郷愁

江戸が近い

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  江戸が近い

 今まで遠い存在でしかなかった江戸が、最近とみに近づいてきている。それは、江戸についての私自身の知識が増えたことで、いろいろの面での江戸に対する認識が変わってきたからだ。江戸時代の武士の身分の問題、その俸禄の問題、それに時刻や貨幣制度の問題などが少しずつ分かってきた。特に最近貨幣制度を理解できてきたので、庶民の生活が随分分かってきた気がする。またそのことで江戸庶民の息吹や哀感まで感じとれるようになった。

 『19文見世』というのがあったそうである。小道具を集めては街道で売る商売で、
この小道具がみな“19文”なのだ。今はやりの100円ショップみたいなものである。一文が現代の20円くらいだから、19文は“380円”くらいに当たる。
 今かりに、1文を20円としたが、実はこれは単純なことではない。江戸時代も260年の長さである。従って貨幣価値はいろいろ変化している。慶長小判が出た江戸初期のころは、1両は4、000文と定められたが、その後、江戸時代の後半ではこれが6、500文になったりしている。

 ところで、江戸時代を通して、米“1石”が“一両”というのがだいたいの相場であった。一石は約2,8俵。これをキロに直すと、一俵が60キログラムだから、一石は168kg。現在の米の標準的価格10kgを仮に5、000円として計算すると、一石が84、000円となる。従って、一両4、000文とすれば、一文が21円。概ね一文は20円となる。1文20円、一両を80、000円とすると、いろいろのものの計算が合ってくる。(一両を、人によっては5~20万円としていたりして、相当の幅がある)
 当時、大工は人気の商売であり食いっぱぐれのない商売であったが、一日の稼ぎが400文程度であったらしい。一か月25日働いたとすると、10、000文で、20万円程度になる。裏店の家賃が月500~1、000文で1~2万円、給料の10~20分の1程度となる。今と比べてどうだろうか。
 いくつか、代表的な物の値段をあげてみよう。

 豆腐 5文  たばこ 8文  握り鮨 10文  鰻丼 100文
 銭湯 8文  手拭 38文  錦絵 20文   宿賃200文
 歌舞伎・中村座 2000文~1500文

 これらに20円をかけてみるといい。

ここで意外に高いのが、手拭と中村座の観劇料だ。手拭の高いのは当時布が高かったことによるのだろうが、中村座は3万円にも4万円にもなってしまう。それでも、歌舞伎はいつも大入りだったそうだし、人気の歌舞伎などは6ケ月~1年のロングランもあったという。実は、これらの席はお店の女房や高級武士の奥方などでにぎわっていたのだ。もっともそれなりに安い席もあったが。今の歌舞伎座はというと一等席で1万4千円。これも私などにとってはけっこう高い。
 一般の庶民はどうしていたかというと、おおむね宮地芝居を見て楽しんでいた。式亭三馬の『浮世風呂』で、寺子屋から帰ってきた子供たちが風呂屋でワイワイ騒いで、そのうち口げんかを始める場面がある。
 「おめえなんか、芝居も見たことがねえのに。」
 「あるもん。姉ちゃんが宿下がりしたとき連れてってもらったもの。」
 「おれなんか、お師匠(寺子屋)さんの帰りにめえんちいってら。」
 これはもちろん宮地芝居をさしている。江戸の三座と言って、幕府公許の中村座それに市村座、森田座などには、一般の庶民はなかなか足を向けることはできなかったと思われる。そこで神社や空き地に小屋掛けされたところで行われる歌舞伎を見るのだ。これを宮地芝居という。
 宮地芝居の入場料はというと、50~100文でこれだと1、000~2、000円だから、手頃で子供でも行ける。宿下がりの姉ちゃんが連れていってくれるという相場だ。

 ところで、錦絵がまたおもしろい。一枚20文だ。『浮世風呂』のなかにもある。
 子供たちが錦絵を風呂屋に持ってきて、「これをおめえにやらあ。」なんて言っている。それをもらった子は「こいつはいいのう。」とか「源之助(歌舞伎役者・沢村宗十郎のこと)はよく書いたのう。」などと子供のくせにいっぱしの評論家のようなことを言っている。実は、この絵は、浮世絵師・歌川豊国のもので、それがわずか20文だ。今豊国の絵はいくらするのだろう。想像もできない値段であるはずだが、江戸の子供たちはいとも気軽にやったりもらったりしている。
 富札(江戸時代の宝くじ)の一等が1、000~500両でこれは一億円から5千万円になり、今の宝くじに匹敵する。
 その他、食べ物の立ち売りで西瓜を切り売りしたり、めし屋・居酒屋などの居見世では、仕事帰りの職人などが、チビチビと酒を傾けたりしている。今と同じような生活があったのだ。

 先日、江戸を実感しようと深川の江戸資料館に行き、再現された江戸時代の商店や九尺二間の裏長屋を見てきた。ここは両国の江戸東京博物館と違って、小規模ではあるが、古るぶるしく再現されていて、江戸を実感するのに適している。裏長屋というといかにも貧相なものと思われるが、江戸資料館でみる限り意外に清潔でゆったりしている。もっとも、生活に必要な最低限の夜具や行灯が置かれているだけなので、広く見えるのかもしれない。実際には、たったの六畳(しかも流しなどがあるから4、5畳ほどだが)しかなく、ここに親子4人が住むとすれば、耐えられない狭さかもしれない。しかし、棟割長屋でないので、入り口の反対側からは涼しい風が入ってきそうだ。
 そして、長屋の路地には、共同の井戸と便所がある。お稲荷さんの所には先の居見世がある。こういうところで何文かの銭を持って子供たちが駄菓子を買ったり、仕事帰りの職人が一杯酒をひっかけていたりしていたのだと、江戸の庶民の哀感が伝わってくるようだ。

 時刻の問題を理解することも、江戸を理解するための大きな要素である。
 かつて、私は、山本周五郎や藤沢周平、杉本苑子などを読み漁っていたが、考えてみれば、その読み方は単に筋を追っているだけで、細かいところは随分いい加減に読み過ごしてきたものだ。前述の貨幣に関わることもそうだが、時刻についても適当なものだった。
 “暮れ六つ”などといえば日が沈む頃だろうくらいの認識でしかなかった。たとえば、“お江戸日本橋七つ立ち”とかになるとよく分からない。「どうやら朝早い時間だな」くらいで、本当には何時なのだろう。また、講談や落語によくでてくる“草木も眠る丑三つどき”などもそうだ。「草木さえ眠ってしまうのだから、夜中の12時頃だろう。」などと適当に判断していた。

 ところが、この江戸の刻限は意外にうまくできていることが分かったし、いったん覚えると小説の読み方や落語の聞き方が違ってきて状況が豊かに把握されてくる。
 ちなみに、江戸の刻限では一刻は2時間だということは誰でも知っていることだが、それは、一日を12等分するからだ。
 夜中の12時を“九つ”とし、2時間ごとに、八、七となるから、6時が“六つ”
となるわけだ。以下順に五、四となり、そして、昼の12時がまた“九つ”に戻るというしくみである。午前の6時が“明け六つ”、午後が“暮れ六つ”ということである。
 したがって、お江戸日本橋の“七つ立ち”というのは朝の四時のことで、旅に出るには日本橋を四時に出立するということだ。“丑三つ”はどうだろう。これは、十二支を使った言葉で、夜中の12時から順に、子、丑、寅、卯……となり、“丑”は夜中の2時を中心とした2時間だ。その2時間がさらに4等分されているので、その3つ目が“丑三つ時”に当たる。つまり、2時から2時30分となる。

 これだけ分かってくると江戸も随分近づいた。以前読んだ周五郎の『つゆのひぬまに』や『契りきぬ』をもう一度読み直し、江戸の庶民と親しんでこよう。



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