源氏物語

源氏物語たより315

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   恋のわりなさおろかしさ 『若菜下』⑨ 源氏物語たより315

 「わりなし」とは「理がない」ということ。つまり「わけがわからずどうしようもない,むちゃくちゃ」ということである。してはいけない恋なのにしてしまうとか、相手の思いや意志には関係なく一人で燃え上がってしまうとか、とにかく恋は道理を越えたものである。光源氏の恋を始め、源氏物語に登場する恋は、「わりなき恋」ばかりである。
 なかでも柏木の恋は特別にわりなきものである。

 無理に無理を重ねて、女三宮のところに忍び込んだ柏木は、ついに宮と契りを結んでしまう。しかも、二人でまどろんでいる時に、柏木は猫の夢まで見てしまうのである。夢に獣が出てくることは、妊娠したしるしという俗説があった。柏木は宮と間違いなく「実事」をしたということである。
 その朝、柏木は女二宮(落葉宮 柏木の北の方)のところには帰らず、父の邸に行ってうち臥したけれども寝ることもできない。夢に出てきた猫のことを思うにつけ、もし正夢であったら、容易なことではないと、悔恨の思いが彼の身をがしっり捉えて離さななくなる。
 『さてもいみじき過ちをしつる身かな。(この)世にあらんことこそまばゆくなりぬれ』
 「あまりにもひどい過ちを犯してしまったので、人目が恥ずかしくて生きてゆけない」ということなのだが、そんなことは宮に逢う前から当然分かっていたことだ。
 彼の悔恨の最大の理由はもちろん源氏である。
 『この院(源氏)に目をそばめられたてまつらんことは、いと恐ろしく、はづかしく覚ゆ』
 そして女二宮のところに帰っても彼女に会うこともせず、自分の部屋に籠ったきり
 『なかなかなる心地のみまさりて、起き伏し明かし暮らしわび給ふ』
のである。「なかなか」とは、「逢わなければなんということもなかったのに、逢ったがゆえに」ということで、逢ったがゆえに女三宮恋しさはますます強くなってきて、自分をどうすることもできなくなったのだ。この日は賀茂祭だというのに、外にも出ることができず、一人明かし暮らしているしかなくなったのである。
 柏木は、源氏の目が怖いという理性と女三宮恋しという感情がもつれ合って、自分の身をコントロールできなくなってしまったのだ。

 ところで、「女二宮」は、女三宮の異腹の姉である。三宮への思いが叶えられないことの代償として二宮と結婚したようだが、やはりそれは「代償」にしか過ぎず、彼の心は満たされないままであった。二宮が琴を弾いているのが彼の部屋に聞こえて来る。人の心を惹きつける素晴らしい演奏である。二宮は人柄も品高く優婉である。でも彼にとってはそんなことは問題ではない。
 「どうせ結婚するのなら、さらに一段高い人と、と思うのに、その願いの叶わない我が宿世の何と哀しいことであることよ」
と嘆くばかりなのだ。
 それだけではない、こんな歌まで彼は詠む。
 『もろかづら落ち葉を何に拾ひけん 名はむつましきかざしなれども』
 ちょうどこの日は賀茂祭り(葵祭り)の日、祭りの日には人々は、桂の枝に葵の葉を巻き付けて頭などに挿してかざしにする。これを「もろかづら」という。姉妹の意味を持たせているのだ。二宮と三宮は、縁も睦まじい姉妹ではあるが、自分はどうしてそのうちの「落ち葉」の方を拾ってしまったのだろうかという嘆きの歌である。
 なんとも失礼な歌である。とにもかくにも二宮も朱雀院のれっきとした皇女なのである。その方に対して
 「落ち葉」
と言う。また
 「拾った」
と言う。不敬この上ない。彼女の母の身分は低いとはいえ、二宮は文句なしの琴の腕前を持っているし、その人柄も「あてになまめかしい」のだ。三宮に劣るところとて、何もない。いやむしろ三宮の方が、かたなりで幼く思慮に欠けていて、二宮の方があきらかに優っている。
 その何よりの証拠は、柏木亡き後、柏木の無二の友人である夕霧が、この二宮に惚れ込み、家庭崩壊まで起こして結婚したことである。夕霧は「まめ人間」が代名詞である。そのまめ人間が狂うほどの女性であったのだから、「落ち葉」であるはずはない。(この歌がもとで、女二宮が落葉宮と言われるようになってしまった)

 先に、恋は「わりなきもの」と言った。「この女性を」と思いだしたら、そこから抜け出せないのが恋である。「恋路」は「こひぢ」に掛けられてよく使われる。「こひぢ」とは、どろどろの泥(濃い泥)のことである。恋の泥田にはまり込むと、一歩も抜け出られなくなる。こういう状態の時に、「女など星の数ほどいるではないか」という常識的忠告は成立しない。
 『葵』の巻で、六条御息所が、源氏のことが忘れがたく、こんな歌を詠んでいる。
 『袖濡るるこひぢとかつは知りながら 下り立つ田子のみずからぞ憂き』
 掛詞などが駆使されているので、意味は難しいが、
 「あなたのつれなさに泣き続け、袖を濡らすことはどうせ分かっていながら、それでも一方では恋の泥田に下り立って、身動きできなくなっている自分の、なんと辛いことでしょうか」
という意味で、「一人の男」への恋にがんじがらめになってしまって、そこから抜け出せない憂さを詠ったものである。
 また、『胡蝶』の巻には、
 『恋の山には孔子(くじ)の倒れ』
ということわざが引かれている。あれほど清廉な孔子様でも恋の路となると失敗することもあるものだという、恋のわりなさのたとえである。

 それにしても柏木の恋を見ていると本当にわりなき恋をするものだと思う。外から見ていればそれはおろかしいと言わざるを得ないのだが、当人にすれば、真剣である。特に「実事」の時には、怖れも疑いもない、憂いもない、ひたすら思いの叶った歓喜一筋である。しかも柏木は自分の遺伝子が女三宮に残されるべく、猫の夢まで見てしまっのだから。
 ただ、不可解なのはあれほど怖れた源氏の目をくぐって、その後も
 『わりなく思いあまる時々は、夢のやうに(女三宮に)見えたてまつりけれ』
という彼の行為である。その後も宮に会い続けていたのだ。
 結局この密通は源氏に知られるところとなり、柏木は、源氏の威厳、眼光の前にあえなく命を落としていくのだが、死も、恋の歓喜には怖れるに足りなかったのだろうから、幸せな人生と言ってもいいのかもしれない。


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