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郷愁

パフォーマンスの似合う男

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   パフォ-マンスの似合う男

 高見盛が去ってしまって以来、大相撲に魅力が無くなってしまった。彼は、制限時間いっぱいになると、自分の胸をゴリラのようにたたき、頬をめちゃくちゃにはたく、もう顔はくちゃくちゃで、固く握った両拳を肘を曲げたままでこれでもかという勢いで上下に振る。観客はみなこれを待っていたものだ。拍手喝采だったし、平幕力士だというのに懸賞金はいつも5本も6本もついた。

 大相撲の人気が凋落して久しい。満員御礼の札が下がるのが常識であったのが、
 今では稀になってしまった。特に九州場所や名古屋場所はひどい。館内はがらがらで寂として音なし、のことも多い。いっそのこと九州や名古屋などは隔年にして、東北や北海道と交代で興行すればいいと思う。
千代の富士のような名力士や若・貴のような人気力士がいないこともある。しかしあのような力士はそうそう出てくるものではない。
 人気力士がいない現在、高見盛のような、本来の相撲とは関係がないかも知れないが、付加価値を持った力士は貴重な存在である。高見盛のような力士は、協会にすればお客を呼べる力士として奇貨居くべしである。
 ただ、彼は、仕切りの時、制限時間がこなければあのパフォ-マンスはしなかった。それは制限時間がこなければ絶対に立たないということである。「気合さえ合えば制限時間前にいつでも立ってよろしい、いやむしろそうしてほしい」とする協会の願いと相反するし、気品を重んじる協会としては止めさせたかったのかもしれないが、痛しかゆしというところである。

 彼の人気へのひがみからであろうか、力士仲間では彼は憎まれっ子的存在であったらしい。

 平成15年度秋場所、大関・魁皇が高見盛に負けたことがる。魁皇が、無理にとったりのような投げをし自滅したのだが、彼は憮然として土俵を下りていった。翌日の新聞がこの取組みに関しての魁皇の言い分を載せていた。それがふるっている。
 「あいつだけは許せない。」
 なぜかといえば、高見盛は出稽古ではころころ負けるのだそうだ。もちろん魁皇にも。だから、魁皇に言わせれば、「あいつは稽古場では力を抜いている。弱い力士を演じて、我々に油断させているのだ。だから許せない。」ということだったらしいが、これは大関ともあろう者の言いぐさではない。本来、前頭が大関に勝てるはずがないのだし、もし下位のものに大関や横綱が簡単に負けるとすれば、番付とはなんなのかということになってしまう。圧倒的に力の差のあるはずの力士に勝つからこそ、大関、横綱を破った時に金星・銀星というのだ。そうでなければ、大関に勝っても“泥星”くらいでいいことになってしまう。

 それに、そもそも稽古場で力を抜く力士がいるだろうか。稽古も本番も彼らの生活がかかっているのだから、みな真剣なはずだ。まして、大関、横綱が胸をかしてくれるとなれば、「良き機会」とばかり全力で当っていくはずである。
 でも、 万一、稽古場で力を抜いたとしても、本番で勝てばいい。それが勝負の世界というものだ。いくら稽古熱心でも本番でころころ負けてしまっては意味がない。
 かりにも高見盛は、中学校全国大会優勝、高校でも全国大会に団体優勝、学生の時も全国大会で優勝という錚々たる戦歴の持ち主で、将来を嘱望されていた人物だ。そういう人物が「弱い」はずはないではないか。油断する方がおかしい。
 たぐい稀れな体力を持つと言われる魁皇が、「横綱、横綱」と期待されながらついになれずに終わってしまったのは、こんな所に原因があったのだろう。
 ただ、高見盛は度の強い近眼とあの顔である。いくら真剣にやっていても、他の力士から見れば力を抜いているとしか映らないのかもしれない。横綱・朝青龍も、高見盛の出稽古の時、あまりに彼がふがいないので、罵声を浴びせ竹刀でたたいたことがあるという。その仕打ちに彼は泣いたそうだが、泣くからにはやはり彼なりに真剣であったのだ。

 本番で、彼があのパフォ-マンスを繰り返すのは、顔立ちを強く見せようとする意味があるばかりでなく、ひょっとすると心も弱いので、その心の弱さを打ち破るために、いかにも怖~い顔(実はぜんぜん怖くはなく、むしろ滑稽に見えるのだが)をして、自分ばかりか相手をも威嚇しようとしたのが、無意識の彼のねらいなだったのかも知れない。

 “御陣乗太鼓”という石川県能登に伝わる有名な伝統芸能がある。数の少ない味方が、敵の大群を追い払うためにはなんらかの謀(はかりごと)をしなければならない。
 それが、幽鬼のようなお面をかぶって、豪壮にまた奇怪に太鼓をたたくという仕草になったのだ。高見盛は、まさに御陣乗太鼓である。
 そう見てくると、高見盛のあのパフォ-マンスは、我々にある示唆を与えてくれていたのではなかろうか。他人からは「弱い」と見られてもいい、そんな思惑は気にすべきでない、それを追い払おうとする必死の自分の存在こそが大事なのだ、と。

 今の大相撲はとにかく低調だ。大関たるものが本番になるところころ負ける。「負けてもいい、かど番はいずれ脱出できる」というような安易な雰囲気が彼らの表情に如実に表れている。国技などとはとても思えない状況だ。だから、モンゴル勢に席惓されてしまう。この現状を打開するのは、舞の海や寺尾のような特色ある力士が出現するか、相撲以外で付加価値をもつ高見盛のような力士が表われるかである。ただし、弱いのにパフォ-マンスばかりやっていたのではすぐあきられる。
 「遠藤」という新星が現れた。彼には堂々たる気品があり、高見盛りとは違った相撲本来の味がある。彼が相撲界の救世主となって、いつも満員御礼の札が下がるようになればと、相撲フアンの一人として期待している。


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