スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←源氏物語たより303 →源氏物語たより304
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより303】へ
  • 【源氏物語たより304】へ
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit
 

郷愁

受け継ごうあのしきたり

 ←源氏物語たより303 →源氏物語たより304
    受け継ごうあのしきたりこの風習

 ある新年会の席で、
 「その家ならではの新年の“しきたり”や“風習”として残している例があるか」
という話になった。その席にいた人たちはほとんどが50歳半ば以上の人ばかりだったので、それぞれがなんらかのしきたりや風習を持っていた。
 「七草たたく、なんといってたたく、唐土の鳥が、日本の国へ、渡らぬ先に…」
と包丁をトントンたたくしぐさをしながら、
 「うちでは“七草粥”のしきたりを今でもやっている」
と紹介した人がいた。その他、やれ「障子貼りだけは父親の仕事である」とか、やれ「しめ縄は必ず台所や便所にまで飾る」とか、それぞれが思いつくまま紹介しあった。私は、「正月三が日の朝の食事はすべて男が支度する」という我が家のしきたりを紹介した。
 しかし、話を聞きながらこれらの習慣やしきたりがいつまで続くのだろうか、我々の子供たちに受け継がれていくのだろうかということを考えると何か心もとない気がした。
 というのは、一つには、現代社会では人々の興味・関心や生活のあり様が非常に多様化してしまい、どちらかというと個人の興味・関心が優先され、家とか郷土とかにおける、みんなで守らなければならない決まりやしきたりが後回しにされてしまう傾向が強いからだ。
 さらに、社会そのものが目まぐるしく変転し、昨日の価値が今日はもう弊履の如く捨てられてしまう傾向も私の心配を深める要因になっている。この傾向を助長しているのがテレビだ。テレビ画面は次々と目まぐるしく変わっていく。家族でテレビ画面に映し出されている内容を話題にしていても、別の画面に変わった途端に、もう前の話題は霧消してしまい、別の話題に花を咲かせるという具合である。
 重大ニュ-スも一年も経てばすっかり人々の記憶からは葬り去られてしまう。とにかく、ものごとが切れ切れの状態で、つながらない、残らないのである。

 子供のころ、何人もが集まって近所の家を回り歩き、百人一首をやったことを以前書いたことがある。子供たちが連なって回ってくるのを各家庭では待ち受けていて、それぞれの家の父親が読み手になって子供の相手をする、という話である。
 百人一首の取り合いも、最後の10枚ほどになると“お手付き”の罰則がつく。
 ある家のおじさんがとても面白い人で、最後の十枚になると盛んに我々をじらし、“空札”を読んだりする。そのおじさんの得意な空札読みは、『百敷(ももしき)の古き軒端のしのぶにも…』の歌をパロディ-にしたもので、
 『百敷の古けて破けてケツが出て今朝の寒さにチンコ震える』
だった。
 ところが、ある会合でこの話をしたところ、富山県出身の人が
 「あ、それ全国区ですよ!私も子供のころよく聞きました」
と感に耐えないように言うのでこちらも驚いた。『百敷の古けて破けて…』は、あのおじさんのオリジナリティ-ではなく、昔はごく自然に全国で「…古けて破けてケツが出て今朝の寒さにチンコ…」とやっていたのだ。まさに日本人の常識であり、伝統だったようだ。
 私は、いまでもひょいと百人一首の言葉が出てくることがあるが、昔は百人一首を本歌として、全国の人々がいろいろパロディ-を披露し、笑いあったりしていたのだろう。それが日本人の常識だったようだ。

 このことは、百人一首だけでなく、民衆に好まれ受け継がれてきたさまざまな文化・芸能についても言えることだ。
歌舞伎を見ていていつも感じることは、江戸の庶民はだれもが、歌舞伎に登場する人物や歴史的事象や故事・来歴を当たり前の常識として知っていたということだ。
 菅原道真や熊谷直実や曽我五郎・十郎のことを、今の日本人が福山雅治や浅田真央を知っていると同じ程度に知っていたのだ。現代の方が確かに知識は豊富であるかもしれないが、それらの多くは久しからずして消えていく。“福山”や“真央ちゃん”もいずれ忘れられていく。だから江戸の連中が故事・来歴や歴史上の人物を話題にしていたことの方が、何か羨ましい気がするし、文化の程度が高いような気もしてならない。教育が進み文化程度が高くなったと思っても、常識や教養の深みや豊かさの面では、現代の我々は江戸の庶民に及ばない。

 ところで、私は、ぜひ残したいしきたりや習慣に、節句の行事があると思っている。
  五節句とは、一月七日の“人日の節句”、三月三日の“雛の節句”、五月五日の“端午の節句”、七月七日の“七夕の節句”、九月九日の“菊の節句”のことであるが、このうち現在でもよく行われているのは、雛の節句と端午の節句であろう。
だが、雛の祭りの雛人形は次第に小さな団地サイズになり、最近は内裏雛だけ飾る家が多い。これは住宅事情でやむを得ないことであるが、五段飾り七段飾りなどと天井に届くほどに立派に飾っていた昔が懐かしい。
 ちなみに、この日、宮中では“曲水の宴”をはるという。曲水の宴とは、庭園を流れる小川に、杯を載せた舟を浮かべて、上流から流れてきたその舟が自分の前を通り過ぎる前に詩歌を詠じ、杯を取り上げ酒を飲み次に回していくという行事だ。なんとも床しい行事ではないか。一度してみたい行事である。
 五月五日に、武者人形を飾り、粽(ちまき)や柏餅を食べるという習慣はまだ残っているようである。それでも菖蒲や蓬を軒に吊したりする家庭はまれだ。
 九月九日の重陽の節句は、今ではまったくなくなってしまった。この日は“菊の宴”または、“菊の賀”とも言い、酒の入った杯に菊の花びらを浮かべて飲み、長寿や幸せを祝うという、まことにめでたい節句の一つで、『続千載集』に
 『行く末の秋を重ねて九重に千代までめずる菊の盃』
とある。この節句は簡単なので、ぜひ復活させるといいと思っている。酒を飲めばいいだけだ。それだけで、「千代まで幸せ」になるというのだからこんな有り難いことはない。もっとも旧暦なので、今とは一か月以上も差があり、まだ菊の花は
咲いていないが、どこかの花屋さんで買ってきて一ひら杯に浮かべればいい。
 成人式や敬老の日をいつにするかについても、もっと真剣に考える必要があると思う。
 現在の成人式の日の一月十五日は、“踏歌の日”からとったもので、かつて平安時代には一月十四日と十六日には男踏歌と女踏歌を行った。一種の集団舞踊の行事で、この中の日を成人式に当てるということにはそれなりの意味があった。しかし、今では成人式の日を“一月の第二月曜日”にしてしまったのでまったく意味がなくなってしまった。どうせなら、成人式は一月七日がいいと思う。正月のめでたい雰囲気はまだ残っているし、この日は“人日の節句”と言い、元日から六日まで“鳥”や“獣”をもって、その年の吉凶を占ってきて、この七日には“人”をもって占う日だからだ。成人に達した若者のその年一年の吉凶や、あるいは彼らの将来の展望について占い、幸せを願う式とすれば大変意味深いものと言っていい。
 敬老の日は、老人福祉法にこの日が「老人の日」と定められているからだそうだが何か味気ない。そもそもなぜこの日が老人の日なのか定かではない。私は、敬老の日は当然のことながら九月九日の“菊の節句”が最適だと思っている。その意味は先程述べたが、続千載集のとおり『千代までめずる』日なのだからこれほど敬老にふさわしい日はない。
 そのほか、十五夜の日に子供たちが近所をめぐり歩き、各家庭に飾ってある食べ物を自由にとってよかった芋名月の宴も懐かしい。
 
 日本というものについてしんみり振り返ってみるためにも、今こそ残したいもの復活させたいものについてみんなで考えてみる時だ。このような風俗・しきたり・伝統は、日本人としての誇りや連帯感や郷土に対する愛着などを深めて行ことができるものだし、子孫に歴史の重みや祖先の息吹を実感させることができるものだと思うからである。



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより303】へ
  • 【源氏物語たより304】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより303】へ
  • 【源氏物語たより304】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。