源氏物語

源氏物語たより315

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    不可解な女三宮の行動 『若菜下』⑨ 源氏物語たより316

  女三宮が、柏木に強姦まがいに身体を奪われてしまったことは仕方のないことである。柏木の一方的な行為であり、あれだけ用意周到に謀られたのでは防ぎようがない。彼女には何一つ責任はないことなのである。
  しかし二度とあってはならない過ちであることに間違いはない。彼女は事の異常さに、
  『いとあさましう現とも覚え給はぬに、胸ふたがりておぼしおぼるる』
ほどであったし、光源氏のことを考えると、もうこれからは対面することすらできなのだ。それを思うと悲しくて心細くて、泣くしか方法がないほどに絶望の淵に陥ってしまったのだから。
  しかも、柏木の人間性についても、源氏とは比較にならない男、[心外な男]と感じているだけで、柏木には一片の情すら感じていないように見られるのである。
  「実事」の最中に、彼女にできるささやかな抵抗といえば、ひたすら沈黙を守り相手を無視することぐらいだ。あとは男に一刻も早くご退出願うことだけである。

  ところが、なんと柏木が最後に歌を詠みかけるとそれに対して
  『あけぐれの空に憂き身は消えななん 夢なりけりと見てもやむべく』
と応えてしまうのである。これは信じられないことである。この返歌で、せっかくそれまで沈黙を守ってささやかな抵抗を試みていたことが無に帰してしまった。
  それにもう一つ考えられないことは、なぜ「あけぐれの時」まで柏木と閨を共にしていなければならなかったのか、ということである。柏木は暢気に「唐猫」の夢など見ていたのだ。その間に御帳台から抜け出すことができたはずである。かの“空蝉”さえ、源氏が忍び込んできたのを察知するや、衣一枚を残して部屋から逃げ出しているのだ。

  一方、柏木自身も、源氏への恐れから、とんでもない過ちを犯してしまったものと激しく後悔し、目さえまともにあげられない状態になってしまったのだから、二人が二度とあい逢うなどということは到底考えられないことだし、またあり得ないことなのである。
  ところが、事態はそうは進まなかった。
  『かの人(柏木)は、わりなく思ひあまる時々は、夢のやうに見えたてまつりけれ』
というのである。「わりなく思ひあまる時々」とは、「どうにもならないほど会いたいという思いが、抑えきれない時々」ということである。また「見え」ということは「逢う」ということに違いないのだから、女三宮に直接逢っていたということは確かだ。しかも「時々」ということは、何度も逢瀬を繰り返していたということである。

  これは一体どう考えたらいいのだろうか。
  そもそも二人が逢う機会などそう簡単にできるはずはないのだ。一回目こそ、御禊の前夜を利用するという深慮遠謀して、成功した。しかし、柏木を手引きした小侍従は、もともと「あはつけき」女で、あんな深慮遠謀を廻らすことなど二度とできるはずはないのである。女三宮には、少なくとも2,30人の女房が侍っている。それに例の上臈女房(按察使の君)もそうしばしば男と逢っているわけでもないだろう。常は女三宮の御帳台のそばを離れないでいるはずである。にもかかわらず「思ひあまる時々は、夢のやうに」逢っているという。

  考えられる一つは、柏木と小侍従の両方から、脅迫まがいに逢うことを強要されていたのではないかということである。そういえば柏木は「実事」の最中にもこう言って女三宮を脅していた。
  『身をいたづずらにやは、なしはてむ』
  「何か一言でも言ってくれないのなら、死んでやる」ということである。またこうも言っていた。
  『さりとも思し合することもはべりなむ』
  「私は、猫の夢も見ているし、いずれあなたも妊娠したことを思い知るだろうよ」ということである。いずれも下賤の身の者が言うような品のない言葉だ。そんな男だから、一度の過ちを盾にとって、何度も逢瀬を強要することはありうる。
  小侍従も、主の女三宮を小馬鹿にし切っている。蹴鞠の日に柏木たちに姿を見られてしまった失態も
  『すべて(女三宮の)いはけなき(幼い)御有様』
が原因であると決めつけているのだ。とても主に対していう言葉ではない。こんな女であってみれば、主人を脅すことにさして咎めを感じないかもしれない。
  そんな二人に、
  「いずれにしても、もうあなたは重大な過ちを犯してしまっているのですからね。二度も三度も同じことでしょうよ。私の言うことに応じないというのでしたら、こちらにも考えはあります」
などと脅されて、仕方なしに逢い続けたていたと考えららないことではない。
  しかし、「脅迫」などということでこの問題を解決してしまったのでは、源氏物語の品位に傷がついてしまう。

  とすれば、女三宮自身に責任を求めなければならないのだろうか。つまり、彼女の気持ちに何らかの変化があったのかもしれないということである。そこで、「実事」の時に、明けぐれまで柏木と同衾していたことや、別れ際の柏木の歌に応じてしまったことをもう一度考え直す必要がありそうだ。
  女三宮は、源氏から結婚以来ずっと粗略な扱いを受けてきた。北の方とは名ばかりで、事実上の正妻は紫上である。柏木は、源氏に比べれば確かに人間的にははるかに劣る。しかしこの夜の情熱的な彼の行為は、源氏になかったものだ。今まで源氏がこれほど熱く語り、官能的に扱ってくれたことがあるだろうか。玉上琢弥は
  「一度許した女は弱い」(角川書房 源氏物語評釈)
と言っているが、そのことよりも、柏木の扱いの強烈で官能的で新鮮であることは、かつて女三宮が経験したことのない驚きであったはずだ。浮舟が、夫である薫の誠意に申し訳ないと思いながらも、匂宮の情熱的な官能的な行為に痺れ、歓びを味わったように。

  それでは、あの返歌についても改めて見直してみよう。
  『あけぐれの空に憂き身は消えななん 夢なりけりと見てもやむべし』
 「辛いわが身はこのまま空に消えてしまいたい。夢であったのだということで済ますことができれば・・」という意味で、それなりに「実事」のわりなさ、あさましさを嘆いてはいるものの、柏木の行為に対して完全に拒否的にはなっていない。いやむしろかつて源氏が藤壺宮と契った時に、源氏が詠った歌
   『見てもまた逢う夜まれなる 夢のうちにやがてまぎるる我が身ともがな』
   (再びあなたに逢うことなどまずできない身であるから、いっそのこと、今日のこのまれなる逢瀬の夢のなかにこのまま消えて行ってしまいたいものです)
に通じないことはない。もちろん源氏の歌は純粋な愛の絶唱歌で、そこには女三宮のような疑いも恐れも微塵もない。女三宮の歌は、柏木への愛情などあるわけではないのだが、歌を返してもらった柏木は、
   『魂は誠に身を離れて(女三宮のところに)とまりぬる心地す』
というほどに、舞い上がってしまった。そこに女三宮の愛情を感じ取っているからだ。そう取られても仕方のない歌だ。
  もちろんその後の彼女の感情や行為には、柏木に対する思慕の情など一片もないのだが、やはりあの一夜には、女三宮の心に何らか微妙な変化を起こっていたのだ、とでも考えない限り、女三宮の不可解な行動は理解できないのである。


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