源氏物語

源氏物語たより283

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   悲しい母と子の別れ  源氏物語たより283

 十二月になった。さなきだに寒い京のこと、まして大井川わたりの寒さは身に沁みる。娘(明石姫君)を紫上に預けることにした明石君にとっては、この寒さは応える。
 『雪、霰がちに、心細さまさりて、「あやしくさまざまにもの思ふべかりける身かな」とうち嘆きて、常よりもこの君(姫君)を撫でつくろひつつ居たり。雪かき暗し降り積もるあした、来し方・行く末のこと残らず思ひ続けて、例は殊に端近なる出で居などせぬを、汀(みぎわ)の氷など見やりて、白き衣どもの、なよよかなる、あまた着てながめゐたる』
明石君の姿は、女房たちにも、限りなく高貴な身分の女性に映るのであった。

 この雪が解けた時に、ついに光源氏はやって来た。いつもだったら源氏の来訪を喜んでお待ちするのだが、今回の源氏のおいでは
 「姫君を迎えに来るのが目的なのだ」
と思うと、胸がつぶれる。源氏の催促や尼上の説得があったとはいえ、結局は自分の責任で決めたことだ。今更悔やんでも仕方のないことだが、「あの時強く反対していれば姫君を手元に置くことができなかったわけではなかったのに・・」と思うのだが、それも後の祭りである。
 それにしても姫君の姿の何と可愛いことであろうか。
 『この春よりおほす御ぐし(延ばした姫君の髪)、尼そぎのほどにて、ゆらゆらとめでたく、つらつき・まみの薫れるほどなどいへばさらなり』
という愛らしさなのである。さすがに源氏は、姫君の愛らしを見るにつけても、この子を手放さなければならない明石君の心情が不憫に思われてくる。
 『(この姫君を明石君が)よそのものに思ひやらむほどの心の闇、おしはかり給ふに、いと心苦しければ、打ち返しのたまひあかす』
 あまりに母親の気持ちが気の毒なので、何度も何度も、いつまでもいつまでも「手放すことの理」を言い聞かせるのだ。明石君は、
 「どうして私がそれほど悲しむことがありましょうか。これから紫上さまがこの子を大事にしてくれるのでしょうから・・」
と強がって見せるのだが、やはり我慢しきれずに、
 『うち泣くけはひ、あはれなり』
という状態になってしまう。

 そして、姫君は、源氏の車に乗る。
 『姫君は何心もなく、御車に乗らんことを急ぎ給ふ。(車を)寄せたるところに、母君自ら抱きて、出で給へり。(姫君の)片言の声はいとうつくしうて、(母の)袖をとらへて「のり給へ」と引くもいみじうおぼえ』
るばかりなのである。

 子と母が引き裂かれる場面に悲しさのないことはないのだが、源氏物語のこの場面ほど「あはれ」を感じさせるものはない。紫式部が子供のあどけない姿を描くと、いつも心揺すられるのだが、明石姫君が母の袖を引きながら
 『のり給へ』
と言う片言の声ほど悲しみを誘うものはない。本人は自分がどういう状況に置かれているのかは、まったく分かっていないからこそ、「あはれ」は一層深くなる。
 そもそも子供を「母君自ら抱きて出で」来ることなど、通常はないことで、乳母が抱いて車に乗せるものである。その通常でない状況をさえ、姫君は理解できていない。母は、「今後はいつこの子に会えることやら」と万感の思いに浸りながら、自ら抱いて出てきたというのに。
 また、一緒に車に乗ることも許されない母の立場なども理解できないまま、母の袖を引いてあどけなく「のり給へ」と言う。

 この後、姫君は二条院へと向かう。
 『若君は、道にて寝給ひにけり。(車から)抱きおろされて泣きなどはし給はず。こなたにて御果物まゐりなどし給へど、やうやう見めぐらして、母君の見えぬを求めて、らうたげにうちひそみ給へば、乳母召し出でて慰めまぎらはし聞こえ給ふ』
 そして、しばしは(見慣れた)人々を求めて泣きなどなさるのだが、紫上が素直で優しい人柄であったこともあり、やがてはすっかり紫上になつき親しむようになってしまう。
 悲惨なのは、明石君である。大井の山里に寂しく娘を思って泣くばかりである。あれほど諄諄乎として娘を説得した尼君も、可愛い孫がいなくなったことに涙する。

 結局、この後、明石君は、源氏が建設した壮大な六条院に移り、娘と一緒の邸に住むようになるのだが、それでも娘と会うことはできなかった。彼女が娘と会えたのは、娘が東宮に入内するという八年も後のことである。
 源氏にすれば、自分の母・桐壺更衣が身分低きが故に悲劇の生涯を舐めざるを得なかったのだという思いを払拭することはできなかったのであろう、「将来の后の実母が受領の娘である」という人々の噂を恐れて、明石君が表に出ることを許そうとはしなかったのだ。
 その非情のおきてが、明石母子を引き裂くことになったのだが、悲しみはもっぱら母・明石君が背負うことになった。


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