スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←源氏物語たより322 →源氏物語たより323
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより322】へ
  • 【源氏物語たより323】へ
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit
 

郷愁

塙保己一とヘレンケラーの母

 ←源氏物語たより322 →源氏物語たより323
    塙保己一とヘレンケラ-の母


 図書館の書架に、“塙保己一”に関する本があったので、何気なしに手にとってみて、ぱらぱらと読んでみた。『塙保己一の生涯』という本で、その巻頭にヘレンケラ-の名前があったので、「おや?」と思った。
 実は、私にとっては、塙保己一という人物についてはほとんど知識のない人物で、そんな人物がヘレンケラ-とがどう結びつくのか理解できなかったのだ。
 その部分を読んでみたところ、こんなことが書かれていた。
 「ヘレンケラ-が埼玉県で記念講演をした時、彼女が開口一番に話したことは、 『私の母が、繰り返し繰り返し私に話してくれたのは、日本の塙保己一先生を目標にして、どんな苦しい時もあきらめずがんばるんですよ、ということであった』
という内容であった」
  ああ、そうだつた。塙保己一は盲目の学者であった。名前しか記憶になかった彼のことが、ヘレンケラ-のこの言葉で、二人がともに盲目であったという点でつながった。
  戦前の道徳の教科書には、塙保己一は必ず取り上げられる日本の偉人の一人であったようだが、私は戦後の人間である。

 塙保己一は、武蔵の国の農家の長男として生まれたが、五歳の時に視力を失った。15歳で江戸に出て、雨富須賀一という検校に弟子入りし、盲人としての修業を積むようになる。しかし、当時は盲人の仕事はごく限られたもので、あんまになるか、三味線を手に門付けのようなことをするか、琴などを弾く芸人になるかしかなかった。しかし、彼にとってはこれらの仕事は気に染まないものであり、そのため、熱心に修業に打ち込むことができなかった。
 彼は、小さい時から記憶力が抜群であり、その能力を生かして何か別のことを学 びたかったようである。彼は、あんまをするお代として、お客に本を読んでもらうことを考えた。お客の体をもみ、お客が本を読んでいる間に、彼はすべてその内容を記憶してしまった。
 ある時は、蚊帳の中でお客が本を読んでくれるのを聞いていたが、彼は蚊帳の外にいたので蚊に刺される。しかし、いちいち手で蚊を払っていたのでは気が散ってしまう。そこで、彼は自分の手を縛って聞いていたという逸話もあるほどである。
 そういう保己一の才能を惜しんだ人たちによって、やがて彼は学問に志すことができるようになった。国学、儒学、医学などを学び、ついに賀茂真淵の門に入り、『群書類従』という日本の古書を分類、収録した膨大な史料集を編むこととなる。そして、これが彼のライフワ-クとなり、信じられないほどの偉業を成し遂げることとなったのである。

 一方、一歳九か月で盲目となったという点で、ヘレンケラ-はさらに厳しい状況に置かれていたといえる。
 ヘレンケラ-は、一歳九か月の時、高熱を発し、目はもとより耳まで冒されてしまった。もちろん、人の話を聞くことも自ら話すことも物の形を認識することも出来ない。それにもかかわらず、あれほどの偉大な人になり得たのはなぜか。その秘密の一つが、彼女の母親にあったのだなということを、この塙保己一の伝記の一節で理解できたような気がした。
 随分以前のことであるが、『奇跡の人』という映画を見たことがある。サリバン先生がヘレンケラ-の教師として奮闘する姿を描いた映画である。今でも鮮やかに覚えているシ-ンは、“水=WATER”という一言を覚えさせようと、サリバン先生がヘレンケラ-を井戸端に連れていき、ポンプから汲み出される水を彼女の手に注いでやる、そして、ついにヘレンケラ-が“水”=“WATER”ということを認識するという場面で、その時のなんとも言えないヘレンケラ-の感動の表情を忘れることができない。

 私は、この映画を見て以来、ヘレンケラ-が偉大な人物になり得たのは、サリバン先生のおかげであると思っていた。だから、母親の存在については気にも留めなかった。しかし、今回改めてヘレンケラ-の伝記を読んでみて、やはり母の存在が大きかったことを認めざるを得なかった。
 彼女の母親は、目と耳の機能を失ってしまった我が子に対して、それに代わる感覚を発達させる必要があると感じ、そのことに心を砕いたのだ。
 たとえば、こんな話があった。メリケン粉や砂糖をいじってめちゃめちゃにしているヘレンケラ-を見ても、彼女はそれを止めようとはしないのだ。そしてこう思っていた。
 「娘は、何かを作ろうとしている。何かに関心を持つことが大事なのであって、ものごとに対して関心を持とうしなくなったら、この子の成長は止まってしまう」と。
 また、良く乾いた洗濯物を取り入れる時に、母親のスカ-トに纏わりついて離れない娘に、
 「まあ、気持ちのよいこと」
言いながら洗濯物を彼女の頬に押しつけてやり、“ふっくらと乾いて気持ちのよい”感覚を掴ませようとした。

 塙保己一は、江戸時代中・後期の学者で、ヘレンケラ-の母親が生きた時代と100年近くも差がある。しかも遠い東洋の片隅・日本の人物である。今から100年以上も前に、塙保己一という人物が、欧米でそれほど有名な人物になっていた
とは考えられない。しかし、娘の成長のためになるならと、何事もすべて学び、それをすべて娘に与えようとしていた母親の思いが、東洋の一学者を見出させたのであろう。
 サリバン先生が、ヘレンケラ-を両親から預かった時は、ヘレンケラ-は随分の強情屋であり、かんしゃく持ちであった。彼女の強情さは『奇跡の人』の中でも何度となく出てきた。サリバン先生の指示に従おうとせず、何度も泣き叫んでいたシ
-ンもよく覚えている。“水”=“WATER”が認識できてからというもの、彼女は、水が砂にしみこむように、次々とさまざまな事象を理解していく。“サリバン先生の勝利である”と、私はあの映画を見ていたのだが、先生の教えを理解していく下地はすでに彼女の母親によって作られていたのだ。
 実は、ヘレンケラ-は、サリバン先生と出会う以前に、自らの言葉を持っていた。
 たとえば、“父親”を表現するのに、彼女は“メガネ”をかける動作をした。“アイスクリ-ム”を表すのに“震える”動作をした。アイスクリ-ムは冷たく体が震えるという意味を示したのだ。
  彼女が、強情でかんしゃく持ちであったのは、自分の意志をなかなか相手に伝えられないことへのもどかしさから発したものであったのだろうし、かんしゃくをもってしか彼女のいらだちを収めることができなかったのだ。それは、まさに激しい
自己表現であった。
 そういう執拗さ、強情ともいえる意志の強さ、ものごとに対する強い関心を、母親はなにくれとなく教え込んでいたのだ。それでなければ、たとえ名伯楽のサリバン先生という人物に出会ったとしても、ごく普通の人間として終わっていたのでは
ないだろうか。時間と空間をはるかに越えた、塙保己一のすごさを見出し、それを娘に刷り込んでいった母の執念の勝利であったのだ。

 ところで、保己一についてこんな逸話がある。
 ある晩、保己一が彼の弟子たちに講義をしていた。すると、窓から入ってきた一陣の風のために行灯の火が吹き消されてしまった。弟子たちが慌てて右往左往しているのを見て、保己一は言った。
 「目明きというものは不便なものよなあ。」
 また、「塙先生は本当は目が見えるのではないか」と噂されることもあった。
 この余裕や自信やユ-モアはどこからきているのであうか。
塙保己一の母親がどういう人であったかは知らないが、恐らく、ヘレンケラ-の母親と同じように、自分の子供が、盲目であるというハンデを感じず、ゆとりと自信を持って生きられるように育ってほしいという強い意志を持った母親だったのではなかろうか。
 今度は保己一の母親について調べてみようと思っている。



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより322】へ
  • 【源氏物語たより323】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより322】へ
  • 【源氏物語たより323】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。