源氏物語

源氏物語たより284

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   源氏物語の構想 「若菜」①  源氏物語たより284

 『若菜』の巻を読み終ったので、しばらくこの巻にかかずらわっていこうと思う。
 『若菜』の巻は、超長編である。この巻は、源氏物語の約一割を占める量である。そのためであろうか「上」「下」の巻に分かれている。源氏物語を読み始めのころは、この巻があまりにも長いので、敬遠して飛ばして読んだこともあった。しかし何回か読むうちにこの巻こそ源氏物語のエキスの詰まった巻であるし、物語としての面白さも抜群で、あだや飛ばして読むなど恐れ多いことをしてはいけないのだと知ることになった。

 源氏物語は通常「三部構成」になっていると言われている。『桐壺』から『藤裏葉』までが一部で、光源氏の華やかな活躍と彼が准太上天皇の位を極めるまでの栄華が中心である。『若菜』から『幻』までが二部で、源氏の栄光に陰りが見えだす『若菜上』から紫上の死に絶望した源氏が出家に思い至るまでがその内容である。そして、『匂宮』から『夢浮橋』までが第三部で、源氏の子供や孫である薫や匂宮の時代になる。この二人の男に挟まれた「浮舟」がヒロインとして活躍する巻々である。

 しかし、この三部説がよいものであるかどうか、私は疑問に思っている。一般には『若菜』の巻に入るや、暗い影が源氏に忍び寄っていて、それに合わせるかのように文体も極端に変わってくるからだという。
前者のことについて、玉上琢弥の『源氏物語評釈 角川書房』をみてみると、
 「『若菜』はまず朱雀院の病気、出家と暗い出だしである」としている。また三田村雅子はNHKの『100分で名著 紫式部 源氏物語』でこう言っている。
 「物語が始まると、源氏が四十歳になったことを祝う賀宴が催されます。・・『藤裏葉』でも賑々しい行事が描かれています。・・『藤裏葉』はひたすらお祝いごととして行われる明るい宴、一方の『若菜』はその後の暗転のステージの幕開けとして不吉なものが暗示されている宴~と異なる意味を込めて描き分けられています。」

 そうだろうか、時世や病気などの「暗い出だし」は、今までも、桐壷巻や空蝉、若紫、葵、賢木などがみなそうだった。それにこの出だしの病気、出家は朱雀院のことであって、源氏その人ではない。また、「若菜』の四十の賀を、素直に読んで行けば、まことにめでたい祝い事であり、そこには「老い」とか「死」の影は少しも感じとれない。
 これらの意見は、以後の物語の展開に無理に結び付けてしまったきらいがある。

 もう一つ今井源衛(小学館『日本の古典』)の説をみてみよう。そこには
 「若菜上の巻に入ると、それはいきなり乾いた純粋散文の形に変わる。・・(特にこの巻の冒頭部分は)ひとつひとつ事実の経過をひたすら忠実に書きとめたという趣があり、よけいな感傷的場面はまったくない。・・こういういわば客観的記述に徹した文体はそれまでになかったことである。」
とある。確かに冒頭部分は客観的描写が多く、感傷的な記述はすくないが、やがて紫上の悲嘆を中心とした感傷的場面が横溢してくる。女三宮との結婚の必然性を説明する必要から、自ずと客観描写になったものであろう。これも先の物語の内容に照らした勇み足のように思う。(ただし今井源衛のこの文章は極めて分かりやすく参考になる)

 「源氏の栄華は『藤裏葉』で極まって、後は下り坂を転がるように暗転していく」という捉え方は私には納得できない。少なくとも源氏の栄華は『若菜下』の「女樂」のところまでいっている、と私は捉える。
 源氏は、女三宮が父・朱雀院を尋ねるに際して、彼女に琴の腕を磨いてそれを院に披露するよう促す。ついては六条院で「女樂」を催そうではないかと思いつく。女三宮は琴の琴(七絃)、紫上は和琴(六弦)、明石君は琵琶、明石女御は筝の琴(十三弦)を受け持つ。特に女三宮への猛特訓のおかげで、女樂は見事な演奏会となった。師匠の源氏は鼻高々である。
 この時、源氏の栄華は極まったと言うべきであろう。源氏は,臣下としては考えられない准太上天皇で、北の方は二品宮の女三宮。息子・夕霧は二十五歳にして大納言で右大将。娘の明石姫君は女御でその子(源氏の孫)はすでに東宮になっていて、将来の天皇間違いなしである。源氏の血は万々歳で微塵の揺るぎもなかった。
 そういえば、この巻の前半の「住吉詣で」では、百官を引き連れた源氏がこの世の春を謳歌している。道長ではないが、まさに「欠けたることのなしと思へば」の、栄華の絶頂にあったのである。

 もちろん、ここまでに暗い影がないわけではない。女三宮の降嫁に際して、紫上がいかに悩んだか。六条院の主として君臨していた紫上が、突然その座を追われた屈辱は思うに余りあるものもあるし、そのために出家まで願い出ているのだ。女楽がいくら成功裏に終わったとしても紫上の心は休まるものがなかったろう。
 しかし、それは源氏自身のことではない。源氏は紫上に遠慮しつつも二品宮(女三宮)を北の方にすることができたのだ、得意でないはずはない。女楽が終わった時の源氏の得意をここに書き出してみよう。女楽の素晴らしさを、夕霧が絶賛すると源氏は
 『したり顔に微笑みたまふ。「げにけしうはあらぬ弟子どもなり」』
 「確かに、女三宮や紫上や明石君や明石女御は、悪くはない私の弟子たちである」とにんまりしているのである。そしてここから彼の芸術(音楽)論の長広舌が滔々と述べられていく。ここには微塵の暗さも、いやその影さえもない。ひたすらに得意満面の源氏がいるだけである。

 源氏の物語が暗転するのは、女楽の翌日の夜のことである。
 源氏は、女三宮の演奏が素晴らしかったことを褒めてあげようと、彼女のところに通って行った。ここから一気に源氏に悲惨な事件が降りかかってくるのだ


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