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郷愁

古代人の息吹

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   古代人の息吹き

 東京上野の国立博物館の第一室に入ると、まず新潟県出土の縄文土器が目に飛び込んでくる。もちろん火焔土器である。そのあまりにも荘重な、重厚な造りに驚かされる。
 今年、その火焔土器が出土した新潟県十日町市に再び出かけた。土器でありながら、国宝に指定されているのである。火焔土器だけではない、王冠型土器など数十点がみな国宝に指定されているのだ。まさに圧巻である。今回はあの荘厳、重厚な火焔土器以外に、シンプルな二つの深鉢に目を奪われた。シンプルな中に気品が漂っている。このことについてはいずれ述べようと思っている。

 さて、これらの火焔土器や王冠型土器を見ると、なぜあれほど不必要なまでに過度に装飾を施したのだろうか、という疑問にいつも突き当たる。このことについて考えてみよう。  従来、縄文にしても弥生にしてもこれらの土器は、煮炊きに使用されたと言われてきた。しかし、だれが考えても火焔土器のあの装飾は煮炊きに使ったものとは考にくい。呪術のためという説もあるが、はたしてそうだろうか。

 結論から言えば、私は、単なる飾りのためであったと思っている。部屋の片隅に飾っておいて、お客に自慢するものであった、と。

 まず、煮炊き論について考えてみよう。
 日常の生活用具とするにはあまりにも大きすぎること。当然竪穴の狭い掘建小屋の中で使用したのだろうから、あれでは大きすぎて場所を取り邪魔である。
 それに、装飾が多く、使用にはまことに不便であること。煮立った壷を扱う時に、火焔の装飾部分は完全に邪魔になり、火傷もしてしまうだろうし、けがをしやすい。
それに、あの壷で湯をわかすには、相当の燃料を必要とするだろう、それでは部屋の中が熱くてたまらない。
 さて、煮炊きでなく、栗や椎の実を入れたとしよう。それにしても、あのごてごてとした火焔の部分は不要である。日常はもっとシンプルで小さい土器を使っていたはずである。その意味からこの入れ物論も納得のいくものではない。

 次に、宗教的な行事に使ったとする説はどうだろうか。
 私が、この説に疑問を持つのは縄文の大型土器が、あまりにも多いということである。全国各地から出ている。全国津々浦々どこの博物館に行っても目にするのが、この大型縄文土器である。
 まだ発掘されず、土の中に埋蔵されている縄文土器は、数しれないほどある。発掘されたものは氷山の一角にすぎない。たとえば、綾瀬市などでは、目久尻川や比留川ぞいの土地は、掘れば必ず土器が出ると言われているほどだ。事実、以前生徒と土器を拾いに行った時、畑の隅に土器の破片が無造作に捨てられていた。農家の人が畑を耕していて出てきたものだ。もちろん大型の土器であるかどうかは分からないが、いずれにしても、大型土器も多数あったはずだ。
 いくら、数千年の時を経ているから多いのだろうと言っても、これほど多くの土器が出土しているというのは異常である。とても宗教的な行事のために必要としたものとは思えない。
 中国の殷代の甲骨文字も呪術の時に使われたもので、これも無数に出土している。
しかし、これは戦いや農事に関して日常的に占いが行われ、それを記録したもので、必然的に数も多くなる。
 ところが、土器はそうではないはずだ。宗教行事のための象徴となるものだとしたら、それほど多くを必要としない。一つの部落に一つあればすむ。しかも、通常そういうものは、長期間にわたって使用する。

 私はこれらのことから、大型の縄文土器や火焔土器は、少々の財産と生活に余裕のある普通の人が、日常的に使っていたもの、というより、持っていたものだと思っている。 何のためにであろうか。もちろん、装飾のためだ。部屋を飾るためだ。
 私は、最近二つの点で、古代に対する我々の常識や認識が間違っているのではないかと、思いうようになっている。
 一つは、縄文、弥生の時代は、我々が考えているほど、貧しく厳しいもではなかったのではないかということである。むしろ、相当の余裕を持ったものであった、と。これについては別のところで述べたところである。
 二つ目は、古代の人々も、我々と同じように美に対する興味・関心が強く、芸術的なセンスにも富んでいたということである。ひょっとすると、彼らは、しばしば『芸術展』なども開いていたかもしれない。で、このことは、彼らの生活が決して貧しくも厳しくも余裕のないものでもなかったということと結びつく。
 人間は、いつの時代も身を飾り、そして部屋を飾ってきた。余裕さえあればより美しいものを求めた。刺青で体に絵を描いたのもその一つだ。
 綾瀬の上土棚遺跡で、甕に入れられた三つの石が出土したことがある。私も発掘の時に、実際にこれを見ている。美しい輝きを持っていた。なかでも翡翠色をしたひとつの石は実に美しい。
 家の玄関の位置に置かれていたという。学者は宗教的な意味を持っているのかもしれないと推理したらしい。が、私はもっと単純に「美しいものを美しいとして集め、玄関の棚の甕に入れて飾っておいたもの」ととらえた。
 学者は、ものごとを深刻に、難しく考え過ぎる傾向があるのではないだろうか。
 私は、綾瀬市の神埼遺跡から出土した、弥生の土器を見るたびに、このことを実感するのだ。特に、口径27、2cm、底径16cm、高さ22、5cmほどの『高坏』はみごとである。全体のバランス、柔らかな器の曲線、台の部分のなだらかな広がり、焼きの色の温かさ…、この高坏のいたるところから、たぐいまれな気品と品格が漂ってくる。
 プロが造ったものであろうか、なにかそうではない気もする。隣のおじさんが造ったのではないだろうか。彼らはいつも「今度はもっといいものをつくってやるぞ!」という芸術的精神に溢れていた。
 私は、この土器をぜひほしいと思っている。そして、床の間に飾るのだ。毎晩ふとんに体を横たえながら、女体を眺めるような気分で、この土器をうっとりと眺めたい。弥生人も必ずそう思ったはずだ。2000年も前の野蛮人がそんなことをするはずはない、と考えるのは現代人の傲慢である。
 この高坏、古代人は野菜や果物や料理したものを盛ったものであろう。私だったら、そのあまりの気品に、めったなものは盛らないはずだ。盛るとすれば、真っ赤に熟れたリンゴの実を、三つほどバランスよく盛る。

 時代をさかのぼって、石器時代の石器を見てみよう。
 綾瀬でも、石器時代の石器がいたるところから出土している。これら石器は、狩りに使い、そして、肉を刻んだり、料理をしたりする時に使ったものであろう。しかし、それにしてはいずれもが実に美しい輝きを持っている。不思議なほどの輝きと、形のよさを持っている。寺尾遺跡のものなどみなそうだ。2万9千年以前の人々が黒曜石などの石を砕いた時、偶然できたものであろうか。どうもそうは考えにくい。偶然ではないと思っている。彼らは意図的に美しく割ろうとしたのだ。あるいは、美しく割れた石器を集めたのだ。
 現代の我々でも、包丁などは、とにかく切れればいいものを、わざわざ「関」のものだ、「三条」のものだ、と、より上等なものを手に入れようとする。そして、手に入れると自慢する。やはり輝きが違うからだ。美しいからだ。気品があるからだ。いつの時代も、人間というものは、美しいものには目がないのである。

 古代人の精神文化は、我々が想像するほど低くはない。今回、十日町の遺物を見て、改めて彼らの美的感覚、芸術的センスの高さに思い至った。特に二点の「深鉢」には現代人にさえない精神の高さを感じるとともに、そこから古代人の生き生きとした息吹を感じ取ることができた。そう感じさせたのは、いつの時代にも鑑賞に堪えうるものを作ろうとした彼らの崇高な誇りであるような気がした。


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