源氏物語

源氏物語たより299

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   歴史と物語 藤壺宮の父帝  源氏物語たより299

 源氏物語の時代設定は、源氏物語が書かれた百年ほど前というのが定説になっている。百年前と言えば、西暦900年ころ、平安時代もまだ前期で、醍醐天皇の御世(897~930)である。もちろん、物語は光源氏が生まれる前から始まり、源氏が姿を消したさらに二十年後まで、約80年の歳月にわたる超ロングロング物語であるから、醍醐天皇の御世だけに限定されるものではない。それでもいずれにしても物語冒頭の
  『いづれの御時にか』
の「御時」とは、「醍醐天皇」の御時と比定していいだろう。物語では、これが桐壺帝ということになる。とすれば、二代後の「村上天皇」が物語の冷泉帝ということである。この二人の天皇は、親政を行ったことで、またさまざまな施策を行ったことで、「延喜、天暦の治」として後世高く評価された天皇である。物語の桐壺帝と冷泉帝はさしたる功績は残していないが。  
 ここで面白いことは、この二人の天皇に挟まって現実に「朱雀天皇」という方がいたことである。物語にも、ちょうどここに「朱雀帝」が挟まっている。「冷泉帝」も同じであるが、わざわざ実在の天皇の名を出したということには、作者に何か意図があったのだろうか。

 さて、それでは源氏物語がなぜ百年前に時代設定されていることが分かるのかという問題について考えてみよう。それは物語上に、その時代を表わす事象がさまざま登場するからである。たとえば、『絵合』の巻には紀貫之(868~945)や小野道風(894~966)の名が出てきたり、その他の巻には伊勢(~939)在原業平(825~880)などの名が出てきたりしているのだ。
 また、『須磨』の巻で、源氏がすさびに書いた下絵を、供人たちが見て、その素晴らしさに感嘆してこう言う場面がある。
 『この頃の上手にすめる千枝・常則などを召して、作り絵つかまつらせばや』
 「千枝、常則」は、当時(天暦時代)の絵の名人で、「それらを召して源氏の墨書きの下絵に彩色させてみたいほどだ」と言うのだから、村上天皇の頃と考えざるを得ないのである。
 もうひとつ例を上げよう。『桐壷』の巻に、宇多天皇が、皇子・醍醐天皇のために残した『寛平の御遺誡(ごゆいかい)』に関わる記述が出てくる。これが物語では「宇多の帝の御誡め」となっていているのだが、桐壺帝はこの御遺誡を忠実に守っているとあるので、桐壺帝は醍醐天皇と考えるしかない。
 これらの事象から、紀貫之や醍醐天皇をさかのぼって源氏物語の時代を設定することはできないのである。
 その他にも建物や衣装や官位、あるいは年中行事などによっても時代を特定することができる。一口に平安時代と言っても、初期と中期ではいろいろの面で変化している。京都三大祭りの一つ、時代祭では、小野小町(平安前期の歌人)と清少納言が行列に出るそうだが、二人の衣装は明らかに異なっているという。衣装で時代を特定できる例である。

 ところで、醍醐天皇の祖父である光孝天皇とその皇子・宇多天皇は、いずれも数奇な経歴の元に天皇になっている。光孝天皇の前の天皇を陽成天皇というが、この天皇が品行上問題のある方であった。九歳で受禅したが、宮中で闘鶏をしたり馬を飼ったりなどの奇行があった。しかも乳母子を殿上で殺傷するという事件も起こした。そのために摂政であった陽成天皇の叔父・藤原基経に退位させられた。
 陽成天皇の母は藤原基経の妹で、基経は身内の不祥事を恥と思ったのか、陽成天皇の子は天皇にせず、風雅に明け暮れていた時康親王に突然白羽の矢を立てた。光孝天皇である。彼はこの時、五十五歳であった。光孝天皇は、在位三年にして没したが、死に当たって、既に臣籍に降りていた息子の源定省(さだみ)を親王に復帰させ、急遽皇太子とした。そしてなんと光孝天皇崩御のその日に即位したのである。実に目まぐるしい天皇で、この人が醍醐天皇の父・宇多天皇である。
 五十五歳で天皇即位というのも珍しいが、臣籍に降りていたものが突然天皇というのも、また誠に珍しいことである。

 さて、藤壺宮の父はもちろん天皇であったが、どうも経歴のわからない人である。桐壺帝とはどういう関係にあるのだろうか。兄弟なのか親子なのか。物語に「先帝」として出てくる方がいるが、この方は桐壺帝の父親のようである。とすれば、藤壺宮の父帝と桐壺帝は兄弟ということになる。もしそうだとすれば、なぜ後に登場する藤壺宮の兄である兵部卿宮(紫上の父)が天皇にならなかったのだろうか。兵部卿宮は、后腹の嫡男のようであるから、天皇の第一候補でいいはずだ。にもかかわらず東宮にもなっていない。
 もちろん兄弟が天皇になる例は珍しいことではないから、弟の桐壺が天皇になってもおかしくないのだが、兵部卿宮はけっこう「うけばった(他に憚らずことを行う)」生き方をしているし、『若菜下』の巻(このころは式部卿宮)には、「世間の評判も相当高く」とあり、冷泉帝からも源氏に次ぐ人物と評価されているのだから、天皇としての素質は十分だったはずだ。
 ということは、彼の父帝に問題があったものと考えざるを得ない。ひょっとすると陽成天皇のような奇行があって、不名誉な形で譲位をされ不遇なうちに亡くなったのではなかろうか。それが原因で、陽成天皇の子がそうだったように、兵部卿宮も天皇の位に就くことができなかったのだ。

  「物語の空間を読む」ということがあるそうだが、いささか空間の隅を突っつき過ぎた読みになってしまったが、しかし、歴史の事実とかね合わせて源氏物語を読んでいくと、今まで気にもしなかったことが、新たな意味を持って姿を現してくるものである。


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