がとがめる。飲みたい気持ちとそれを抑えようとするその葛藤が激しい。緋寒桜が淡いピンクからやや紅が濃くなった感じがする。桜も酔いが回っている。

 松田を過ぎると、私の尊敬する二宮尊徳の故郷である。酒匂川の土手の松並みを見ながら尊徳を偲んでいた。かつてあの松の幹を両手で抱いたことがある。尊徳を実感しようとしたのだ。右側にはお椀を伏せたようなあるいは乳房のような矢倉岳が鮮やかに見え、箱根の明神岳もぐっと車窓に迫ってくる。この辺りが小田急沿線では一番の景観だろう。
 そんな感慨に浸っていると、急に電車が速度を落とした。そして、車内放送があった。
 「ただいま、足柄駅で人と電車が接触する事故がありました。そのため、前の電車が詰まっておりますので、お急ぎのところまことに申し訳ありませんが、しばらくご辛抱願います」
 そんな放送も気にならない。
 「いいよ、いいよ。ゆっくりやってくれ。」
 酒が入ると心が鷹揚(おうよう)になるものだ。
 ところが、小田原に近づいたころ、とうとう停車してしまった。するとまた放送があった。
 「足柄駅の構内で電車と人との接触事故がありまして、前の電車が詰まっておりますので、お急ぎのところまことに申し訳ありませんが…」
 「なに?10分の遅れ。人と電車が接触した?まさかそんな人間はいまい。いるとすればずいぶんのろまな人間だ。飛び込み自殺ではないの?はっきり言ったら」
 さすがに停車してしまったのでは、先程の鷹揚さに微妙な狂いが生じてくる。
 しかし、小田急はあくまで紳士である。“事故の原因”などは一言も言わない。もっぱら“接触事故”“接触事故”である。
 螢田駅を過ぎたところに小さな川がある。そこで盛んにカワウ(?)が数羽、水の中にもぐっては浮かびもぐっては浮かびして、魚を取っていた。こんな小さな川でカワウの生活がある。

 その時、なんの脈絡もなく、突然、山頭火の文章を思い出した。
 「私の後悔は三つある。一つ目は、母の自殺を見たこと、三つ目は酒におぼれたこと」
 こんな内容であったが、二つ目の後悔は私が忘れたのではなく、山頭火の文章自身に抜けていたのだ。山頭火の母親は、彼が9歳の時に井戸に飛び込み、自殺した。それを彼は見てしまったのだ。9歳の子供に衝撃を与えないはずはない。
 それも、彼の後年の人間を作り上げたのであろう。とにかく自分を否定するほど酒を飲んだ。山頭火と言えば、“酒”の歌人というほどの酒浸りである。彼は、酒のために何度も警察沙汰を起こしているし、電車に飛び込もうとしたことさえある。確かに、後悔してもあまりあるほどだ。
 どうして、酒飲みは限度というものがわからないのであろうか。なぜ私のように品よく“OneCup OZEKI”一本にできないのか、その根性が理解できない。また、どうして、自ら死を選ぶようなことをするのだろうか。
 ……
 いつか電車は動き始めていて、小田原駅に到着した。突然脈絡のない思いから醒めた。
 そして、『邯鄲(かんたん)一炊の夢』のうちにロマンスカーの小さな旅は終わった。

 この夜は、大いに飲み、大いに騒いだ。品も人間性もかなぐり捨てた。 翌朝まで、酒が残って頭が痛かった。
 翌日帰り、箱根湯本の駅で、“OneCup OZEKI”と、今度は“かまぼこ”を買って、ロマンスカーに乗り込んだ。ところが、どういうわけか、飲まないままで、“OneCup OZEKI”が、我が家まで連れ立って戻っていた。
 天気予報の通り、この日は雨で、満開の桜も雨に打たれて散り急いでいる。
 新聞をたまたま開いて、三面記事を見ていたら、
 『足柄駅で21歳の女の人がホームから飛び下り』
たという事故の記事が載っていた。「警察では自殺と見ている」とあったが、自殺以外に何があるのだろう。
 花と酒と、そして死と。やはりこの世は邯鄲一炊の夢なのであろう。

 ※『邯鄲一炊の夢』
   盧生という青年が趙の邯鄲で、道士・呂翁から栄華が意のままになるという 不思議な枕を借りて寝たところ、次第に立  身して富貴を極めたが、覚めると枕頭の黄梁(こうりょう 大粟)がまだ煮え切らないほどの短い間の夢であったという故事  (広辞苑より)



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