源氏物語

源氏物語たより302

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   唐猫騒動詳報 『若菜』⑯  源氏物語たより302

 六条院で蹴鞠が催された。場所は寝殿東面の前庭。弥生の空うららかな桜のはらはら散る日で、蹴鞠には絶好の日和であった。この寝殿は、東と西に分けられていて、東側は明石女御の里帰りのための部屋である。今、女御は若宮と共に内裏に行っているので、ひっそりしている。そこを利用したのだ。光源氏は、蹴鞠は若者たちに任せて、この東面の簀子で、蛍兵部卿宮と蹴鞠を見ながら談笑している。
 西側が女三宮の部屋である。
 蹴鞠は興に乗ってきて何度も何度も繰り返される。夕霧は疲れてきたのか、桜の枝を折って寝殿中央の御階(みはし 簀子に上がる階段)に寄って一休み。すると柏木も追うようにやって来て、そこで二人は四方山の話を始める。しかし、彼らの注意は西面に集中する。柏木もそこが女三宮の部屋であることは先刻承知である。彼は
  『宮の御前の方をしり目に』
盛んに見るのである。「しり目」とは「横目で」ということで、夕霧との話などは上の空で、ちらりちらりと全神経を西面に集中しているのだ。
 御簾の下からは女房たちの衣の裾がこぼれ出ている。几帳も乱雑に部屋の片隅に押しやられている。その近くに多くの女房たちがいる気配で、夢中で蹴鞠を覗いているようだ。
 そんな時に、小さな唐猫が、大きな猫に追われて突然飛び出してきた。子猫は首に綱をつけていたので、それを御簾の端に引っかけてしまい、その勢いで、御簾がめくれあがってしまった。二人のいる御階のすぐ近くの間なので、何の紛れもなくあらわに内部が見える。
なんと几帳の端の少しばかり奥に、袿(うちき)姿で立っている女性がいるではないか。
  『紅梅にやあらん、濃き薄きすぎすぎに(次々に)あまた重なりたるけぢめ、華やかに草子の端(つま)のやように見えて、桜の織物の細長なるべし』
 女性が着ている衣裳の様子を表現したもので、「草子の端のやう」とは、多くの衣を重ねてきている様が、本の小口の紙の重なりのように見えたというのである。彼らの目は、さらに女性の髪に行き、肢体全体に行き、目もとにまで飛んで行く。
 女房たちは、桜の花の散る下で行われている蹴鞠に気を取られていて、この事態に気づいていない。さすがに夕霧はあまりのかたはらいたさ(具合の悪さ)に咳をして注意を促す。すると女性はやおら奥に去って行った。
一方、柏木は、
 『胸ふとふたがりて、誰ばかりにかはあらん。ここらの中にしるき袿姿よりも、人に紛るべくもあらざりつる御けはいなど、心に懸りておぼゆ』
 女房は、唐衣と裳を付ける。ところが、この立ち姿の女性は袿姿で、他の大勢の女房に紛れるはずのない、だれあろう女主・女三宮に間違いない。柏木の胸はきゅうと塞がった。もう宮が心に懸ってしまってどうにもならず、やるせない思いから、
  『猫を招き寄せてかき抱きたれば、いと香ばしくて、らうたげにうち鳴くも、なつかしく(宮に)思ひよそへらるゝぞ、(すきずきしや)』
 「すきずきしや」は、草子地(物語の地の文に、作者または語り手が出てきて自分の思いを語る部分)の感想で、「猫を宮になぞらえるとはなんとも好きがましいことではないか」という意味である。猫が女三宮によそえられるというのだから、彼の心は完全に天に舞い上ってしまっているのだ。

 源氏と蛍兵部卿宮は、東面の簀子にいたので、この唐猫騒動には一切気が付いていない。この後、夕霧たちは、源氏に呼ばれて紫上の住まいである東の対に渡って歓待を受ける。椿餅やら梨やら蜜柑やらが出てきて、若い公達たちは大騒ぎして御馳走にありつく。もちろん干物に酒も。
 ところが、柏木の心はここになく、
  『いといたく思ひ湿りて、ややもすれば、花の木に目を付けてながめやる』
というのである。彼の全感覚は女三宮に向いていて、椿餅も干物も酒もない。完全なる放心状態で、「ながめ」ているばかりなのである。彼は、長年月、宮を慕い続けてきた効験で、今日の奇跡が現われたものだと、自分の宿命のありがたさに歓喜する。

 彼は、物を正しく考える力を完全に失ってしまっていた。そもそも内親王ともあろう者が、二人の男性に姿をあらわにさらけてしまうなどという失態はありえないことなのだ。しかも、彼女は立ち姿でいた。恐らく、女房同然、前庭で行われている蹴鞠を、目を皿にして見ていたのであろう。その幼さ、不用意さ、無思慮さに柏木は気づかない。一方の夕霧はちゃんと心得ているのに。夕霧はこう思うのだ。
 「部屋の端ちかいところに立っているなんて、言語道断の振る舞いというもの。紫上に比べれば問題にならない。これだから、父(源氏)の情愛も薄くなるというのだ。とにかく女三宮は内外に対する心用いが足りなすぎる。幼いのは可愛いようだけれども、気がかりなばかりで心もとないことおびただしい」
 柏木に少しでもこの理性的判断が残っていれば、相手のあまりに「軽々しい」咎に気づいたはずで、そうすれば後に起こるあさましい事件も回避できたのだ。
 でもそれが恋というものなのであろう。女三宮に対して理性的でいられる夕霧と比べることそのものが論外なのだ。とにかく「恋は思案の外」なのである。

 これを契機に、彼は小侍従に、女三宮に会うべき算段をつけよと責めまくる。
 『いかならん折にか、またさばかりにても、ほのかなる御有様をだに見ん』

 


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