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源氏物語

源氏物語たより321

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    「同じ蓮の上に」  源氏物語たより321

 テレビ朝日,たけしの『みんなの家庭の医学』を見ていて、身につまされるものがあった。この番組で夫婦関係に関するアンケートを取ったら、結果は次の通りだったそうだ。
 ①夫に不満を持っているか               はい 94%
 ②経済的に心配がなければ離婚したいと思うか  はい 63%
 ③生まれ変わったら、また夫と結婚したいか     はい  4%(いいえ 74%)

  「紫上の哀しみ」についてはこれまで繰り返し述べてきた。彼女の哀しみの原因の多くは、光源氏の浮気心であったと思われる。特に明石上や朧月夜や朝顔、あるいは女三宮は、彼女を大いに嘆かせた。
 しかし、一番問題なのは、紫上が自らの意志をストレートに出せない状況に置かれていたということではなかろうか。源氏によって、彼女の主体性は常に否定され続けてきた。ことごとに、源氏の強烈は個性によって彼女は支配されてきた。彼の論理や弁舌は超一級である。彼の論理を論破できるものなど誰もいない。まして紫上に反論などできるはずはない。いつも「御説御もっとも・・」で聞いているしかなかったのである。また反論したいという思いはあったとしても、そうできる立場ではなかった。
 特に、源氏は紫上に対してはいつも高飛車であり、自己本位な考えを押し付け、彼女の思惑などは意に止めなかった。このことによるストレスは甚大である。それは長年にわたってボデーブローを打たれ続けるようなものである。

 「女樂」の終わった夜の二人の語らいについては、何度も取り上げてきたが、源氏が、しみじみ語る内容は、呆れるしかないものであった。相手を無視し相手の気持ちを逆なでする論理を駆使して、こう言い聞かせるのだ。
 「あなたと過ごして来て、今まで須磨流謫の事件以外、あなたの心を砕かせるようなことはしてこなかった。后や女御というような恵まれた方でも、いつも心配事はついて回るものだ。それに比べれば、あなたは小さい時から私の元で、あたかも親(源氏)にかしずかれるように何不自由なく育ってきたので、心配事などなかったはずだ。
 『その方(心配もなく心やすい生活ができたという面で)、人に優れたりける宿世とは思し知るや』」
 最後の「思し知るや」は、「当然分かっているだろうな!」という強制である。
 源氏の言うとおり、身寄りとてなかった紫上が、十歳の時から源氏の厚い保護の元に育ってきたのだから、反論の余地はない。ところが実際には、彼女の内心には実にさまざまな悩みや心配事があったのだ。彼女は弱々しく、こう応じるしかないのである。
 『(源氏が)のたまふやうに、ものはかなき(自分の)身には過ぎにたる、よそのおぼえはあらめど、心に堪えぬもの嘆かしさのみうち添ふや』
 (おっしゃる通り人さまは私のことを幸せ者と思っているでしょうが、実はこらえきれないほどの嘆かしさが、自分にはいつも付きまとっていたのです)
 これは、彼女とすれは最大限の反論かも知れない。しかし、自己本位にしか考えられない源氏には、彼女の嘆かしさなど理解できるはずはない。

 ただ、考えてみれば、源氏ほどではないとしても、我々男というものは、多かれ少なかれ同じようなことを妻に対してしているのではなかろうか、ということを「たけしの番組」を見ていて感じた。「夫と離婚したい」という切実な思いを持っている妻が63%もいるのだから。「生まれ変わったらまた夫と結婚したい」という女性は4%しかいないのだから。
 そうなる原因の多くは、夫の思いやりのない言葉によると言う。意識しないうちに相手を傷つける言葉を吐いているのだ。あるいは、ねぎらうべき時に、感謝すべき時に、その言葉を言わずに過ごしてしまう。悪気はないとしても、そのことで妻の気持ちを損ねているのだ。長年の結婚生活が惰性になり、相手に対する配慮を欠く結果になるのだ。

 源氏は、紫上が出家の意志を申し述べた時に、こう思って拒絶する。
 「この機会に一緒に出家することも考えられなくはないが、こんな頼りない紫上と別れ別れに仏道の修行などできるわけがない。そもそも
 『後の世に、「おなじ蓮の座をわけん」と契りかわし聞こえ給ひて、頼みをかけ給ふ御中』
なのである。まして生きている間に別れ別れなどとは考えらないことだ」
 だから、彼女の出家を許すことなどできるはずはない。実はこの言葉は別のところでも紫上に言っていることなのだが、何と女三宮にも同じことを言っているのだ。それは、源氏の意志に背いて入道してしまった女三宮の「持仏」の開眼供養の時である。
  『よし、後の世にだに、かの花の中の宿りに、隔てなくとをおもほせ』
  「よし」とは、今生ではあなたは私を捨てて出家されてしまったが、でもまあそれはとにかくとして・・」という意味である。とにかくあの世では蓮の花の宿りで、相離れず睦まじく過ごそうではないかと言い、同じ意味の歌も詠む。これを聞いた女三宮はこう返す。
  『隔てなく蓮の宿を契りても 君が心や住まじとすらん』
 今そんな契りをしたとしても、どうせあなたは睦まじく暮らそうなどとはなさらないでしょう、という心である。辛辣な返しである。常に「幼い」「かたなり」だと嘲られてきた女三宮の強烈な反撃である。彼女はいつこんな強い主体性と主張を持つことができるようになったのだろうか。出家の功徳であろうか。

 紫上にとっても女三宮にとっても、生まれ変わった時に一番一緒になりたくないのは、光源氏ではなかろうか。それほどに主体性と人間性を否定され続けてきたのだから。それは「不満」どころのものではなかった。


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