郷愁

磨かぬ玉は光らぬ

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   磨かぬ玉は光らぬ

 あるピアノ奏者からこんな話を聞いたことがある。
 「今日のホールのピアノはとてもよかったわ。6年前に弾いた時とは響きがまったく違いました。こんなにいいピアノだったとは思いませんでした」
 私には、ピアノの音のよし悪しなどもちろん分からないが、調律などの管理がよかったためかと思ったのだが、そうではなかった。彼女は
 「いえ、そういうことではなくて、時というものでしょうか。ピアノは、新しいうちはまだ音が成熟していないのです。それが、何人もの人によって弾きつがれることで、鍵盤と弦との関係がしっくりいくということでしょうね。その意味で、今あのピアノは一番いい状態にあるといえるのではないでしょうか」
と言われる。
 なるほど、そんなものなのか。ピアノもよい音を奏でるまでには年月が必要なのだ。そして、その間、何人もの優れた演奏家によって弾き込まれ、次第に音がなれ、芳潤の響きを放つようになるということなのだろう。
我が家のピアノは、時は十分たっている。しかし、ほとんど使われない。娘が帰ってきた時に、たまにポロンポロンと弾いている。あとは孫がやってきて、オモチャのようにガチャガチャやるくらいだ。あれは弾いているのではない。だから、我が家のピアノは、年月は十分たっているのだが、熟していないはずだ。どちらかといえば、年に一度やって来る調律師のためにあるようなものだ。
 バイオリンの名器ストラディバリゥスなどは時を越え、弾きこなすことによって音にさえが出てくるということを聞いたことがある。能の楽器などもそんなことがよくいわれる。使わなければ本来持っている質まで落ちてしまう。

 これは楽器だけのことではない。いろいろのものに関してもいえることだ。碁盤も陶器も着物も、使えば使うほど、着れば着るほどしっくりとし、よくなっていく。
 たとえば、大工道具などもそうだ。大工道具は使いこなすことでますます切れは増す。使わなければすぐ錆びがくる。大工さんの道具箱に、使いこなされたカンナやノミやノコギリが、整然と並んでいるのを見るのは気持ちのいいものだ。
 「ああ、この道具たちは、よき持ち主のために十分その機能を果たしているな」
と感じる。もちろん管理いかんにもよるだろう。使った後すぐ研ぎにかけたり、心を込めて道具箱に仕舞い込んだりすることも大切だ。
 落語の枕に「トンカチ」が登場する話がある。
 「おーい、長助、隣に行ってトンカチをかりてきな」
 「へーい、」…「行ってきたけど貸してくれなかった」
 「どうして貸してくれなかったんだ?」
 「ヘイ、『なんに使うんだ』っていうもんですから、『釘を打ちます』っていったら、『トンカチがへるから貸せない』って」
 「まったく、何てケチなんだ。長助、それじゃあ、うちのを出してきなさい」
 トンカチは単純な道具すぎて、使いこなせばよくなるものかどうかは分からないが、ただ、いくら使ったとはいえ、それほど減るものではない。そもそも使わないで仕舞っておいたのでは、トンカチの機能を果たせない。トンカチだって、大事に仕舞い込まれてばかりいたのでは、「たまにはおれにも働かしてくれ」と愚痴の一つも言いたくなるだろう。
 その単純なトンカチタだって柄の部分などは、使い込むことによって、艶が出るし貫禄も出る。
 家屋なども同じことがいえる。人が住まなくなると途端に痛んでくる。使わないのだから長持ちしそうなものだが、てきめんに痛んでくる。10年もすれば、屋根ははがれ、柱は傾いてきて、まるでお化け屋敷のようになってしまう。
 部屋に風をいれないといけないのだ。人が部屋の中を歩き回らなければいけないのだ。だから、子供が部屋の中でドタバタ騒いでも叱ってはいけない。そうされることが家屋の宿命なのだ。

 ところで、『浦島太郎』という童話があるが、あれは寓話の一つだと思っている。
 そもそも人間が亀に乗って竜宮城にいくなどということはありえない。あれは、太郎が怠け者で、いつもうたた寝ばかりしていて、うたた寝の間にみた夢だ。夢の中でタイやヒラメの踊りに陶然とし、乙姫様としっぽり過ごしていたのだ。
 あれは男のだれもが見る夢であり、ロマンである。でも、普通の男は、目が覚めたところでいやいやでも働きに出る。
 浦島太郎は寝続けた。毎日毎日ゴロゴロ寝ていた。ある日、食うに困ってしかたなしに起き出し、仕事箱を開けてみた。すると、すべてが、「パアー」になっていた…ということだ。太郎が急に歳をとったというのではない。仕事箱の中の道具が、すっかり歳をとっていて使い物にならなくなっていたのだ。
 『浦島太郎』が寓話たる所以がここにある。
 ある新聞に、こんな記事が載っていた。
 「人間の顔には表情を作る筋肉が、28本ある。しかし、普通の人は、この筋肉の20~30%しか使ってない。この筋肉のストレッチをすることによって、「表情が豊かになるばかりではなく、笑顔を生き生きと輝かせることによって、気持ちまで前向きになるという側面がある」。
 人間の筋肉も、楽器や道具や家屋と同じなのだ。使わなければ、表情筋は退化する。そういえば、いつも渋面ばかりで、かつて一度として笑顔を見せたことのないという人がいるものだ。「この世は夢か幻か」とでもいうような表情をして。「無駄に体を動かすと筋肉疲労を起こす」とでも考えているのだろう。ああいう人は、それこそ顔の筋肉の1%も使っていないのではないだろうか。そうなると落語『トンカチ』のトンカチと同じになってしまう。

 人間の脳ほどこの真理に当てはまるものはない。
 歳をとるともの忘れが激しくなる、といわれる。歳とともに脳の細胞が減っていくという医学的な根拠があるから、ある程度もの忘れが多くなるのも仕方のないことではある。しかし、定年を迎え、社会生活からリタイアしてしまうと、脳に風をいれる機会がぐっと減ってしまうことに、もの忘れの主なる原因があるのだろうと、私は思っている。
 その証拠に『矍鑠(かくしゃく)として』という言葉がある。現に80歳、90際になっても矍鑠としている人は多い。なぜ矍鑠としていられるのか。脳に風をいれているからだ。自らを磨いているからだ。使い込まれた楽器のようにすばらしい音色を出すお年寄りもいる。
 やはり、誰もが、「常に磨く」努力を怠ってはいけないのだ。



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