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源氏物語

源氏物語たより274

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   光源氏が政界に復帰できたわけ 源氏物語たより274

  光源氏が須磨に退去して以来、朱雀帝は体調を崩し、特に目の病が昂じてすっかり弱気になっていた。帝の病は、有能な源氏を須磨や明石などに流しておくことに耐えられないという精神的な悩みからきていたのだろう。世間でもあれこれ皇位継承について取り沙汰するようになっていた。
  もちろん、大后(弘徽殿女御)にすれば朱雀帝が永く帝位に就いていてくれればいいのだが、帝の弱気もあってなかなか思うに任せない。また、朱雀帝の子供に譲位すれば済むのだが、この子の外戚は現在の右大臣である。帝の父・太政大臣は既に死去していたので、いずれにしても大后に権威が戻ることにはならない。しかもこの皇子はまだ二歳という幼さである。
  このような状況を考慮すれば、自ずから現在の東宮(後の冷泉帝)に譲位せならざるを得なくなる。東宮に譲位した場合、その後見としては誰が適任であろうか。帝はさまざまに思い巡らすが、結局源氏以外にないという結論に行きつき、ついに
  『(大)后の御いさめをも背きて、ゆるされ給ふべき定め出できぬ』
という結果になった。
  たまたま大后も昨年から物の怪がついたりして体調を崩していたし、さまざまなもののさとしまである。そのため世の中がなにかと騒がしい。もの心寂しくなった帝は改めて
  『七月二十日余りのほどに、また重ねて京に帰り給ふべき宣旨』
を下したのである。源氏が須磨に流れてから二年と四カ月。この宣旨にはさすがの源氏も驚いた。
  『(これから自分の将来は)いかなるべきにかと嘆き給ふを、かうにはかなれば嬉しきにそへても、またこの(明石の)浦を離れんことを思し嘆く』
  彼が明石を去ることを「思し嘆く」のは、明石君が妊娠していたからである。

 左遷された者が都に召喚されることはあっても、その後、出世街道を驀進するなどということはあり得ないことである。歴史的にもかつてなかった。ひとえに住吉の神の思し召しであり、故桐壺院の霊のお導きのおかげである。

 しかし、源氏が政界に返り咲くことができたのは、霊妙な神仏の力や故院のお陰だけではない。彼にとっては、誠に幸運なめぐりあわせであったのだ。その幸運を引き出したのは三人の人物の人間性である。
  一人は朱雀帝。彼の弱気と優柔不断が源氏に幸運をもたらした。もう一人が大后である。彼女の冷徹さは人々の反発をかう以外のなにものでもない。そして帝の父親・太政大臣(右大臣)。彼の人柄はあまりに「あはつけき」ものであった。あの「あはつけさ」では群臣の心を掴むことはできない。
  このうちの一人でも人格的に優れていたならば、かくもあっけなく権勢を失うことはなかったろう。在位七年という短さではなく、群臣の信望のもとに「朱雀帝王国」を確立できていたはずである。
  先に「世の中がなにかと騒がしい」と言った。それは、太政大臣や大后が政をするにあったっての人々の不満や怨嗟による騒がしさであったと思われる。なにしろ一族の繁栄ばかりに腐心し、正当な人事さえ行われなかったのである。こういう措置は人々の反発を引き起こす最も大きな原因になる。

 このような条件が源氏に幸運を招いたのだ。運がその人の人生を左右する例は歴史的にも多い。たとえば、藤原道長などは、まさに幸運が彼に栄華を運んできた典型である。彼の実力だけではなしえなかったことである。
  道長の兄である関白の藤原道隆は、酒の飲み過ぎにより四十三歳という男ざかりに死んでしまった。摂関の座わずかに五年である。また、次の関白・藤原道兼(道長の兄)は、当時大流行した疱瘡(ほうそう)のために三十五歳の若さで亡くなっている。道兼は関白の宣旨が下りたその日にすでに疱瘡にかかっていて重体。彼のことを世に「七日関白」という。
  労せずして関白の座が道長に転がり込んできた。
  ただ、道隆の嫡子・伊周との争いでは道長の実力がいかんなく発揮された。彼の姉・詮子(一条天皇の母)が、道長を支援したのは彼の人柄を見て取ったのであろう。あるいは裏で巧妙な策略を練っていたのかもしれない。それも実力の一つである。
  源氏が、政界に復帰し、権大納言、内大臣、太政大臣とひた道に出世して行ったのは、彼の実力であり人柄である。また、その裏に冷泉帝と藤壺入道の多大な支援があった。道長に重なるものがある。

 紫式部は、霊妙不思議に突き動される光源氏を描きながら、また「政治は女の語るところにあらねば」と言いながら、実は歴史上の事実や当時の政治上の出来事をつぶさに観察し、それをしっかりと押さえて生々しく政治を描き、物語を構成しているのである。その意味で源氏物語は、現実を離れた夢物語ではなく、骨太の歴史小説なのである。
 


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