源氏物語

源氏物語たより328

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   怪奇・異様は無関係 ~計算高い明石入道~ 源氏物語たより328

 須磨の巻から明石の巻にかけては怪奇・異様な事象が次々に登場し、おどろおどろしい雰囲気に包まれている。海竜王や光源氏にまとわりつく異様な夢の人物、故桐壺院の夢のお告げ・・。同時に明石入道も、夢に異様な人物が登場したり、住吉の神の導きまで出てきたりする。現実にはありえないことで、とくに現代人には信じることのできない事象ばかりである。
 先日、中野幸一氏(早稲田大学教授)の講義を受けていたところ、これを
  「古代物語性と言う」
と言われていた。多くの解説書も、「源氏物語も今までの摩訶不思議な怪異な世界を描く昔物語の特徴を受け継いでいる」としている。ある人などは、「紫式部も、怪異な昔物語の世界を描くという通弊を抜け出ることができずにいた表れである」とまで述べている。
  『竹取物語』をあげるまでもなく、『宇津保物語』の清原俊蔭なども、海を行き山を走り空を飛ぶ波乱万丈の活躍の後、琴の奥義や秘曲を伝承し、仏の琴を作成して、帰国するという、まさに怪奇な物語が展開するが、著しく現実性を欠いた話である。
 
 「(上田秋成は怪異の世界を信じていたのだが)一方、『源氏物語』の場合はどうか。平安朝にはいわゆる怪異の世界が生活とすぐ隣り合わせにあり、その信が習俗として広く生きていたと見ることができる。夕顔が、荒れた何がしの院で物の怪におそわれ息絶えたという話・・(鬼神に関する限り上田秋成よりも)『源氏物語』の作者の方がはるかに時の恵みを受けており、それを身近に感じていたか分かる。平安の夜は、まだしんしんと暗かったのだ」
 これは西郷信綱の『源氏物語を読むために』(平凡社)の一節である。もう一つ上げておこう。『源氏物語を読み説く』(小学館)の、秋山虔と三田村雅子の対談の一節である。
 「源氏と明石家を結合させるために、かなり手の込んだ工夫がなされている。ちょっと作為めいていて、住吉の神の威力を動員させるほかなかったといえる」

 私は、これらの考えにどうも素直について行けないのだ。この方たちは、何かを見落としていないだろうかと思えて仕方がない。確かに当時の人は、建物(寝殿造り)の構造や夜はすべてが闇という状況の中にあって、鬼・神や物の怪や、ものの啓示などというものを信じていたし、そのために仏や神に頼っていたことも事実である。
 しかし、紫式部に限っては、そういう怪異や異様なものを本心からは信じていなかったし、それを本気で作品に生かそうとはしていない。そういう節を物語の処々折々にのぞき見ることができるのだ。それどころか、僧侶さえ侮っていて、加持祈祷などはてんから信じていない。西郷信綱は、
 「上田秋成は心から怪異を信じていたから『雨月物語』のような作品ができたのだ」と言っているが、紫式部はそんなことはない。夕顔が「何がしの院」で急死したのも、それなりの必然性をきちっと敷いていて、物の怪に命を取られたとはしていない。

 さて、須磨、明石の巻に戻ろう。明石入道は、
  『いぬるついたちの日の夢に、さま異なるものの告げ知らすること侍りしかば、信じ難きことと思ひ給へしかど』
とにかく夢を信じて、須磨に舟出した。その夢は、源氏が見た夢とまさに符合するものであった。
 でもこれを単純に「不思議なことですね」で済ましてしまっていいものだろうか。私は、これらの夢や神のお告げは、紫式部の読者に対するサービスの一環に過ぎないと思っている。紫式部にとってはこれらの事象はどうでもいいことであって、それは物語のほんの「刺身のつま」なのだ。肝心なのはそのことではない。
 諸解説書の方たちは、須磨の巻において、明石入道が、彼の妻に語った言葉を見落としているのではなかろうか。その現実性紛々たる言葉を見落として、やれ「古代物語性」と言い「神話に則って」と言い、「怪奇な現象(夢のお告げや神のお導き)」の方に目を向けてしまう。

 それではその言葉がどんなものであったか掲げてみよう。
 『桐壷の更衣の御腹の源氏の光君こそ、おほやけの御かしこまり(咎め)にて、須磨の浦にものし給ふなれ。吾子の御宿世にて、おぼえぬことのあるなり。いかで、かかるついでにこの君にたてまつらん』
 まことに恐れおおくも奇想天外な考えであるが、その意思たるや巌も通すべき勢いである。娘が、源氏のものになるのは、「吾子の御宿世」だと言いきっている。この場合の「御」が気になるところで、普通、自分の娘の宿世に「御」を付けるだろうか。それは彼の意識がすでに「娘は光君さまのもの」という強い信念があるからだ。

 彼は、娘を源氏に奉る機会を待っていた。源氏が須磨の地に流謫の身になったニュ―スは全国を駆け巡ったはずである。恐らく騒然たる一大事件であったろう。時の近衛大将が配流同然に須磨に流れてきたのだ。元々中央にいた明石入道が、この事件に関心を寄せないはずはない。彼は千載一遇のチャンス到来、「奇貨おくべし」の意気込みであった。それが先の言葉に迸(ほとばし)り出ている。
 彼が、妻にこの言葉を語ったのは、いつの時期であるかははっきりとは掴めないが、おそらく源氏が須磨に流れて来て間もないころであろう。すくなくとも大暴風雷のはるか前に言われたものである。だから、源氏と明石家を結びつける因縁は、暴風雨雷に伴う奇怪現象とは無関係である。
 彼はすぐにも源氏に接触したかったに違いない。しかしそれでは公の御咎めを被ることになり、自分はとにかく源氏の身も危うくなり、ひいては彼の大願も成就しない。
 そこで彼はじっとその時を待っていたのだ。大暴雨風雷の到来と源氏が厭世観に満ちて来る時を。もちろん暴風雷は偶然の天然現象である。しかし、一方、一年を経過した時点で、須磨という田舎のわび住まいに、源氏は耐えられないでいた。そこにくしくも十日以上にわたる大暴風雨雷の襲来である。何日も続く嵐
  『風いみじう吹き、潮高かう満ちて、浪の音荒きこと巌も山も残るまじき景色なり』そして、雷は廊を焼き、おまし所さえなくなった。源氏の厭世観は極限に達していた。そんな時の故院の夢のお告げ
  『はや、舟出して、この浦を去りね』
は、源氏自身の悲痛な叫びである。
 そして風雨のややお治まった機に乗じて、明石入道は舟を出した。源氏にとっては、それはまさに「渡りに舟」であった。従者たちの騒ぎがそれを如実に表している。
  『ともあれ、かくもあれ、夜の明け離れぬ先に、(源氏を)舟にたてまつれ』
 源氏の困憊(こんぱい)は従者の思いでもあったのだ。一刻も早く須磨を去れ!の勢いで、源氏を舟に放り込んだ。入道は入道で、
  『限りなく喜び、かしこまり(お礼)もうす』
のである。それはそうである、ともあれ、かくもあれ源氏の乗船で、彼の不敵は大願に一歩も二歩も近づいたのだから。
 このスムースな物語の展開に、神や仏や夢のお告げや異様なものの入り込む余地などあろうか。それらがなくても物語は見事に動いているのである。ここには決して「作為」などない。

 で、実はこのことは、高麗の相人の観相(源氏は天子の位に就く相を持つ云々)や、宿曜の占い(源氏の三人の子は、一人は天皇になり一人は皇后になり、中の劣りさえ太政大臣になるという)も同じことなのである。
 「源氏物語は、この高麗の相人や宿曜の占いが謎解きのようになっていて、その謎がどのように解かれていくのかを追求する物語である」
というようなことがよく言われるが、しかしそんなことは全くどうでもいいことなのである。謎解きの興味の元に源氏物語を読む人などいるだろうか。そんなことはだれの念頭からも消え去ってしまって、純粋に物語の面白さに浸りきってしまう。そういう緻密な構成の上に源氏物語はできているのである。

 そして、明石入道の畏れ多いほどの大願も、確固とした理由の上に成り立っているのであって、夢物語ではない。彼は、かつて中央政界にいて、近衛中将という輝かしい立場にいた。源氏も頭中将も経験した出世コースである。次は中納言、そしてやがては大納言である。彼の家柄からすれば、「末は大臣」も夢ではない。しかし、偏屈な性格が災いして、自ら望んで播磨の国守に堕ちた。
 その理由は詳らかではないが、この時の彼の屈辱はあまりあるものであったはずだ。大臣の家名をいたく損ねたのである。家名挽回に必要な要件、それが「娘」であり、彼はそれに望みをかけた。それには豊かな財産も必要である。播磨の国は「大国」も大国、豊かな穀倉地帯を持ち、また塩をはじめとする海産物に恵まれていた。そんな国の国守である。六条院ができた時に、明石君の住む冬の町に「蔵町」ができたのもその結果であろう。
 娘を貴人に預け、やがてその子(入道の孫)が入内する、それをバックにする財は播磨守の実績が十分保証する。それらのことを彼は計算し尽くしていたのだ。
 明石に源氏を迎え、娘を源氏に捧げるまでの、涙ぐましいほどの源氏への貢献や、なかなか「娘の婿に・・」とは言えないでいる彼のかたはらいたいほどの焦燥は、あわれに可笑しい。
 とにかく、彼の大願は成就する。このことを長年の「住吉詣で」の効験というのであれば、「確かに、確かに」と私は納得ができるのだが。



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