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源氏物語

源氏物語たより314

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    凄絶な密通現場 『若菜下』⑧  源氏物語より314

 小侍従は、なんと柏木を女三宮の
  『御帳(寝台)の東おもての御座(おまし)の端に』
座らせたのである。下手なところに手引きすれば、かえって人目に付きやすいからと判断したのだろう。
  柏木は、何心なく寝ていた宮を、恐れ多いこととは感じながらも、御帳台から浜床(御帳台を置くための方形の床、上に畳が敷いてある)に抱き下ろした。宮は物に襲われる気がしたが、恐ろしさを堪えて、必死の気持ちで見てみれば、
  『あらぬ人(源氏でない者)なりけり。あやしく聞きも知らぬことどもをぞ聞こゆるや。あさましくむくつけくなりて、人召せども近くも(誰も)侍はねば、聞き付けて参るもなし』
と、なんとも呆れたとんでもない状況になっていて、気味の悪いことこの上ない。人を呼んでも誰も来ないのは当然、明日の賀茂祭見物のために女房たちは衣装だ化粧だに忙しい。それに、いつもはお傍近くに控えているはずの按察使の君は、愛人に呼び出されて自分の局に下がってしまっている。近くにいるのは小侍従だけである。
  『わななき給ふさま、水のやうに汗も流れて、ものもおぼえ給はぬけしき、いとあはれにらうたげなり』
  「いとあはれにらうたげ」とは、もちろん柏木が感じたことである。ぶるぶる震えて水のように汗を流している宮の様子を見れば、それは「あはれ(可哀そう)」ではあるが、単に可哀そうとか気の毒という感情ではない。この場合の「あはれ」は、思慕しつづけてきた女性の予想に反した驚きように、かえって心を締めつけられてしまった時の感情で、あえて言えば「いじらしい」ということになろう。だからこそ、その姿が「らうたげ」に見えたのだ。「可憐」ということである。

 そんな「あはれにらうたげ」な女三宮を見て、柏木の気持ちは一気に燃え上がってしまった。彼は必死に熱い思いを訴え、宮から心のこもった優しい返事が返ってくるのを待つ。宮は、男の訴えを聞いているうちに、男が「柏木」その人だと気づく。しかし、柏木が満足するような返事などできるわけがない。彼女はひたすら「めざましく恐ろし」と感じているだけなのだから。
 すると、柏木は、自己本位の勝手な論理を振り回す。彼は、時に信じられないような論理を平気で使うことがある。この時もそうだ。
 「あなたが何も応えてくれないのは当然のこととは思いますが、このようなこと(人妻に恋すること)は、例がないわけではありません。それなのに、あなたは世にも珍しいほど薄情な仕打ちをなさる。そんなふうにされると、かえって私には『ひたぶるなる心』が湧いてきてしまいます。せめて“不憫な者”とだけでもおっしゃって下さい」
 「ひたぶるなる心」とは、「一途な気持ち、向う見ずな気持ち」ということで、
 「そんなに冷淡にされるのなら、私は向う見ずになって、何をするかわかりませんよ」
といういわば脅し文句である。すでに許しがたくも畏れ多い罪を犯しておきながら、「あなたが悪いから」と居直っているようなものである。
 それに「人妻に恋をすることは例のないことではない」という。事実はそうであったかもしれないが、それは一般論であって、強引に女に迫っている当の本人の口から出る言葉ではなかろう。
 彼はさらに勝手な思いを募らせていく。
 「今まで予想していたところでは、女三宮という女性は、威厳があり、馴れなれしくすることなどはとてもできないほどにご立派なお方だと思っていたのだが、こうして見てみるとそれほどではない。むしろ親しみやすく、可愛くなよなよとばかりしていられる。その様子は、たいそう上品で美しくていらっしゃり、もう誰にも比べようがないほどの方だ」
と思うと、柏木は、理性も冷静さも自制心も何もかもかなぐり捨ててしまって、
  『いづちもいづちも、ゐて隠したてまつりて、わが身も世を経る様ならず、跡絶えてやみなばや』
と思い込むほどまでに舞い上がり、狂い立ってしまった。宮をどこなりと連れ出して隠してしまおうというのだ。そしてもう自分はどうなってもいい、この世から消えてしまいたいというのだから、凄まじいばかりの狂いようである。

 例によって、この後の経過は「省筆」されていて、我々には二人の間でどのようないきさつがあったのかは知るよしもないのだが、とにかく、二人でまどろんでいる時に、
 『手馴らしし猫の、いとらうたげにうち鳴きて来たる』
情景が柏木の夢に出てきたのである。蹴鞠の日に、偶然女三宮を垣間見る機会を作ってくれたあの唐猫である。なぜ猫の夢を見たのだろうか。それは夢に獣が出てくると、相手が妊娠したのだという俗説が当時あったからだ。
 一方、宮は
  『いとあさましう現とも覚え給はぬに、胸ふたがりて、おぼしおぼるる』
ばかりである。その姿を見て、また柏木の勝手が出る。
 「これも避けることのできない前世からの宿命だと『おもほしなせ』。自分も現の心ではありません」
と言う。「おもほしなせ」とは、「無理にでもそう思い込んでしまいなさい」つまり「諦めてしまいなさい」ということである。源氏が、空蝉に迫った時に使った言葉で、色好みの常套用語なのだろうか。
 宮の意識に、源氏の姿が浮かぶ。もう源氏とは目を合わせることもできないであろう。彼女は何の思慮もなくただ泣くしか方法はない。さすがに柏木はその姿を
  『いとかたじけなく、あはれ』
と見るのである。この場合の「あはれ」は、宮のあまりに痛々しい姿にさすがに「気の毒」という思いから出たもので、少しばかりの理性は残っていたのだ。
  しかしそれでも柏木の無理無体は続く。宮をかき抱いて、昨夜開けたままになっている渡殿の戸のところに連れ出す。宮の顔を、朝の光りの中でほのかにでもいいから見ようというあさましい心を起こしたのだ。
  夜は明けに明けていく。それでも宮は一言もしゃべらない。そこで柏木は最後通牒のようにこう言い放つ。
  『さりとも、いま、思しあはすることも侍りなむ』
  「あなたがいくら無言を貫いて、私に一片の哀れも懸けてくれないとしても、やがて思い合わせることもあるでしょうよ」ということである。「思いあわせること」とは、「妊娠」ということである。
なんという品のない、下賤の者が言う言葉であろうか。柏木は、左大臣(太政大臣)の嫡子である。最高貴族の嫡子としての育ちをし、教養もたしなみもあり、理性的判断もできる人間であるはずである。にもかかわらず、彼は、終始自分勝手な論理を駆使し、強引な行為に走り、時にえげつなく相手を脅す。
  「それが恋というものの怖さだ」というだけでは済まされないものが、柏木にはある。源氏の恋も、随分強引であり自分勝手なものであったが、そこには余裕があった。だからなんとなく源氏の行為を許してしまって、時にはふと笑って見てしまうこともあったのだが、柏木の場合はそうではない。それも人間の器の違いというものなのだろう。

 この場面は読むだけで極めて面白いので、余計な解釈は控えておこう。



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