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源氏物語

源氏物語たより272

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   鏡よ鏡  源氏物語たより272

 『身はかくてさすらへぬとも 君があたり去らぬ鏡の影は離れじ』
 (私の身はたとえ都を離れ、はるかな地をさまよったとしても、この鏡に映った私の影はあなたのそばを離れることは決してありません)
 『別れても影だに止まるものならば 鏡を見ても慰めてまし』
 (たとえお別れしても、あなたの影がとどまっているのでしたら、その鏡を見てお会いできない寂しさを慰めていることにいたします)

 上の歌は、光源氏が須磨に退去するにあたって、紫上と詠み交わした別れの歌である。概ね男女の贈答歌は、男の歌い掛けに対して、あい反発するような内容で返すのが慣わしのようになっている。ところが、二人は永の別れになるかもしれないし、源氏が再び都に帰ってこられるのかどうかさえおぼつかない状況なのだ。二人の歌は、さすがに真剣な応答にならざるを得ない。
 この歌を詠み交わす直前、源氏は髪を整えるために、鏡に向かっていた。右大臣、弘徽殿女御(大后)方との抗争のために、心身ともに疲れ切ったのであろう、鏡に映しだされた姿はすっかり『面やせ』していた。それを見て、彼は、紫上にこう語りかけた。
 『こよなうこそ衰へにけれ。この影のやうにや痩せて侍る。あはれなるわざかな』
 それを聞いた紫上は、一筋の涙を浮かべて源氏を見やる。その姿のなんと哀れなことか。耐えきれなくなって、源氏は冒頭のように歌いかけたのだ。愛する者同士が永い別れをしなければならない愁嘆の歌である。
 (もっとも、源氏は鏡に映る自分の姿を見ながら、痩せているとはいえ『我ながらいとあてに清ら』と我ぼめしているのだから可笑しなことだ。このあたりの彼の意図が計りきれないのだが、恐らく「こんなに気品に満ちた美しい私と別れるのは、あなたにとっていかに哀しいことか」とでも言いたいのだろう)
 いずれにしても、この歌には、自分の愛は未来永劫紫上から離れることはないのだという強い意志が溢れている。それに対して紫上も真情をもって応じたのだ。

 ところで、源氏の言う「鏡の影」は、単に鏡に映った自分の影のことを言っているのだろうか。そうではないはずだ。この場合の「影」は、鏡に籠っている彼自身の「魂」を言っているのではなかろうか。そう解釈して、改めて歌の意味を言い直してみれば
 「たとえ身体はどこを彷徨っていたとしても、私の魂は、あなたのそばを離れるようなことはありません」
ということになろう。そこで紫上は、「あなたの魂が宿っている鏡とおっしゃるのなら、いつもそれを心の拠り所にして・・」と応じたのだ。

 鏡に魂が宿るというのは、神代の時代からのことである。古事記の天孫降臨の場面をみてみよう。天照大神は、豊葦原水穂国(とよあしはらみずほのくに)を治めるべく、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を下す。この時、天照大神は、八咫(やた)の鏡と八尺(やさかに)の勾玉と草薙の剣を瓊瓊杵尊に授ける。そしてこう言う。
 『これの鏡は、もっぱら我が御魂として、我が前を拝(いつ)くが如く拝き奉れ』
 この鏡には 私(天照大神)の魂が宿っているのだから、それを大切に拝み祭りなさいということである。以来鏡は神そのものの象徴となった。神社の御神体が鏡であるのはそのためであるし、内裏の温明殿(賢所)には常に神鏡(伊勢神宮の模造)が安置されているのもそのためである。

 鏡に関するもう一つの例を上げよう。『魏志倭人伝』に、魏王が、卑弥呼の使いに銅鏡百枚を与えた記事が載っている。その時、魏王はこう言っている。
 「下賜品(銅鏡)を受け取ったなら、国中の人にそれをことごとく示せ」
 日本の国中の諸王にこの鏡を示しなさいと言うことである。ここでは、鏡に魏王の魂が宿っていると言っているわけではないが、やはり天照大神の鏡と同じであると考えていいだろう。魏王の権威を鏡に託したということであり、「日本の諸王はこの鏡を魏王の魂として拝せよ」という意味が込められていたものと思う。
 それが日本の各地で出土する「三角縁神獣鏡」なのであろう。

 鏡には、神秘で不可思議なもの、霊的なものが漂っている。初めて鏡を見た人はどんなに驚きあきれたことであろうか。変哲もない鏡面という空間に、突然得体のしれないものが映し出されるのだ。人は思わず不可思議な霊力を持った鏡の前にひれ伏したはずである。鏡にまつわる話は多い。『白雪姫』もそうだし、落語にさえ出てくる。
 どうも亭主の行動がおかしいと思ったあるおかみさん、亭主がよく覗き込んでいる納戸の行李を、彼がの留守の間に開けてみて驚いた。なんとそこには女がいるではないか。  
 「あら!あの人、こんな女と浮気して」
と泣き騒ぐ話である。

 源氏の話に戻ろう。源氏は魂の宿る鏡まで持ち出して、紫上への至上の愛を誓った。にもかかわらず、彼は現地の娘・明石君と情を交わし子供まで作ってしまった。
 源氏はいずれ「事の次第」が紫上に漏れてしまうだろうと思って、やむなく告白することにした。
 源氏は、明石にいる女君のことを告白し始める。一緒に過ごした夜の女君のさまや、琴を美しく弾く彼女の姿などをしみじみ偲びながら語っている。女君が心に焼き付いて離れないのだろう。明石君は琴の名手である。
 そんな源氏の様子を見ながら、紫上は思う。
 『我は、またなくこそ悲しと思ひ嘆かれしか。すさびにても心を分け給ひけむよ』
 「すさび」とは「遊び」ということである。たとえ遊び心とはいえ、私以外の女と情を通じ、その女に心を分けたのだ。
 「この鏡に私の魂が宿っている。私の魂はあなたから決して離れることはない」
とまで言って、別れに当たって誓ったあの鏡は一体何だったのか。
 彼女は「我は我」と源氏から目を背ける。
 白雪姫ほど残酷な話ではないが、紫上にすれば、誠に酷なやりきれない仕打ちである。鏡には、魂が宿っていてすべてを見通す霊力があるのだ、うっかり持ち出さない方が賢明である。


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