源氏物語

源氏物語たより317

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    艶書露見までの緊迫感 『若菜』⑩ 源氏物語たより317

  女三宮の体調が芳しくないということを聞いた光源氏は、二条院の紫上を気にしながらも六条院に渡って行った。そのことを聞いた柏木はいても立ってもいられなくなり、「逢えない悲しさ」を綿々と綴った手紙を宮に送る。
例の小侍従が、人のいない隙を狙って、宮にその手紙を渡そうとする。すると宮は「そんなものは見たくない」と断るのだが、小侍従は無理に手紙を広げて、宮に手渡そうとする。
  と、人がやってくるではないか。困った小侍従は、手紙を置いたまま几帳を引き寄せて立ち去ってしまう。やって来たのはなんと源氏であった。宮は胸がつぶれるほどに驚いたが、手紙を隠すいとまもない。彼女は咄嗟のこととて
  『御しとねの下にさしはさみ給』
うのである。「しとね」とはこの場合は座布団のこと。隠す暇もなかったので仕方なく、その座布団の下にさしはさんだのだ。
 
  源氏は、宮の具合がそれほどひどいものではないことを確かめて、夕方、紫上のところに戻ろうとする。宮は、犯した罪におびえてしまって、源氏の方を見ることもできない。ところが、その様子を見た源氏は、自分が長い間ここに渡って来ないことを宮が恨んでいるものと早とちりしてしまう。そこで、自分の御座に横になって宮に話をしているうちに、大殿籠ってしまった。ヒグラシがはなやかに鳴くのに目を覚まして、
  『さらば、道たどたどしからぬ程に』
と言って、着物などを着直し始めて出て行こうとする。万葉集の
  『夕闇は道たづたづし 月待ちて行かせわが背子 その間にも見む』
を借りたのだ(引き歌)。
  「夕闇では暗くて道もおぼつきません。どうかもう少しここにいらっしゃって、月の出をお待ち下さい。その間にあなたのお姿を拝見していたいと思いますから」
  何とも情のこもった秀歌である。古今集にもこれを少し変えた歌が載っているし、かの良寛さまも、この歌を拝借なさっている。古来、人の心を捉えてきた名歌なのだ。
  それはとにかく、源氏は、「暗くならないうちに帰りましょう」と古歌を借りて宮に言葉をかけたのだ。恐らくこのまま帰ってしまうことに、いささかのやましさを覚えて、引き歌で洒落たのだろう。
  女三宮にすれば、例の手紙をちゃんと隠していないこともあるので、源氏に早く退散してもらうのが今一番望まれることである。ところが、案に相違して彼女はこう応えてしまうのである。
  『「月待ちて」といふなるものを』
  「そんなにお急ぎになってお帰りになることもありませんでしょ。もう少しあなた様のお姿を拝見していたいものですわ」
と、源氏が引いた古歌の第三句で応え、甘えたのだ。あるいは、「私もその古歌なら存じておりますわ」と知識をひけらかしたかったのかもしれない。それを聞いた源氏は、「もう少しここにいて一緒に時を過ごしたいというのだな」と素直に解釈し、そこに立ち止まってしまう。するとさらに宮は、
  「ヒグラシが盛んに鳴いておりますわ。その声(私の泣き声)を無視なさって、あなたはお帰えりになってしまうのですか」
と恨みの歌まで詠んでしまう。その甘えた可愛い様子に、源氏はその場に座り込む。そして、紫上のことが気にはかかるが、そうかといって宮を捨てて帰ってしまうのも、「情けなし」と思われるかもしれないと、ついに泊まって行くことになってしまった。

  翌朝、源氏は涼しいうちに帰ろうとするが、持ってきた扇が見当たらない。それを探し回っていて、昨日うたた寝をした座布団の辺りを見てみると、
  『御しとねの少しまよひたる(乱れている)端より、浅緑の薄様なる文の押し巻きたる端みゆるを、何心もなく引き出でてご覧ずるに、男の手なり』
  手紙は、焚き染めた香りなどが誠に艶で、いかにも意味ありげな書きぶりである。しかも紙を二枚重ねにしてこまごまと恋情が書き連ねてある。その文字は、紛れもない、柏木の手である。
ああ、万事休すである。

  その様子を小侍従が見ていた。昨日宮に渡したものと同じ色の手紙を源氏が見ているではないか。でもまさか、そんなことはあるまいとは思うものの、宮のところに飛んで行く。すると宮はまだ大殿籠っていられる。なんとしたことか、この緊急事態に。
  彼女は宮に「昨日の手紙はどうされたか」と詰問する。「源氏さまがあれと同じ色の手紙を見ていられたのですが・・」
宮は驚いて、昨日のしとねの下を探すが、あろうはずもない。小侍従は宮を「全てあなたの“幼さゆえ”」と叱責し、はばかりなく言い募る。宮は
  『いらへもし給はで、ただ泣きにのみぞ泣き給ふ』
しかないのである。明らかに源氏に見られてしまったのだ。

  こうして、見事な緊迫感を持って、女三宮を絶望の淵に立たせてしまった。

  この事件は起こるべくして起こった。小侍従が言うまでもなく、すべては宮の「幼さ」ゆえである。このことは彼女の父・朱雀院が最も危惧していたことだ。それ故に源氏に降嫁させ、宮の欠点を源氏に矯(た)めてもらおうとしたのだ。ところがそれが全く裏目に出てしまった。
  夫に恋文を見られてしまうことなどあり得ないことなのだが、紫式部は、丹念にそうなるべき事象を積み上げてきた。唐猫事件も、また柏木に忍び込まれてしまったことも、みなここに繋がっていたのだ。そして最後は、恋文をしとねの下に差し込んでおくという大失態を演じて、全ては終わってしまった。
  紫式部は、「夫に恋文を見られてしまう」というようなありうべからざることを、積み重ねた事象によって必然のものにしてしまったのだ。だから、読者は、それを現実味を帯びた話として感じ取ってしまう。紫式部の迫真の筆さばきゆえである。


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