源氏物語

源氏物語たより324

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    死すべきか はたまた ~柏木の煩悶~    源氏物語たより324
 
 女三宮との不義を光源氏に知られてしまった柏木は、源氏の辛辣な皮肉にもあい心神耗弱状態に陥ってしまって、ハムレットのように煩悶する。
 
 こうなったのもひとえに自分の責任、このまま生き長らえていれば、自分はもとより相手の女三宮も、あるまじき名を立てられてしまう、それだったら考えられる道は二つしかない、出家か、はたまた死か、しかし出家すれば父母の恨みをかい、それが仏道修行の重いほだしになってしまう、
 それだったら人はいずれにしても死ぬのだ、あの人からも自分を少しでも偲んでもらえ、なげのあはれをも懸けてもらえるうちが華、それこそ
 『夏虫の身のいたづらになすことも 一つ思ひによりてなりけり 古今集』
 (灯火に慕い寄る夏虫が、炎に身を滅ぼしてしまうのも、私が恋の炎に身を焼き尽くしてしまうのも同じことだ。「思ひ」の「ひ」は「火」の掛詞)
で、恋一筋に死んだためしにした方がいいかもしれない、
 それに、自分のことを「無礼な奴」と思っている光源氏も、いくらなんでも死んでしまえばその罪を許してくれるだろう、全ての辛い思いも、死を境にして消えていくものだ、日頃自分をいろいろ世話してくれた光源氏のことだ、私が死ねば「あはれ」の情も催してくれるだろう・・

 彼は、とこう考え廻らし、思い乱れて、枕も浮くほどに涙を流すのであった。
 
 この逡巡する心は、ことの大小にかかわらず、または状況・理由のいかんにかかわらず、誰にも経験があるのではなかろうか。自らが起こしてしまった過ちは、誰が助けてくれるものでもない。とすれば死んで責任を取ることが近道である。死は、問題を一気に解決してくれる簡便な方法だし、人の情を引くことさえできる。こういう思いで自らの命を消して行った人も多いのではなかろうか。柏木はこの道を選んだようである。

 しかし、彼はすぐには死ななかった。そればかりか驚いたことに、なんとこの場に及んで女三宮に消息を送ったのである。
  『「今はとて燃えん煙もむすぼほれ 絶えぬ思ひのなほや残らん」
  あはれとだにのたまはせよ。心のどめて、人やりならぬ闇に迷はむ道の光にもしはべらむ』
 歌の意は、「私を焼く火の煙も、このままでは真っ直ぐに空に上ることができず、あなたへの恋しい思い(火)に塞がって、なおもこの世に漂い残ってしまうことでしょう」ということ。
それ以降は、「あなたが、私の死に対して“あはれ”とだけでも言ってくれたなら、気持ちも収まることでしょう。自分の責任でこんな結果になってしまったのですが、あなたの“あはれ”という言葉を聞きさえすれば、それを冥途の闇の明かりとすることができますゆえ」という意味である。
 死を前にしてもなかなかの名歌だし、「あなたの言葉を冥途を行く時の明かりにいたしますゆえ」などと洒落た言い回しをしている。自分の死に酔っているようなところがあり、彼にはやはりまだまだこの世にいたい、もっともっと生きて女三宮との恋を成就したいという気持ちがあるようだ。未練がましい歌やしゃれた表現はその表白にほかならない。
 それにしても女三宮に消息するとは随分危険な行為である。手紙が落ちこぼれることだってあるのだ。現に源氏に不義を知られたのも、手紙を落ちこぼしてしまったからではないか。再度露見すれば「恋に死んだ伊達男」などというしゃれた名は立たない。単なる「未練な男」の汚名が残るだけだ。

 そして、もっと驚くことには、女三宮がこれに歌を返していることである。その歌
 『たちそひて消えやしなまし 憂きことを思ひ乱るる煙くらべに』
 「あなたの煙と一緒に、私も消えてしまいたい。この辛い思いに乱れている私の心とあなたの心とどちらが辛いか比べるために」という意味であるが、まるで恋文である。しかも歌に添えて
 『おくるべうやは』
とまである。「私は、あなたに後れて生き残っていようとは思いません」というもので、まるで熾烈な愛情の吐露である。
この不倫は、柏木の一方的なものだと思っていたし、その後、二人が何度も逢っていたのは、全て手引きした小侍従と柏木のたくらみと思っていたのだが、この女三宮の返歌を見れば、彼女も柏木に情愛を傾けていたのでは、と考えざるを得なくなってしまう。あれほど柏木とのことについて、チクリチクリ嫌味を言う「源氏の御気色を恐ろしう」思っていたはずなのに。彼女の返事には理解を越えたものがある。もっともそれが恋というものかもしれないが。

 さてこの後、間なくして柏木は死んで行く。しかしその死は自ら命を縮めたものではない。痩せさらぼひいて
 『泡の消え入るやうにて、亡せ給ひぬ』
なのである。完全なる心身消耗の死であり、「止む薬なき恋死に」である。この間に不義の子の誕生や女三宮の出家などがあるが、彼は結構幸せな生を生きたのではなかろうか。愛する女から「一緒の煙となって・・」とまで言われたのだ。その言葉を明かりとして、冥土の暗闇をにこにこすいすい通り抜け、あの世で、女三宮の煙が立ち上ってくるのを、心待ちにしていたかもしれない。



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~ Comment ~

 

はじめまして。いつも楽しく拝見させていただいております。
女三宮の返歌は、研究者やプロの作家様、源氏物語ファンの読者様にいたるまで、様々な意見があるようですね。
初めは嫌がり恐怖していたものの、柏木のアプローチにほだされて恋を知り、彼を思うようになった。
女三宮にとって柏木は、現在で言うところのストーカー兼暴漢としか思えず『あなたのせいで、私も死んで煙になりそうな目に遭っている。』という恨みや辛さを訴える気持ちを込めた歌を送った。ところが肝腎の柏木は自分に都合よく解釈してしまった。
柏木を怖がっていたが、拒む知恵のない彼女はただ流されるままだった。彼や小侍従の『返事を書け。』という勢いにおののき、辟易して、言うとおりにすれば一時の平穏が戻ってくると思い、とりあえず現状のつらさを書いて『あげた』だけ。等々。
真剣に物語ん読み込んだ結果の考察はもちろんですが、個人の体験談や精神分析を元にしている説もあって、なかなか興味深いです。
個人的な意見ですが、私自身、気が弱く流されやすいためか、三つ目の説が生々しく感じられました。

長々と失礼いたしました。
これからも楽しみにしています。

Re: Re: 女三宮の真意 

> > > はじめまして。いつも楽しく拝見させていただいております。
> > > 女三宮の返歌は、研究者やプロの作家様、源氏物語ファンの読者様にいたるまで、様々な意見があるようですね。
> > > 初めは嫌がり恐怖していたものの、柏木のアプローチにほだされて恋を知り、彼を思うようになった。
> > > 女三宮にとって柏木は、現在で言うところのストーカー兼暴漢としか思えず『あなたのせいで、私も死んで煙になりそうな目に遭っている。』という恨みや辛さを訴える気持ちを込めた歌を送った。ところが肝腎の柏木は自分に都合よく解釈してしまった。
> > > 柏木を怖がっていたが、拒む知恵のない彼女はただ流されるままだった。彼や小侍従の『返事を書け。』という勢いにおののき、辟易して、言うとおりにすれば一時の平穏が戻ってくると思い、とりあえず現状のつらさを書いて『あげた』だけ。等々。
> > > 真剣に物語ん読み込んだ結果の考察はもちろんですが、個人の体験談や精神分析を元にしている説もあって、なかなか興味深いです。
> > > 個人的な意見ですが、私自身、気が弱く流されやすいためか、三つ目の説が生々しく感じられました。
> > >
> > > 長々と失礼いたしました。
> > > これからも楽しみにしています。
> >
> >  コメントありがとうございます。
> >  「たちそいて消えやしなまし・・」の女三宮の歌は、確かに意味の取りにくいもので、彼女の真意がどこにあるのかさっぱりわかりません。表面上の言葉を素直に取っていたのでは理解は浅いというものでしょうが、私はあえて素直に取ってみました。
> >  柏木の気持ちは、終始女三宮を思慕する気持ちで貫かれています。死んでも彼の魂は宮のそばを離れないと言っています。
> >  ところが、女三宮の真意となると額面通り解釈するわけにはいきません。ただ、柏木にすれば宮から返事があったことそれ自体が歓喜の対象なのです。ちょうど「紅葉賀」の巻で、藤壷宮からの返歌を、光源氏が「持経」のように捧げ持って喜んだことと同じです。柏木の場合は『あはれにかたじけなし(しみじみ恐れ多くもありがたい)』と思ったのだし、身動きもままならない状況で、鳥の足跡のような手紙を書いて、急ぎ宮に送ったのもその気持ちの表れです。
> >  分からないのが女三宮の言動です。一度目の事件は仕方がないでしょう。でも、柏木や小侍従の脅迫があったとしても、准太上天皇・光源氏の北の方としては、二度繰り返してはならないことです。にもかかわらず、その後も何度かにわたって柏木と会っています。柏木とすれば、そこに少なからず宮の情があるからだと取っても仕方ないことでしょう。自分本位、自分勝手と言われれば返しようがないのですが、恋というものは本来そんなものなのではないでしょうか。時には相手(女)の意志や感情を無視して、暴力的になることもあります。源氏と、空蝉や朧月夜の出会いもそんなものですし、宇治十帖の匂宮と浮舟の関係もそうです。それは生きる上での宿命で、まさに「セルフィシュ・ジーン」というものでしょう。
> >  まして、片なりで主体性のない女三宮にしてみれば、男の言うままになるしかありません。そういう男と女の思惑違いや性差や葛藤の上に源氏物語は成り立っている気がします。また現実でも、そうして恋が進展していったり消えていったりするのではないでしょうか。
> >  今いろいろの点から源氏物語を見直しています。お考えをいただけたら幸いです。

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Re: Re: また長々と失礼いたします 

> > 返信いただき、ありがとうございます。
> > お言葉に甘えて、私なりに考えた女三宮の対応についての考えを述べさせて下さい。
> > 仰る通り、女三宮と柏木、光源氏の関係は、互いの認識のズレによって起こってしまった事態だと思います。
> > 個人的には、繰り返された柏木と女三宮の逢瀬も、北の方として有り得ない振る舞いも、無理のない出来事のように感じられました。
> > 女三宮は高貴な姫宮として深窓に育ち、女二宮のようにきっちりと教育してくれる母親は亡く、父帝や女房達は「母がおらず気の毒だから」と、ただただ可愛がって大切にお世話するだけ。
> > 何でも周りの者が『良いように計らってくれる』のが当たり前。
> > そのため心は幼児のまま大人になってしまった姫のように思えます。
> > しかも大人しく一人遊びが好きなタイプ。
> > 本来ならば他人との健全な触れ合いや遠慮のない葛藤を経て、常識や社会性、処世術を身に付けていく所を、環境や本人の内向きな性格によって『身に付けられなかった。そんなものが有ること事態、わからなかった』のではないでしょうか。
> > 光源氏に降嫁して後は、宮の人柄に対する落胆から、高級ペットのような扱い…。
> > これでは一人前の女性へと成長する事は難しいと思います。
> > 気が弱く無知な幼児が『嫌だ』と感じていても、大人や勢いのいい友達に逆らえず、言いなりになってしまう…などという事は良くあります。
> > 大人としては大いに問題有りな振る舞いでしょうが、彼女の幼さやそれが培われた背景を考えると『まるで、運転の仕方を知らない人に、いきなり四輪駆動を押し付けて、高速道路に放り出したようなもの。例え問題があってもナビシステム(小侍従の例えです。)が付いていれば頼りきりになるのも、事故が起こるのも当たり前。むしろ気の毒だ。』と、思えて同情してしまいます。
> >
> > 長々と失礼いたしました。
> > あくまでも私個人の意見ですので、あしからず。
> >
> >
> > 女三宮については、ご自身の体験から興味深い考察をなさっている方がいらっしゃいます。(http://s.ameblo.jp/open-sesami0319/entry-11235750088.htm)
> > よろしければご一読をおすすめします。
>
>
> 女三宮自身には何の責任もないのにと思うとやり切れないし、あはれを覚えるしかありません。
>  私は今、源氏物語を「変化の相」という点で見直しています。我々に「あはれ」を感じさせるのはどういう状況の時でしょうか。それは、もの・ことが通常よりも大きく変わった時、あるいははなはだしく異なっている時に感じる感懐だと思います。季節の移ろいや人の心が変化する時、それは我々の心を「しみじみ」とゆすります。源氏物語はそれを追及している書であると思いますし、この観点から源氏物語を読んでいくと様々な問題が解決されてくるような気がしてきます。
>  光源氏に侮られた女性に末摘花がいます。それは、彼女の醜さゆえではないと思います。彼女は常に「古体」で、十年一日シーラカンスのように変わらないからです。彼女は変わろうとする意識も努力もないところが、源氏の癇に触ったのです。
>  同じように、葵上が源氏の意に添わなかったのは、彼女のあまりに「うるわしい」すぎる姿勢にあったと思われます。端然として取り澄ました変わらぬ姿が、源氏を物足らなくさせ、彼の心を和ませなかったのです。もちろん当時源氏の心を占めていたのは藤壷宮で、その点葵上は割を食ってはいますが。
>  さて、女三宮をこの点で見てみると、やはり同じことが言えそうです。幼く片なりは彼女は、源氏の目からすれば、許しがたいほど変化に乏しいい女性であったということです。もっとも時の最高の趣味者である源氏の相手としては、概ねの女性が失格してしまうことでしょう。彼の音楽論、物語論、絵画論、人物論は、並のものではないので、並みの女性が相手ができるものではありません。
>  まして、幼いころからろくな教養も身に付けることもないまま育ってしまった十四歳の女三宮に相手ができるはずはありません。源氏は結婚三日夜にして、彼女のすべてを見極めてしまいました。そして相手になれる女性・紫上のところに一刻も早く戻りたくなったのは、必然の結果です。後は朱雀院への思惑を気にしての義務的、形式的な惰性の訪れでしかありませんでした。
>  柏木からの艶書を見つけられてしまったのは、源氏が紫上のところに戻ろうとして、ふとつぶやいた「道たづたづし」に対して、女三宮が「月待ちて」と答えてしまったことによります。源氏は「お、この歌を知っているのか」という思いがけない宮の変わった一面にふれたからでもあります。(源氏物語の多くの引き歌の中で、この歌ほどドラマチックな役割を果たしているものはないでしょう)
>  たまたま見せた宮の「日頃と変わった応対」が命取りになってしまうという皮肉な結果を招いてしまいました。
>   
>  ところで、私も源氏の心がわからないではない現実にぶつかることがありました。つまり、打てば響くという言葉がありますが、打っても響かない人が時にあったということです。逆に、臨機応変というほどでなくても、文学や歴史や時事などの話の最中に、快く話が返ってくる人と一緒にいることほど楽しいものはりません。紫上が自己主張する場面は、物語上はほとんどないのですが、おそらく源氏の話に適切に反応できる能力の持ち主だったのではないでしょう。
>  女三宮との結婚の前から、彼女の人となりは情報として源氏の耳に入っていたはずです。ところが、藤壷宮ゆかりの女性であるということ、それに彼の名誉欲から結婚してしまったのは、ずいぶんの罪と言えます。でもこれは源氏だけの問題ではありません。朱雀院もそうですし、宮の乳母も
 『姫宮は、あさましくおぼつかなく、心もとなくのみ見えさせ給ふに』
とまで、実の父親を前にして言っているのです。大人が、寄ってたかって純な女三宮の一生を破滅してしまった。
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