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郷愁

よくぞご無事で

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   よくぞご無事で

 50年前は、綾瀬も純粋の農業地帯であった。私の家は、サラリ-マン農業であったが、それでも3反ほどの田んぼと何反かの畑があったので、子供のころ地域共同での農作業にはよく駆り出された。

 今思い出しても随分いい加減なことをしていたものだと思うことに、稲の病気防止のための農薬散布がある。私が高校生の時だ。
 稲の病気であるイモチ病と螟虫(ずい虫・ニカメイ虫)の予防にパラチオンと水銀剤を散布するのだが、この農薬はいずれも劇薬で、特にパラチオンは毒性が強く、1gで人間の致死量に達するほどだ。これを1、000~2、000倍に薄めて螟虫退治のために散布する。無数に穴のあいた長い竿から霧状になったパラチオン液が出てくるのだが、その竿の両端を二人で持ち、一枚の田んぼを往復してくるという散布の方法だ。当然、霧状であるから口にも鼻にも入ってくる。それなのに防御のための対策など、全くといっていいくらい何もしていなかった。最初は手拭をマスクがわりに口に巻いたりしていたのだろうが、夏の暑い最中のことだ。そんなものはすぐ取って放り捨ててしまう。
 水銀剤の散布はといえば、モ-タ付の重い機械を一人で背負って、猛烈な勢いで筒の先から噴出してくる粉状の水銀剤を撒くというものである。180度その筒を振り回しながら散布するものだから、当然目にも鼻にも耳にも関係なしに薬は飛び込んでくる。
 JAさがみに確認したところ、今ではパラチオンも水銀剤も一切使用禁止になっているそうだ。それにしてもあんないい加減なやり方でよく平気だったものだ、と今、思い出すとぞっとする。

 ある時、綾瀬市の発行している『綾瀬広報』の昭和32年9月1日号を見ていたら、「パラチオンなど農薬の使用に注意」という記事があった。そこには使用上の注意として
 (1)作業を始める前に、作業員の健康状態を調べ…
 (3)服装を完全にして、なるべく皮膚が出ていないようにする。長袖シャツ、帽子、手袋、マスクを用いる。
散布する時は、風向きを考えて風下から始め風上に向かって後退しながら撒いていく。
 (6)食事したりタバコを吸うときは必ず石鹸で手を洗い、ウガイを忘れないように。
 (7)作業後には必ずウガイをし、作業衣は作業のたびごとに洗濯し…
などとあった。
 これほど綿密な注意事項があったのに、我々は全くそういう指示を受けた覚えがなかった。それに何せ高校生だ。「危険だ」などと考える知識も余裕もない。
 そもそも、この注意書きが満足に行われていたとは到底考えられない。「健康状態」など誰が調べられるというのだろう。皆同じ農家の人ばかりで、医者の知識のある者などいない。また、服装については暑い最中でもあり、長袖を着たり手袋をするなどするはずがない。それに、当時、手袋といっても軍手ぐらいしかなかった。軍手では劇薬を防御できるはずがない。
 「作業の後は洗濯をするように」と言っても、あの当時はみな着たきりスズメの状態で着替えなど持ってはいない。手は洗ったが、ウガイなどした記憶はない。
 「風向き」については、もう噴飯ものといっていい。田んぼの中を二人が長い竿を持って歩くのに、後退しながら撒くことなど所詮無理だ。前進これあるのみで、行きが追い風なら帰りは向かい風になる。とてもこの注意書きのように風向きを考慮するわけにはいかない。
 他の日付の『綾瀬広報』には、「農薬による死亡者や事故にあった者が多い」という記事も載っていた。

 若い高校生にこんな劇薬散布の作業をやらせていたことも、随分無謀といえば言えるが、このことは、当時いかに農薬や消毒液については無知であったかの証明でもある。
 そういえば、小学校の時に、女の子の頭にシラミがつくということで、女子全員が講堂に集められ、DDTを直接頭に散布されていたことを知っている。ちょうどその散布の日に、私が担任の先生に用があって講堂に呼びに行ったところ、ある先生がふざけて、「福島、お前も散布していけ。」と言って、私の坊主頭にDDTをふりかけたりしたことを覚えている。
 まさに「よくご無事で。」というところである。

 しかし、ご無事でなかったもののいかに多かったことか。昭和20年代までは、実に多くの生物が、田んぼの中や水路にはいた。鮒、ナマズ、ドジョウ、アメンボ、ミズスマシ、ゲンゴロウ、タニシ、カワニナ…など、彼らは小学校時代の我々の掛け替えのない遊び仲間であった。ところが、彼らは農薬とともに絶滅した。絶滅しなかったのは人間だけだ。それも見事な繁栄を誇り、今、綾瀬の人口は当時の10倍にもなっている。それにしても、随分農薬の影響を受けているはずの我々が、世界に類を見ないほどの長寿を誇っているというのはどういうことなのだろうか、不思議なことだ。
 ただ、少なくともこれらの繁栄や長寿は、彼ら小さな生き物の犠牲の上に成り立っているのだということを肝に命じなければならない。そうでなければ、彼ら小動物の魂は浮かばれず、彼らの怨念が晴れる時はないのだから。


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