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源氏物語

源氏物語たより276

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   姫君誕生と同時に后教育  源氏物語たより277

 光源氏が京へ帰った翌春三月、明石君が女児を生んだ。使いからこの報告を受けた源氏は、
 『めづらしき様にてあなるを思すに、おろかならず。などて京に迎へてかかることをもせざりけむと口惜しう』
思う。「めざらしきさま」とは、生まれた子が女児であったことである。源氏にとって、生まれた子が女児であることが「並大抵でない」嬉しさであったのは、かつて宿曜(星の運行によって人の運勢や吉凶を占う術)から、次のような占いをしてもらっていたからである。
 『御子三人。帝、后、かならず並びて生まれ給ふべし。中の劣りは太政大臣にて位を極むべし』
 源氏には実子は夕霧とこの姫君しかいないのに、「御子三人」と言っている。それは、源氏と藤壺宮の間に生まれた秘密の子を加えているのである。この秘密の子が後に帝になる。
 「中の劣り」とは夕霧のことである。これもずっと後に太政大臣になった(物語上ははっきり太政大臣とは書かれていないが)。後の太政大臣を「中の劣り」とは随分辛辣な表現だが、確かに帝に比べれば、太政大臣などは物数ではなく、源氏物語においては、はるかな「劣り」になってしまうのだ。
 さて、それでは「后」とはだれのことであろうか。もちろん明石君が生んだこの姫君である。明石姫君も後に后になる。つまり宿曜の占いはすべて当たるという結果になるのだ。
 源氏物語には、宿曜や高麗の相人などによる三つの占いがあって、その占いがどのようにして実現していくのか、いわば「謎解き」のような面白さがある。それが読者の興味関心を引きつける要素になっているのだ。しかしだからと言って、三文探偵小説やテレビの不出来な推理番組のような現実にはありえない事象を羅列して謎を解いていくのではなく、紫式部は、事実に則った現実感溢れた事柄を駆使してぐいぐい結論に導いていく。

 女君の誕生は源氏を大いに喜ばせるのだが、同時に「どうして京に迎えて生ませられなかったのか」と残念がりもさせる。彼の脳裏を走ったのは、この姫君こそ宿曜の言う「后がね」だからである。将来入内するに当たっては「田舎生まれ」は大変な疵になってしまう。また京でだったら十分な産養(うぶやしない 誕生後の祝い)ができる。
 源氏は現在内大臣である。内大臣の子の誕生ともなれば、三日、四日、七日,九日と華やかな産養いを催すことができ、その都度、百官が源氏のところに祝いにやってくる。それはとりもなおさず源氏の権威をますます上げることに繋がるのである。
 彼は、仕方なしにこっそり明石に乳母を送る。この乳母の父親は、宮内卿で宰相であった。つまり超一級の乳母を明石に派遣したのだ。明石入道も押しも押されもしない財産家であるから、わざわざ京から乳母を送らなくても、明石で立派な乳母を選ぶことができるだろうし、京からも優れた人物を呼ぶことができるはずだ。しかしそれでは源氏にとっての后教育としては誠に心もとないことであった。
 それならいっそのこと、明石母子を京に呼べばいいのにということになるのだが、それにはいろいろと支障がでてくる。特に紫上への気兼ねである。

 結局、明石母子が大井川のほとりに上京してきたのは、姫君三歳の時である。いつまでも姫君が明石で育つのでは、
 『後の世の人の言い伝へむ、今ひときは人わろき疵にや』
と思ったからだ。そこで何度も催促した結果、やっと上京してきたのである。「いまひときは人わろき疵」とは、「母親の父親が受領風情である上に、姫君が田舎育ちでは、一層人聞きが悪くなる」ということである。
 大井に越してきた年の冬、明石君は、娘と哀しい別れをすることになる。源氏は、姫君がこれ以上明石君と一緒にいてはいけないと判断したのだ。紫上に預けて最高の后教育をしようというわけである。この時の母子の別れは実に悲しいものであるが、ここでのテーマとは離れるので、後に譲ることにする。

 源氏は、実の親子を切り離すという非情の手段を取った。しかも明石君には、この後八年間、娘に会うことを禁じている。それもみな姫君の母親が受領の娘であることを隠すがためである。
 彼はどうしてそこまで姫君の実の母を隠そうとしたのであろうか。それは、多くは彼の母の悲劇に起因しているものと思われる。源氏の母は、「更衣」にしか過ぎなかったために、他の女御、更衣から陰惨ないじめや圧迫を受け、ついに非業の死を遂げなければならなかった。
 源氏は、自分の娘には完璧であることを期したのだ。どこから見ても「疵なき玉」として入内させることが、彼にとっては至上の命題だった。そのためには非情の原理を優先させざるを得なかった。



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