郷愁

ヤモリがいました

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    ヤモリがいました

 ここのところ、毎晩のようにナメクジ退治をしておりますので、なんとなく体がぬめぬめしているような感じがいたします。
 その晩も、懐中電灯とピンセットを持って、ナメクジの捜索をしておりましたところ、夏ミカンの木の下で、電灯の光の中に、何か変ったものが照らし出されました。思わずピンセットで摘まみ上げてみますと、なにやらトカゲのようなものが挟まっているではありませんか。首を挟まれているためでしょう、こそばゆそうに身をくねらせております。可哀想な気がいたしましたので下に下ろしてあげました。すると、逃げもしないで、私の方を怪訝な面持ちで眺めております。
 全身灰色で、暗褐色の斑点のような模様が散っております。頭は角張って、体は扁平。四本の足を不恰好に開いているところは、なんとなく愛嬌があります。
 明らかにトカゲではありません。トカゲなら我が家にも何匹かおりましてよく見ておりますから、お馴染みでございます。
 このトカゲでございますが、私が大事にしておりますオンブバッタをバッタバッタみんな食べてしまうのです。ですから、見つけ次第ピンセットで摘んで、隣の大工さんのお屋敷に追放の刑に処しております。

 トカゲでないとすると、はて、何と言う生き物なのでしょう。新種の爬虫類かも知れません。急いで家に入りましてビニール袋を持ってまいりました。捕獲して『何でも鑑定団』に鑑定してもらおうと思ったのでございます。戻ってみますとまだいました。相変わらず私の顔を怪訝な面持ちで眺めているではありませんか。あるいは先ほど突然光に照らされたので、目がくらんでいるのかもしれません。
 ピンセットで摘み上げようとしますと、今度はうまく挟めず、尻尾だけを掴んでおりました。さすがに相手も命ある物でございます、するりとピンセットから脱出してしまいました。慌てて探してみたのですが夜の闇に紛れてしまい、いくら探しても行方は杳として分かりませんでした。
 「せっかく新種の生き物を発見したのに、逃してしまった」
と残念でなりません。
 さて、トカゲでないとすると、あれはいったい何でしょう。まさかイモリではないでしょう。イモリなら子供のころ、さんざんてこずらされた経験がありますので、よく知っております。フナ釣りなどをしておりますと、イモリがよく針にかかってしまったものです。針を深く飲み込んでしまうものですから、容易に取り外すことができません。それになにしろあのグロテスクな姿で、毒々しいほどのあの腹の朱色、見るだけでも辟易してしまいます。ですから、イモリが掛かってしまいますと、もうすてっぺんから針を取るのを諦めてしまうのです。貴重な針ですから、イモリに贈呈してしまうのは癪ではございますが、背に腹は代えられません、糸を切ってしまいます。
 それにイモリはいったんものに噛み付きますと、雷が鳴るまで離さないという言い伝えが私の生まれた地方にございました。そう都合よく雷が鳴るわけでもございませんから、下手に噛み付かれでもしたら大変です。それで、すぐに水の中に放してしまいます。
 さらに、イモリには、聞くに耐えない噂がございました。雄と雌のイモリを黒焼きにいたしまして、その粉をこっそり女に飲ませますと、女が自分に惚れるという惚れ薬になるというではありませんか。
 あの新種の生き物には、そんな隠微な気配は微塵もございませんでした。

 あれやこれや考えあぐねておりましたが、ふと思いつきました。
 「ひょっとすると、あれがヤモリなのかも知れない。」
 早速、広辞苑を引いてみましたら、間違いありません。ヤモリでした。
 「多くは夜行性、食虫性で、鳴くものもある。六百数十種。ニホンヤモリは、大きさは
12cmほどでトカゲに似て、平たく、鱗は微少で全体に暗褐色。多数の褐色斑が散在。指趾の下面は吸盤様で、これで壁や天井などに掴まる。夜出て昆虫を捕食。毒はない」
 それにしても広辞苑というのは、なんという物知りなのでしょう。それに表現力の的確さ、豊かさ、いつも感心させられてしまいます。ヤモリも私の見たままありのままが、そのまま表現されております。
 ナメクジを食べるとは書かれてはおりませんでしたが、ひょっとすると、あの晩、あのヤモリはナメクジを捕まえにきていたのかも知れません。だとすれば私の助っ人でございます。ピンセットで挟むなどとんだことをしてしまったものです。明日の晩からは我がナメクジ捜索隊に加えなければなりません。
 いろいろ調べてみましたら、イモリは、サンショウウオ目、ヤモリは、トカゲ目でございました。ヤモリがトカゲの仲間で幸いでございました。なぜなら、サンショウウオなんていうのは、いかにもグロテスクで一片の可愛げもないからでございます。サンショウウオが好きだなどいう人は万が一にもいないとは思いますが、もしいたとすれば、異常人格者と言わざるを得ないでしょう。井伏鱒二という作家は、『山椒魚』という小説を書いておりますが、彼はどういう人格の持ち主だったのでしょう。
 それに比べて、トカゲは、可愛いいというほどのものではございませんが、それでも、目をきょろきょろさせて周囲をうかがう様子やちょろちょろ走り回る様子には何か憎めないものがございます。
 
 それにしても、我が家にヤモリがいるとは驚きでございました。子供の頃から、野生児のように、野山を飛び回り、夜なども、蛍は捕りに行くわ、ガチャガチシャは捕りに行くわ、夏などはウナギ捕りによく行ったものでございます。にもかかわらず、一度もヤモリを見たことがございません。それが、この歳になって見ようとは思いもよりませんでした。
 今まで見たこともないヤモリではございますが、なんとなく不気味な印象を持っておりました。家の中にいて、壁や天井に張り付いているというのですから。寝ている時に顔の上にでも落ちてきたらどうしましょう、などと思ったものです。
 でも、幸いというか一度もその姿を見たことはありませんでした。ですから、まさかこのあたりにいるとも思いもしませんし、まして我が家にいるなどということは、毛頭想像したこともございませんでした。

 ところで、ヤモリを《守宮》と書くのは一体どういうことでございましょう。《家守》なら素直な読み方ですし、壁や天井に張り付いていて害虫を捕らえてくれるというのですから、いかにも家の守りという感じがいたします。ただ《宮守》でもいいと思います。なぜかといいますと、「みや もり」は発音が訛って「みゃ もり」「やもり」となるでしょう。誰かが昔、逆に書いてしまったのではないでしょうか。妻は
 「漢文読みではないの。」
と、こともなげにおっしゃるのですが、そんなに簡単にことを片付けたくないのです。でも漢文読みであることは間違いありません。ただ要はなぜ漢文読みにしたかということでございます。さすがの広辞苑にもこのあたりのいわく因縁については、記述がありませんでした。
 私はこんなふうに推測いたしました。
 《宮守》でもいいのですが、これだとものの貫禄というものが出てまいりません。せいぜい《鎮守の宮の守り神》程度で、《子守り》や《灯台守》とかわりません。ヤモリはもともともっと神聖にして犯すべからざる者だったのではないでしょうか。それがわざわざ漢文読みをさせたということです。漢文読みなど、私の妻以外はそうそうできるものではありません。やはりヤモリは《守宮》でいいのです。きっと記紀の時代から、畏れ多くも賢くも、という存在だったのでしょう。なにしろ
 〔宮を守護奉る〕
のですから。

 ここで《宮》という文字について考えてみましょう。
 「ウ冠」は、もちろん家の屋根を現わします。中の「呂」は、「口」が二つ並んでいますが、これは「くち」ではございません。大きな区域を表わします。「国」とか「園」などに使われているとおりです。それに屋根がついたわけです。「呂」は「口」が二つもあるということで、相当の規模の区域、あるいは建物ということになります。つまり、宮殿、皇居、御所、あるいは、神社や仏閣などです。 
 そこを守護奉っていたわけですから、大変な者です。物部氏か近衛府の官人というところでございましょう。ですから万が一にも、「ヤモリ」などと言ってはいけないのです。少なくとも「ヤモリ様」または「ヤモリ殿」でなければなりません。
 そのお方が、我が家においでになって、我が家を守っていてくださったのですから、我が家も相当なものと言っていいのではないでしょうか。
 大学のクラス会の時にこれを話題にいたしました。そういたしますと
 「おお、ヤモリな、うちにもいるよ。やつはなかなか可愛くってな。愛嬌があるよ」
と、口々におっしゃいます。皆さん、ヤモリ様とは随分親しいご関係におありのようで、いささか畏れ多さが、減じてしまいましたが、いずれにしても、ピンセットで挟んだりしてしまった不敬だけはお詫びしなければなりません。その上で、明日の晩から二人して衛士の勤めに励もうと思っております。
  
 『疲れては守宮棲む戸に帰るなり』   黒岩漁郎


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