源氏物語

源氏物語たより313

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   密会現場設定への周到な根回し 「若菜下」⑦ 源氏物語たより313

 「女樂」での女三宮の演奏が素晴らしかったから彼女を褒めて上げるのだと、光源氏が、女三宮のところに泊まりに行ったその晩、紫上は突然、病に侵される。いくら加持祈祷しても病状は改まらず二月になってしまった。試みに所がえをしてみようと、彼女を二条院に移すことにした。二条院は以前から紫上が「我が住まい」と思っていたところなので、彼女の病も好転するのではないかと考えたのだ。それでも
  『いと頼みがたげに弱りつつ、限りのさまに見え給ふ折々多かる』
状態が続き、源氏は付きりで介抱しなければならなくなった。そのために
  『宮の御方にも、あからさまに渡り給はず』
  「あからさまに」とは、「ほんのしばらくも」という意味で、源氏は、女三宮のところにはちょっとの間も行かなくなってしまったのだ。
 六条院にいた女房たちも大半二条院に移ってしまって、六条院に残っているのは、女三宮付きの女房だけで、
  『火を消ちたるやうに』
なってしまった。
 ここに不義密通の絶好の舞台が整った。

 こんな時に、柏木がぬくりと姿を現す。彼は、女三宮付きの小侍従を責めに責める。「せめて女三宮と言葉を交わすだけでもいいから会う機会を作れ」と懇願するのだが、小侍従は「とてもそんな恐れ多いことはできるはずはない」と断りに断る。
 すると柏木は理性も論理も失ってしまって、こんなことまで言い出す。
 『神・仏にも、思ふこと申すは罪あるわざかは』
 確かにおっしゃるとおり「神・仏には何をお願い申してもいい」のだが、この場合は「少々状況が違うのではありませんか」と言ってあげたいほどの滅茶苦茶論理である。  
 結局、思慮の足りない小侍従は柏木の執着と激しい攻撃に負けてしまって、こう言う。
 『もし、さりぬべきひまあらば、たばかり侍らん』
 「たばかる」は「謀る」で、適当な隙があったら思い巡らそうということである。

 小侍従が「たばかる」に絶好な機会が訪れた。それは、賀茂祭の禊が明日に迫った日、つまり四月の十余日のことであった。六条院から禊の時の手助けに十二人の女房が駆り出されることになった。また、他の若い女房や童たちも、祭り見物のために、衣装だ化粧だと余念がない。
 『とりどりに暇なげにて、御前の方、しめやかにて、人繁からぬ折なりけり』

 さらにもう一つの条件が重なった。いつもは女三宮の近くにお仕えしている女房の按察使の君が、恋人に呼び出されて、自分の局に下がってしまっていたのである。宮のお近くにいるのは小侍従だけになってしまった。彼女は
 『良き折』
とばかり柏木を手引きするのである。恐らくこの日以外はなかったであろう最高の条件が小侍従と柏木のために用意されたのである。
 小侍従は、下手なところに柏木を導いて人に見られてしまってはと、なんと
  『やをら、御帳の東おもての御座(おまし)の端にすゑ』
たのである。呆れたのはこの物語の語り手(あるいは草子地)である。
 『さまでもあるべきことなりやは』
 「まさかそこまでする必要があるの!」という驚きである。柏木は「物を隔ててでいいから話だけでも・・」と言っていたのだが、何と御帳(四方を帳で覆った貴人のベッド)の中に入れてしまった。これでは「話をする」どころではない、「どうぞ実事(性的契り)を」と奨励しているようなものである。

 ここまで用意周到な条件整備をすれば、ことは成功する。事実この後「実事」が、柏木と女三宮との間に展開するのだが。
 紫式部は、読者に「そんな馬鹿な」という批判を受けることを極端に嫌う。そのためにいわば「伏線」を張り巡らせるのだが、紫式部の場合は、単純な伏線ではない。言葉の一つ一つが互いに緊密に絡み合っているのだ。紫式部の上げる事象の一つ一つが全く無駄なく結びついているということである。それは驚くほどの慎重さで、たとえば「催馬楽」一つを使うにしても、筋にあまり関係ないものなどは決して選ばない。筋に見事に即したものを持ってくる。
 紫上を息子の夕霧には決して会わせようとしなかったあの慎重居士の光源氏である。いくら思慮不足で若やかな女房たちばかりが多い女三宮周辺であったとしても、宮はれっきとした源氏の正妻である。その正妻に男が忍び込み情を交わしてしまうことなどあり得ないことなのだ。
 しかし、紫上の重篤、葵祭り、上臈女房の逢引きと条件を揃えられれば、読者は素直に「ああ、これでは起こるべきことが起こってしまう」と納得してしまう。
 これほどの用心深さで筋を組み立てて真実性を持たせるから、読者は思わず感情移入してしまうのだ。『更級日記』の作者・菅原孝標の娘が
 『昼は日ぐらし、夜は目の覚めたる限り、火を近くともして、これを見るよりほかの事なければ』
と源氏物語に熱中した理由はこんなところにある。



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